14 魔獣討伐集合
魔獣討伐、当日の朝を迎えた。
ティアはいつもよりも早く、まだ暗い内に起きて、身繕いを済ませ、治療院敷地正門の前に立っている。水色の地に金色の縁取りがなされたローブ。胸元には旧ティダールの国章だという狼が描かれていた。両手で前日準備した鞄をギュッと掴む。
(リドナーさんの言ったとおりだった)
山岳都市ベイルでは、自分に限らずヒーラーが本当に大切にされている。町中でもヒーラーの制服であるこのローブを纏っていると、絡まれるどころか、治安の悪そうな場所に近付いてしまっても、迷子になっても案内してもらえた。
今日も独りで集合場所に行くのではなく、迎えを寄越してもらうこととなっている。
(誰が来るか、私、分かる気がする)
ティアはそこについては、温かく嬉しい気持ちがあるのだった。
「ティーアちゃんっ、おはようっ!」
果たして、やってきたのは群青色の軽鎧を身に着けたリドナーである。
(やっぱり)
両手をブンブンと頭上で振りながらリドナーが歩いてきた。
「おはようございます」
ティアは挨拶を返して頭を下げる。
顔をあげると無邪気な笑みが向けられていて、自分も笑みを返してしまう。
「今日もよろしくねっ!」
早速、自分のカバンを手に持って歩き出すリドナー。
慌てて続きながらも気になることがティアにはあった。
「あの、お迎えって2人じゃ」
ライカからは、『2人お供が来るからね。荷物持ちをさせな』と言われていたのだ。
どう見てもリドナーだけだ。一人しかいない。もう一人には何かあったのだろうか。文句を言うつもりはなく、迷子になったのか、リドナーに置き去りにされたのか心配だった。当然、荷物持ちにするつもりもない。
「あぁ」
珍しくリドナーが苦笑する。
「隊長が怖過ぎて、誰も来たがらなくてね。結局、俺一人になっちゃった、ごめんね」
しれっととんでもない事情を説明してくれるリドナー。
ティアは先日、治療院院長のライカから聞かされた話を思い出す。ベイル守備隊第26分隊隊長のガウソルが自分にはきつく当たるだろうという話だ。
「私、迷惑なんじゃ」
頑張ろうと思っても、かえって迷惑で空回りしてしまうのではないかと、ティアは危惧する。
「そんなわけないじゃん」
びっくりした顔をするリドナー。
「ヒーラーいないとさ、怪我したらもう、その隊員は動けないんだよ?そしたら戦力減だからね。むしろ、いてくれなきゃ困るよ」
自分を正面から見つめて告げるリドナーである。嘘をついているようにも、取り繕っているようにも見えない。
「でも、ガウソルって隊長さんは」
何と言うべきだろうか。嫌われている、というのもあまりに幼稚な言い方の気がする。ティアは言いかけて言葉に詰まった。
「あぁ、うん、分かるよね、さすがにね」
ティアの言いたいことを理解して、優しく苦笑いを浮かべるリドナー。
歩きながら少し考える顔をした。
まだ早朝なのですれ違う人も皆無だ。さりげなく聞いている人がいないかをリドナーが確認してくれたのだった。
「ガウソル隊長は、俺と出会う前にさ、大聖女レティ様とも会ってて。ティアちゃんのことも、見てすぐに、大聖女レティ様の妹だって気づいたみたい」
思わぬことを告げられて、一瞬ティアは立ち止まってしまう。すぐに慌てて小走りでリドナーの隣に並ぶ。
(そっか、お姉ちゃんのこと。だから)
驚くも、ティアは妙に納得ができてしまって、こくりこくりと頷いた。やはりライカ院長から言われたとおりなのだ。
「私が姉と比べて、あまりに駄目だから」
ポツリとティアは呟いた。これから危険な場所へ赴こうというのに、前を向けない。
(良くない、駄目だ。見返そうってそれぐらい)
やる前から気持ちで負けている。ますますガウソルに軽蔑されるだけだ、と頭ではわかるのたが。
「ガウソルさんが少し癖強いだけだから、気にしない方がいいよ」
リドナーが優しく言う。
「あれで、あの人も他にも気づいている人には口止めしてるっぽいから。あの人なりに。歪んでるけど、あの人なりに気にかけてるんだよ、多分」
力づけようとしてくれる気持ちが何より嬉しい。心と頭は別なのか、とティアは感じた。
「頑張ります。リドナーさんたちには、馬車のとき、助けてもらってるんだから」
ぐっと握り拳を作って、ティアは告げた。
「うん、宜しくね」
リドナーが改めて告げる。
しばらく歩いて、集合場所である第26分隊の詰め所に到着した。
既に、20名ほどの男性たちが訓練場と思しき広場で4列に整列している。遅刻したのだろうか。不安に思うティアを、リドナーが先頭付近に連れて行く。
「遅い、まったく」
早速、20人の前に立つガウソルが短く告げて自分を睨む。
あまり大きな声ではない。それでも自分とリドナーには聞こえる。
「先が思いやられるな」
更に呟くガウソル。
あまりに露骨な嫌悪をいきなりぶつけられて、ティアは言い返してやろうかと思った。集合時間を指定したのもガウソルならば、送るとしていた迎えを来づらくしていたのもガウソルなのだ。
(むしろ、集合時間より早く着いてるのにっ!)
