146 黒雲を払う2
「君が前衛として必要なことをこなしたが故に、とれた戦略だ。君は十分、私に貢献した。誇りたまえ」
自分の実力を評価してくれているようだが、『肉の壁』発言もあるので、リドナーとしては、やはり手放しでは喜べないのであった。
まして、ジェイコブのため、貢献しようとしたわけではない。
「さて、我々の方もグズグズしてはいられない。仕留めるとしようか」
自分の不満など置き去りだ。
ジェイコブが告げて、詠唱を開始する。
これまでのようなさりげないものではない。悍ましいほどの魔力をこめられたものだ。
「くっ」
リドナーは黒雲虎の殴打を躱して斬りつける。
「ギッ」
黒雲虎も大きく飛び退いて距離を取る。
とにかくジェイコブの方に黒雲虎を向かわせるわけにはいかない。何をする気かは分からないが、有効であろうと信じる。
(人柄はまったく信じられないけど)
リドナーは力を振り絞って自ら距離を詰める。今まで逃げ惑っていたため、この動きは意表をつくことが出来た。
「でゃっ」
後手後手ながら繰り出された前足の攻撃を躱して胴体に斬りつける。浅いながら傷を負わせることには成功した。
「距離を取れ、リドナー君っ!」
ジェイコブが怒鳴った。詠唱が終了したようだ。
慌ててリドナーは黒雲虎から離れようとする。
「よし、砂を伴い、全てを削れ!大砂塵!」
リドナーと黒雲虎の間で、風が渦を巻き、巨大な砂嵐となった。
「うわっ」
さすがにリドナーも至近距離で発生した砂嵐に度肝を抜かれて尻餅をつく。
(この人、変態だけど、腕前は本物だ)
目まぐるしく黒雲虎と戦闘していた自分の鼻先に砂嵐を発生させる、絶妙な神業を難なく見せつけられた。かなり精密な魔力の操作を要するであろうことぐらいは、魔術には門外漢のリドナーにも分かる。
「これで、私と奴、どちらの魔力が勝るのか、という勝負になる。まぁ、私に巨大猫ごときが勝るわけがない」
得意げにジェイコブが笑って告げる。
「一撃で仕留められない相手には消耗戦を強いる。勝負事の鉄則だよ、ハッハッハッ」
初めて聞く勝負事の鉄則とやらを上機嫌でジェイコブが告げる。
砂嵐に包まれてしまった黒雲虎。中からは時折、黒い雲の切れ端が溢れては千切れて消える。
(確かに、これならいつかは、しかもすごい力だ)
リドナーは気を張ったまま竜巻を見上げて思う。
炎や雷を黒雲で防がれてしまうのなら、防ぐものから先に使いつくさせようということだ。
また、咆哮が聞こえてくる。
(ガウソルさん、どういう考えかも分からないけど)
リドナーは声のした方をつい見やってしまう。5年間共に生きてきた養父である。
(あんな行き違いがあっても、助けてくれるんなら嬉しい、けど)
おそらくは脱獄という方法を取るしかなかったはずだ。司法に厳しいウィマール裁判長が超法規的措置をとるとは思えない。
(それに)
リドナーは残念ながら手放しでガウソルの出現を喜ぶ事ができなかった。
「ハハッ、シグらしいな。近くに魔獣が出てきたから我慢できなくて暴れ出したのだな」
嬉しそうに告げるジェイコブの言葉のほうが正解に近いように、リドナーにも思えてならなかった。
砂嵐の中から漏れ出る黒雲がまったく見えなくなる。いよいよ使いつくさせたのか。苦悶の唸り声が風の轟音に混ざって聞こえてくる。
「シグはもちろん、マイラあたりも既に一匹ぐらいは仕留めているだろう。我々はこうしてはいられんぞ」
妙なやる気をジェイコブが見せ始めた。
「一匹ぐらいは仕留めて見せようではないか。連中に格好がつかない。とどめといこうか」
ニチャアッと破顔してジェイコブが告げる。
(やる気を出すのはいいけど、そのニチャアをやめてください)
リドナーは痛切に思いつつ剣を構え直す。
砂嵐で動けなくなっているのをいいことに、再度ジェイコブがブツブツと詠唱を始めた。
「大事なのは理を理解するということ。ただ生命力を振るうだけでは魔獣と変わらない」
ジェイコブが顔を上げて杖を掲げた。
「故に私は痛烈な皮肉を貴様に与える」
今度はジェイコブの杖から黒雲が生じて、黒雲虎の頭上を漂う。
「砂塵解放」
宣言とともに砂塵が消えて、中からズタボロの黒い虎があらわれた。もはや黒い雲など纏ってはいない。砂に削り取られたようだ。
「受けよ、貫通雷っ!」
真上から鋭い雷が黒雲虎の身体を一刺しする。
「グギイイイイッ」
ピンッと尻尾まで強制的に伸ばされた黒雲虎。
雷が消えるや力なく項垂れる。
「よしっ、本当のトドメは君がさしたまえ」
思わぬことをジェイコブが告げる。
「えっ」
てっきりジェイコブが更に強烈な一撃を見舞うのだとばかり、リドナーは思っていた。
「君は前衛としてよくやった。私は君に自信をもたせてやろう。黒雲虎を倒した、その事実を君が手にするのだ」
ジェイコブなりの優しさらしい。
(そんな理由でいいのかな)
リドナーは首を傾げたくなるものの、また雷の麻痺から黒雲虎が回復する恐れもあり、躊躇をやめることとした。
「分かりました」
リドナーは跳躍して、黒雲虎の額に斬りつけ、トドメを刺した。
返り血を浴びる前に素早く身を引くも、その先でへたり込んでしまう。
「ふむ、斬撃も悪くないのではないかな?」
腕組みして満足気にジェイコブが言う。
「山岳都市ベイルにも、叩き上げの腕利きが1人ぐらいはいた方がいい」
どうやら気に入られて、見込まれてしまったらしいのだが。
(まったく、嬉しくないし、それどころじゃないっ)
リドナーは疲れ切った身体を叱咤してすぐに立ち上がらせる。
「君ももう一皮剥ければ、私のような高みにたどり着くだろう。自信を持つように」
何様なのか、と問いたくなるようなジェイコブの発言を尻目に、リドナーは治療院を目指して駆け出すのであった。