143 甲冑狼の帰還
留置場を後にしたガウソルは自宅へと戻ってきた。
帰巣本能に依るものではない。明確な目的があった。
(俺は甲冑狼だ。また、そうして生きていくのなら)
扉を開けて、マイラの片付けておいてくれた部屋に足を踏み入れる。
どういう理屈か分からないが、自分の逮捕後、酒を飲むようになったマイラだった。だが、部屋の掃除だけは欠かさずしておいてくれている。
(好きでもない酒を飲んで、俺なんかのために)
飲めない酒を敢えて飲む、というのがマイラなりの世間への抗議なのだと思うとなんとなく微笑ましかった。
暴れる以外何もない自分に比べれば、はるかに穏当な人間ではないか、とも。
マイラのことを思いつつ、ガウソルは居間の中央に鎮座する、甲冑狼の狂化装甲と向き合う。慣れた手つきでガウソルは群青色の鎧を身に纏っていく。
手入れを日々、欠かしたことはない。現に今、魔力も滞り無く流れている。昔のように力を振るうことが出来るはずだ。
(いや、むしろ、昔よりも)
長く生身で戦ってきた。魔獣との戦いも続けてきたので感覚的に鈍ったものもない。狂化装甲に甘えることなく戦ってきたことは、間違いなく自分を成長させた。
「さて、と」
声に出して呟く。兜の内側、くぐもったものに、自分の声が聞こえた。声の聞こえ方1つ取っても、懐かしい。
狂化装甲を回収した。他に目的は何もない。
ガウソルは群青色の狂化装甲に身を包んだまま外に出た。
(とりあえず、マイラと合流するか)
会って話をしたい。今後の展望についても。
「あれは」
破壊音が耳に届いた。聴力や嗅覚は狂化装甲を纏うと鋭敏になる。
複数箇所から懐かしい建物の倒壊する音が聞こえてきた。飛竜との戦いで何度も耳にした音だ。
「あれか」
建物の屋根越しに、大きな真っ黄色の虎が見える。縞も文様もない。
飛竜たちに襲われる前の王都デイダムで戦ったことのある相手だ。
(四色の虎。黄砂虎か。久しぶりに見たな)
四色の虎自体を見かけるのが実に久しぶりであり、山岳都市ベイルに来てからは見たことがなかった。
予言者とやらの言っていた下僕なのだろう。
「やるか」
好きにしていいと言われた。本当は、言われずとも自分は好きにしていいはずなのだが。
(好きにしていいなら、俺はとりあえず魔獣を殺す)
味方になれ、とも言われたのではないことが、ガウソルの気持ちを楽にしていた。
「ウオオオオオオッ」
上を向いて、ガウソルは雄叫びをあげた。
真っ直ぐに地面を蹴って、黄砂虎に向かい跳躍する。
あっという間に距離が縮まって、視界の中で黄色の占める割合が増す。
「グオオオオオッ」
自分に気づいた黄砂虎もまた咆哮をあげる。
更に前脚による殴打を放ってきた。
「グギャァッ」
対してガウソルは蹴りを放つ。
身体の大きさがあまりに違うものの、弾かれたのは黄砂虎の前足の方だった。
中で骨でも砕けたのか。ぶつかった黄砂虎が悲鳴をあげる。前足からは血が滴っていた。
「ガウソルさんっ!ガウソルさんだ!」
屋根に降り立った自分の下から声が聞こえた。避難誘導にでも当たっていた守備隊隊員らしい。
「釈放されたんだ!もう、安心だ!」
別に釈放されたわけではない。勝手に出てきただけだ。
思うもガウソルは特に自分からは声を発しなかった。
怒りに燃える目で黄色い虎が睨みつけてくる。
(魔獣の分際で)
ガウソルは両足に力を込める。ただ、巨体だけを武器としている敵ではない。跳躍して早々にケリをつけようと思ったのだが。
黄砂虎の鼻先に赤い魔法陣が生じた。直後、黄色い砂の奔流を放ってくる。
「うん」
ガウソルは両腕を身体の前で交差させ、狂化装甲に魔力を流す。障壁が生じて、自分の体には砂が届かず堰き止められる。
一歩も動くことなく、防ぎきってやった。ただ身体能力を強化するだけのものではない。
(単なる鎧とも違う)
戦闘を行うため数々の機能が付与されている、便利な代物である。
ただ戦闘への自制心が緩くなることだけが困りものだ。
「ギイイイッ」
黄砂虎が苦悶の声をあげている。
気付くと自分は黄砂虎の背中に飛びつき、右手で毛を何本か皮膚ごと鷲掴みにしていた。反射のようなもので、敵の攻撃が終わるや身体を動かしていたらしい。
(やはり鈍っていない、俺は)
思いつつガウソルは視界いっぱいに広がる黄砂虎の背中を眺めていた。
いくら抵抗されようとも放すことはない。身体は小さくとも、力は自分のほうが圧倒的に強いのだから。
拳打を蹴りでまともに受けて、勝ったのは自分の方なのである。そう思うと、この戦いも酷くつまらないものに思えてきた。
(もう終わりにするか)
ガウソルは空いた左手を大きく振りかぶった。
そして、黄砂虎が後ろ足2本で立ち上がったところ、思いっきり背中に拳を打ち付ける。
つまりただの拳打にすぎないのだが。
「うおおおおっ」
悲鳴すら挙げられずにぶっ飛ばされた黄砂虎の姿を見て、見物していた守備隊隊員たちが歓声をあげる。
確かめるまでもなく背骨が折れて絶命していた。
いくらか建物も巻き込んでしまっている。守備隊の分隊長をしていたころには、配慮してまったく起こさなかった事態である。
自身の身体について言えば、拳まで手甲で覆っているので力いっぱい殴ってもまるで痛くない。生身で本気を出すと自分の拳も痛いのだ。
「すごい、さすがガウソルさんだ」
誰かが褒め称えているのも聞こえる。
称賛も何もいらない。強いてほしいものを挙げるのであれば、敵が欲しかった。
今まではロックウォーリアとの戦い以来、人前で甲冑狼の狂化装甲を身に纏って戦ったことはなかったのだが。
(顔も隠れているはずなのに、なんで俺だと分かるんだ?)
ガウソルは首を傾げるのだった。
「まぁ、いい。そんなことより、これが四色の虎なら、あと3匹いるはずだ」
まだ破壊音が耳に届いてくる。土煙の立つ方角、人々が逃げ惑う慌ただしい気配。
(とりあえず、魔獣を殺す。先のことはその後だ)
どこかにはマイラもいるだろう。
(もし、すぐには見つからなくても。そうすれば、今度は俺が探す番だ)
思い、ガウソルは次の敵を求めて駆け出すのであった。