ティアは詰め所の広場にある時計を見て気付く。時計が読めないのだろうか。
自分がいきなり悪し様に言われることではない。
だが、苦笑いを浮かべたリドナーに制止される。
「ティアちゃんをカッカさせたいんだよ。こういうのは流さなきゃ。あと、参考までにだけど、ガウソルさんは時計は大まかにしか読めない。分針がよく分かんないみたい」
思い通りになるのも癪である。それと、リドナーの顔を立てることにして、ティアはグッと堪えた。そしてやはり、ガウソルは時計がだめなのだった。
「よし、ヒーラーも着いたことだし、出発する」
ティアのことなど、もう見向きもせずにガウソルが一同に告げる。
「今回はベイル付近をうろついているドクジグモの駆除に、ネブリル地方境の魔獣どもの間引きだ。久々に危険な任務なのにヒーラーは新米で当てにならん。全員、気を引き締めろ!」
全員に檄を飛ばすと見せかけて、ガウソルがまたさりげなく自分を謗っている。
(駄目だわ、この人。きっとこの任務終わるまでずっとこの調子なんだ)
ティアは諦めて、ため息をつく。
「隊長、しつこすぎ」
ボソッとリドナーが言う。
他の隊員たちも微妙な表情だ。
「隊長、いつもは比較的、今日よりはまともだから。かえって皆に困惑されてやんの」
また笑ってリドナーが耳元で囁く。
「うるさいっ、とっとと全員歩けっ」
ガウソルに拍車をかけられて、移動を開始する。
ティアもとことこと最後尾を歩く。果たしてついていけるのか。いまは、それだけがとても不安だ。
「全員、ティアちゃんに歩調を合わせろよ」
リドナーが自分に対するのよりも硬い、真面目な声で告げる。
「ティアちゃんを置いていくようなやつは治してもらえないんだからな」
ダメ押しのようにリドナーが告げると全員が少し、歩調を緩めてくれた。
(でもちょっと脅しみたい)
聞いていたティアは苦笑いである。
「リドナー、お前な」
同じことを思ったらしいガウソルが険しい顔でまた何かを言いかける。
「いや、隊長、リドナーの言うことも正しい。いざってときにヒーラーがへたばってて死人が出るんじゃ、こっちもやり切れない」
赤毛で年嵩の男性が間に入ってくれた。30歳ぐらいだろうか。背中に矢筒と弓を背負っている。
「まぁ、傷薬代わりにはなるか」
渋々、ガウソルが頷き、部隊の先頭へと移動していった。
赤毛の兵士が自分とリドナーに目配せしてくる。
「ヒックスさん、ありがとうございます、助かりました」
リドナーが笑顔で告げた。
「まったく、そのお嬢さんを守りたいなら、もっと上手くやってくれ。隊長とはお前が一番長いんだから」
ヒックスと呼ばれた人が苦笑いで答える。あのガウソルが言うことを素直に聞くのだから、頼りになる人なのだ、とティアは思った。静かに頭を下げる。
「いいさ。ヒーラーを当てにしているのは俺も同じなのさ」
笑ってヒックスも分隊の中央辺りに向かっていった。
しばらく歩くとベイルの町を守る城壁が近づいてくる。
(怖いけど頑張らなきゃ)
ティアはいよいよ町の外へ出ることを思い、気を引き締めるのだった。