159 ネズ燃しの儀3
翌朝、ルディはジャクソンとグラムを引き連れて、チャルマーズ執政とその指揮する平原都市リンドスの守備隊に合流した。
場所は平原都市リンドス中央官庁前の庭である。巨大な噴水が水を立ち昇らせる、観光名所の1つだという。清潔で涼やかな雰囲気を醸し、若い男女の待ち合わせ場所には良さげに見えた。
「さーて、やりますか」
背中に薄い黒色の筐体、後背兵装を背負ったグラムが言う。自分や周りを鼓舞するかのような言葉だった。噴水の雰囲気にはまるでそぐわない男である。
(誰かが『やるぞ』と言うと、自分もやる気になるから不思議だ)
だが、ルディもまた、このような鼓舞し合う雰囲気が昔から好きだった。武骨なぐらいが本当の自分にはちょうどいい。
守備隊の兵士も噴水前の広場に数百名で整列している。今回は水路での戦闘が想定されるため、短めの剣を腰に吊った者が多い。
「水路の造り上、民家にベグラッドどもが出ることはないかと思いますが、街の要所要所には溢れ出てくるでしょう。水路の入り口などには、数名ずつを配置いたします」
執政のチャルマーズが側に寄ってきて告げる。
自らも白髪交じりの紺色の頭に白い鉢巻を巻いて、他の兵士と同じく短い剣を装備していた。確認したところ、自ら先陣でベグラッドと戦うつもりなのだという。
『ネズ燃しの儀に出ない執政など、平原都市リンドスの歴史上ありえませぬ!』と鼻息荒く宣っていたものだ。
そして今も部下には指示を飛ばしつつ、一方、ルディには報告をしつつ、どこか楽しげなのである。
(いや、これはチャルマーズ執政に限ったことではない)
この平原都市リンドスの人々の面白いところは、こちらが驚くほどネズ燃しの儀に対して前のめりであるということだ。有力者たちのみならず、参加する兵士の一人一人も活き活きとして、楽しそうなのである。
(よほど、やりたかったらしい)
ルディとしては苦笑いをつい、浮かべてしまうのであった。昨夜のジャイルズとの会話も記憶から飛びそうなほどだ。
水路内でドネルの枝を燃やしたところで、水路から地表へベグラッドたちを追い立てられるわけではない。石畳の間など人が手を出せない閉所から燻り出すことが目的なのであった。
(水路の両脇には石造りの通路が伸びているそうだが)
ルディは一通り地下の地図にも目を通してあった。地勢を思い浮かべる。
(地表まで追い立てるぐらいならその場で駆除したほうが早い)
よって、戦場は今回、狭い地下の水路内にある通路ということになる。だから鉱山都市ビクヨンでの長距離狙撃が使えない。そもそも黒色長弓を持ち込むことすら無理である。
「まぁ、私なら問題ないが」
ルディは久しぶりにもつ標準的な長さの弓を軽く振って感触を確かめる。相手は魔獣とはいえ、ネズミであり小型なのだ。
「せっかくだから私の腕前のほどを、リンドスの人々にも披露したかったのだがね」
自分の脇を固める右側のジャクソン。左側のグラムに対してルディは告げる。
「なんでもかんでも殿下にやらせるわけにはいきませんよ」
白い歯を見せてジャクソンが笑う。白を基調とした騎士服姿だった。
「逆に俺等の働きを今回は見ててくだせぇ」
色黒のグラムもまたニヤニヤと笑って言う。
周りの雰囲気にあてられているのか、2人もまたどこか浮ついていて楽しそうだ。
(こういうほうが私も楽しくていい)
ただの弓手として戦っているほうが、堅苦しく皇太子をするよりもはるかに気が楽だ。
(男など、それでいいではないか)
好きなように戦って、好きな女性と結ばれる。後の人生は家族の幸せのために駆けずり回ることに使う。
(好きな相手、か)
最初に浮かんたのが大聖女レティであり、続いてカレン・メルディフだった。なぜだか、今回の巡視の目的であるはずのティア・ブランソンの顔は浮かんでこない。
(そういえば、どんな顔だったか)
小柄だったが、整った顔立ちで人形か小動物のように可愛らしかった印象が残る。芯の強い頑固な眼差しをしていたはずだが、思い浮かんでは来なかった。
あくまで大聖女レティの、最愛の人の妹に過ぎないのだ。すると、ティアのことを考えても浮かんでくるのは大聖女レティの顔なのだった。
(そうか。ジャイルズからすれば、私は顔も覚えていない、好きでもない少女を迎えにいこうとしている変わり者なのか)
笑い出しそうになってしまった。確かに忙しくもなり、仕事が難しくもなるだろう。
(だが、不思議と山岳都市ベイルの訪問を止めようという気にもならない)
行ったほうが間違いなく良いだろう。
辺境であり、リベイシア帝国からは目の届かせにくい場所なのだ。
「では、殿下!集合、終わりました!」
軍人のようにキビキビとした所作で執政のチャルマーズが告げる。
「1つ、ネズ燃しの儀を開催する、その式辞をお願い致します」
声を張り上げて続けるチャルマーズ。
式辞などとは初耳である。さらに式辞や開催という言い回しはネズ燃しの儀には適切なのだろうか。行うのは血なまぐさい魔獣との戦いだと言うのに。
だが、兵士たちからの期待に満ちたきれいな眼差しを受けると、応えないわけにはいかなかった。
わざわざ自分のために置かれたと思しき簡易の指揮台の上に立つ。
「此度は難しいことは何もない!」
ルディは声を張り上げて、切り出す。
「由緒ある『ネズ燃しの儀』をこの私、リベイシア帝国第1皇子ルディ・リベイシアの名で執り行えることは光栄の極みである!ただ喜び、楽しもうと思う!諸君、私も仲間として宜しく頼む!」
戦いとなれば不謹慎かもしれない言い回しだが、どうもリンドスの人々にとっては、祭祀に近いもののようだ。
正解だったらしく、歓声と笑い声があがったことをルディはただ満足するのだった。