144 マイラ参戦
自分の後ろにいる赤毛の男について、そのまま斬り捨てたい衝動をマイラはかろうじて抑え込んだ。眼前では火傷した鼻先を押さえて、蒼氷虎が悶えている。
商店街にある、一軒の商家の屋根上だった。何を扱っている商家かも分からない。
「マ、マイラさん」
気まずけに戸惑い顔のヒックスが声を発した。
どうせ『なぜ?』などとなんのひねりもない質問がしたいのだろう。
「あんたの奥さんが、あんまり頼み込むからよ。奥さんに感謝なさいな」
マイラは薄く笑って告げた。我ながら人の良いことだと自嘲する。
だから当然、これだけではいけない。
「次はむしろ、私があんたを斬り殺してやるんだから」
この言葉でヒックスが青ざめたので、少しだけマイラは溜飲を下げた。
俯瞰する限り、なかなかの惨状だ。城壁が無事だと言うのに、内部の都市機能、家屋が破壊されているのだから。
(シグを逮捕したことで、大きな代償を払うことになったわね、この町は)
マイラは心の内では山岳都市ベイルの不幸をせせらわらっているのだった。四色の虎など通常の兵士の手に負えるものではないとはいえ、ガウソルならば瞬殺だ。
蒼氷虎によるもの以外にも、何方向からか破壊の音が聞こえてくる。
(そう、飛竜との戦いを思い出すわね、都市が、戦場になると)
マイラは剣を構える。首筋がゾワゾワとした。
更に追い打ちをかけるかのように、空気を震わせるような咆哮が轟く。
誰のものか、などマイラにとっては明らかだ。
「こ、これは、隊長の」
青ざめた顔のままヒックスが言う。
「あんたは、とっとと姿を消しなさいな、私がたたっ斬るか、シグが殴り飛ばすのか。どっちにしろ、死ぬわよ」
端的に告げ、マイラは煩わしいのでヒックスを追い払うこととした。本当に忌々しいのだが、ユウリに合わせる顔がなくなってしまう。
(ま、もう会う気もないんだけどさ)
機嫌が単純に良くなったのだ。
「ふふっ、シグったら、やっと留置場を出る気になったのね」
マイラは蒼氷虎の方に向き直って、口元を綻ばせる。
愛しい相手が『らしさ』を取り戻している、というのはいつだって嬉しい。少なくともマイラにとってはそうだ。
「じゃぁ、とっとと、この邪魔虎を駆除しなくっちゃね」
口では言うも、マイラは甘くは見ていなかった。
氷を飛ばしてくるのである。ただでさえ手強い四色の虎のうちでは蒼と氷を司り、巨体だけが脅威なわけではない。
「炎よ、私を護れ」
マイラは剣先から炎を生じさせて壁とする。あっさりと防ぎきってやったのち、追い打ちのつもりだったらしい殴打をなんなく躱す。
「舐めてるの?」
無防備に伸びた腕に斬りつける。
「ギアァァァッ」
やかましい絶叫をあげる蒼氷虎。蒼い毛に赤い血がにじむ。
(さすがに無駄に大きいから切り落とすことは出来なかった、か)
自分も手抜きをしていると決め手にかけるのが難点だ。
マイラは屋根から軽々と飛び降りて地に立った。
(多分、シグがもう、一匹ぐらいは仕留めてるんじゃないかしら?)
