138 共闘2
「待ちたまえ」
しかし、ジェイコブにすぐ呼び止められた。
有無を言わせぬ声音に、渋々、リドナーは立ち止まる。
「私を守りながら進むのだ。町中でいきなり魔獣を呼び出すなどおかしすぎる。ガルムトカゲの時もおかしかった。5列横隊をきれいに作って魔獣が進軍してきたのだぞ?そして、私はその整列していたガルムトカゲを焼き尽くした張本人だ」
ジェイコブの言いたいことにリドナーは気づいてしまった。気付きたくはない。だが、理解してしまった。
「誰か、糸を引いてるやつがいる。そいつは、ティアちゃんたちを襲うために、まず、ジェイコブさんを始末する。強力な魔術が脅威だから」
げんなりしつつ、リドナーはジェイコブの思考を口に出して告げる。
「御名答。察しの良い生徒と話すのは楽しいな。君も美女だったら良かったのに」
誰が生徒だというのか。
(絶対になりたくない)
リドナーは思い、さらに女装した自分を想像させられて、本当に吐きそうになった。
(でも、たしかに強い魔獣があらわれたら、この人の魔術は必須だ)
だから、このとんでもないことばかりを口走る気持ち悪い変態を守らなくてはならない。残念ながら、リドナーは理解できてしまった。
「ジェイコブさんが、さっき『美女への見せ場』って言ってたのは、強い魔獣がいて、ティアちゃんたちを多分狙ってるから。治療院が戦場になる。ガルムトカゲがやられたから、きっともっと強いやつだし、今度はジェイコブさんの存在も頭に入れてけしかけてくるはずだから、ですね?」
そこまで考えたうえで最初のあの気持ち悪い一言を破顔して告げていたことに、リドナーは舌を巻く。
(頭はいいんだ、この人、頭だけは)
だが、自分も思考を追えてしまう、ということが、どうしてもなんとなくリドナーとしては嫌なのだった。
「はっはっは、本当に出来が良い。しかし、私の導きがあって、君もここまで考えられたということ。私には教師としての適性もあるのだろう。私も今度、どこかで教鞭を取ることとするかな」
冗談めかして、ジェイコブが言う。本当に機嫌良さそうにニタニタ笑っているのである。
(冗談のままで永久にあってほしい)
リドナーは切に願うのであった。問題だらけの教師の出来上がりだ。
「早く行きましょう、ティアちゃんを守りたいのも本音なんだから」
焦れったくなってリドナーは告げる。こうしている間にも建物の間から巨大な魔獣が顔を出すのではないか。或いは治療院の方に火の手が上がるのではないか、と気が気ではないのである。
「あの色気不足の幼児なら心配は要らん。幼体とはいえ、魔力過多の神竜様が一緒だからな。結界や障壁ぐらいは簡単に張れるだろう。むしろ、心配なのは私の方だ。それに、そもそも魔獣も襲いたくはないだろう、女性としての魅力がまるでないからな」
何がおかしいのか。自分の言葉に自分で笑い出したジェイコブ。
リドナーはあまりに腹立たしいので、無言でその脛を蹴りつけてやった。いい加減にしろ、というのである。
「ぐぅわっぁ!見たまえっ!このとおり、私は君がいないと無防備なのだ」
独特な悲鳴とともに、うずくまったジェイコブ。足を押さえたまま、痛い思いをさせてきた本人のリドナーに悪びれることなく言う。
「あなたが変なことを失礼に言うからでしょ」
呆れ顔でリドナーは告げる。本音を言うと剣でたたっ斬りたいのだ。
「君が女性のどこを見て良し悪しを判断するのかは知らんが、おおむね、あれは駄目だろう」
何食わぬ顔で、立ち上がってまたジェイコブが性懲りもなく告げる。なぜ賢いはずなのにこんなに愚かなのか、もはやリドナーにも分からない。
(もう一回、蹴られたいのかな)
リドナーはキッとジェイコブを睨みつけてやるのだった。
「もう、いいです。なんなら俺1人でも行きますから」
リドナーは歩き出そうとする。
今度は無言のままジェイコブが歩こうとしない。
(ほんっとうに、いい加減にしてくれっ!)
思い、リドナーは振り向くも、一喝はできなかった。
振り向いたところで首筋にぞわりと寒気がはしる。この一瞬で何かが、あらわれたということだ。
「まぁ、そう簡単にはいかんようだな」
杖を持ったジェイコブが、固まった自分の肩越しに何かを睨みながら告げる。
リドナーはゆっくりと振り向いた。
黒い雲に包まれた、家よりも大きな虎が立っている。毛並みも通常の虎よりも黒みが強い。
黄色い眼球が、自分たちの方を睨みつけていた。
「黒雲虎。これはまずい」
本当に危険なのか分かりづらい口調でジェイコブが告げる。
「四色の虎か。敵もまた難儀なものを呼び出してくれたものだ」
皮肉たっぷりにジェイコブがさらに告げる。
四色の虎、と言われてもリドナーには分からない。
「グオオオオオッ!」
黒雲虎が咆哮をあげた。
空気がビリビリと震える。
リドナーは耳をふさぎたくなる衝動をかろうじて抑え込んだ。
「まったく、弱くないのによく吠える」
ジェイコブがこぼした。
「うわっ!」
続いて、繰り出された前足の拳打をリドナーはすんでのところで躱した。攻撃が速く鋭いだけではなく大きい。ギリギリで避けようとすれば直撃してしまいそうだ。
「迂闊な回避はやめたまえ。私に当たれば、私が即死だ。倒せる人間がいなくなるのだから」
涼しい顔で告げるジェイコブ。いつのまにか、かなり後ろに退がっていた。
「そんなこと言ってる場合じゃ」
リドナーは次から次へと振り下ろされる前脚の殴打を剣でいなしつつ言い返した。
自分よりも遥かに強くて速い。ガウソルを相手にするのと同じだ。生き物として、リドナー自身が勝っている点など何もない。
「閃光をもたらせっ!」
短く何事かを詠唱していたジェイコブが叫ぶ。
閃光という単語で意図を察して、とっさに目元を守りつつリドナーは大きく飛び退いた。
ほとばしる閃光に黒雲虎が怯む。
「ここで戦闘になったと知らしめんとな。応援も来るだろうし、一般人も近づけないようにさせんと」
ジェイコブが珍しく適切な配慮を見せる。
リドナーは感心しかけたのだが。
「肉の壁はいくらいても足りないぐらいだからな」
やはりジェイコブはジェイコブなのだった。守備隊の応援に来た面々を自分の為の盾としたいだけなのだ。
「そんなこと言ってふざけてないで、早く仕留めないと」
リドナーは焦って促す。ティアのほうに別の魔獣が襲いかかっていないという保証はどこにもない。
「あれは魔術に強いのだ。他の色の虎はまた別だが。あの黒い雲がな、魔術への障壁の役割を果たす」
他人事のようにジェイコブが説明する。
誰が目論んでいるにせよ、しっかりとジェイコブへの対策も講じてきたということだ。
(くそっ、ティアちゃんっ)
まんまと足止めを食らっていることに歯ぎしりしつつ、リドナーは自らの前に立つ敵との戦いに専念するのだった。