シャドーイーグルやガルムトカゲよりも遥かに強いものの、自分やガウソルの敵ではない。
(それはルディ殿下も、ご存命であればレティ様も、同じでしょうね)
格が違うというのである。本来ならば4匹纏めてあらわれた場合、小さな都市ぐらいなら消し飛ぶ魔獣だ。
だが、マイラの場合、手の内を晒すことには抵抗があった。
予言者とやらがどこかで自分の動きを注視しているのではないか。そんな懸念がどうしても拭えなかった。
マイラは振り下ろされる前脚を難なく躱して思う。
続く横薙ぎの一撃も大きく飛び退いて躱す。
「ギャッ」
ついでに斬りつけてやったので、蒼氷虎が悲鳴をあげる。
「しつこいわねぇ、それともしぶとい?」
マイラは目を細める。
リドナー辺りであれば、ずっと躱すなり、いなすなりで粘り続けは出来るものの、反撃する術を持たないのだろう。目に浮かぶようだ。
一応、まだ弟子のようなもので養子なのである。
「でも、相手が悪かったわね」
マイラはたおやかに微笑む。
「雷撃」
腕ではなく、本体の方に電撃を放つ。
無詠唱でも下級の魔獣であれば即死する威力だ。
「グギイイイィッ」
蒼氷虎が電撃で麻痺して動きを止める。
「フウウウッ」
怒りと闘志に燃える目で蒼氷虎が自分を睨みつけてくる。
鼻先に魔法陣が生じた。先程よりも強い魔力を感じる。
「あら、なかなか。じゃ、少しだけ見せてあげようかしら」
マイラは剣を正眼に構える。魔力を剣に流し込む。名前はつけていないが、名剣である。魔力のとおりと斬れ味、両面を追求したものだ。
「私の魔力を炎の雨に。針炎」
無数の炎の針が雨のようになって、マイラの剣から放射される。
同じく蒼氷虎の鼻先から発せられた冷気の渦に降り注ぐ。
「ギアッ、ギアアアアッ」
勝ったのは当然、自分の炎だった。
冷気から溢れ出た炎の針が降り注ぎ蒼氷虎を襲う。
蒼い毛並みは見る影もなく黒く焦げ付いていく。
(でも、ま、勝てるけど。とどめをどうしましょ。とにかく大きいのよね)
マイラは冷徹に思考を巡らせていた。
冷気の渦で減殺されたことで、さしもの大技『針炎』でも蒼氷虎を絶命させるには至らない。
「困ったわねぇ、私はほら、か弱い女の子だから」
口に出してマイラはボヤく。
少し飛び退いて距離を取る。周囲は自分と蒼氷虎との戦闘のせいで、瓦礫の山と化していた。
(ていうか、誰も助けに来ないのね)
つくづく忌々しいのが、この蒼氷虎よりもヒックスら守備隊である。
自分が蒼氷虎と向き合うや、もう安心だ、とばかりに一般人の避難誘導に専念しだしたのだ。蒼氷虎の討伐は自分に丸投げである。守備隊の責務が人命救助を第1としているのは知っているのだが。
「まったく、甲斐性のない奴らね」
マイラは口走るのだった。誰にもまるで響かない。
「あんたもあんたよ、まったく、忌々しい」
蒼氷虎に対しても告げる。
(もう、じわじわ嬲り殺しにするしかないかしら?)
少しずつ弱らせてはいる。負けるとも思わない。だが、自分も人間だ。巨体に叩き潰される危険はいくらでもある。
「じゃ、方針も決まったことだし、作業再開ね」
マイラは笑みを浮かべて蒼氷虎に告げた。
少し、怖すぎたのかもしれない。
蒼氷虎が予想外の動きをした。
尻尾を丸めて脚の間に挟み、一歩ニ歩と後ずさるや駆け出そうとしたのだ。
「え、うそ、逃げるの?」
追撃して倒すだけのことなのだが。追撃戦の結果、町がどうなろうと、もはやマイラにとっては知ったことではないのだが。
(私、そんな怖い?)
都市をも滅ぼすほどの巨大な魔獣が、自分の笑顔に怯えて逃げる、という状況に精神的な衝撃をマイラは受けてしまう。怒った顔ではなく、笑顔というところがまた失礼ではないか。
がっかりしていたところ、もう一度、咆哮が聞こえた。先程よりも遥かに近い。
「ギイイイイッ」
続いて真上から飛来したなにかに激突されて、蒼氷虎が絶叫した。背骨が折れたのではないかと思えるほどの一撃である。
「うるさい」
さらにガウソルが蒼氷虎の尻尾を掴むや、無造作に放り投げた。
良い勢いでどこまでも蒼氷虎の巨体が飛んで、とうとう見えなくなってしまう。
「シグッ!」
無論、マイラにとってはもはや蒼氷虎も山岳都市ベイルもヒックスら守備隊もどうでも良かった。
あらわれたガウソル。
(しかも、狂化装甲じゃないのっ!)
懐かしい姿に心ときめかせてしまう。
「マイラ、余計ごとだったかな?」
自分を抱きとめて耳元でガウソルが言う。
「ううん、逃げられるとこだったの、助かったわ」
マイラも伸び上がるようにして抱き合ったまま返す。
本当は簡単に追いかけて、簡単に追い打ちで倒せたことなど言わない。
(結局、やっぱり、私を助けてくれるのはシグだけね)
破壊された山岳都市ベイルを尻目にマイラは思うのであった。