120 ガウソル釈放の是非2
執務室の中、ヴェクターとウィマーズが睨み合う。治療院のライカ院長が呆れ顔で肩をすくめ、ジェイコブに至っては無関心だ。
(噂は本当だったのね)
かつて若かりし日、ライカを巡ってヴェクターとウィマーズが恋の争いを繰り広げたのだという。
もう二十年以上も前のことであり、トレイシーはまだ赤子だった。
「司法のことはよく分からんが、シグロンのことはまぁ分かる。シグロンにしてみれば、もう神竜様やらティア嬢やらはどうでもいいだろう。甲冑狼とはそういうものだ。釈放したところで、神竜様やティア嬢をつけ狙うことはおそらくない」
ジェイコブが口を挟んだ。
(甲冑狼?シグロンってガウソルさんのこと?)
もろもろ初耳のトレイシーである。つまり話の流れからして、ガウソルか元甲冑狼だということだ。
(甲冑狼って、王都デイダムの特殊部隊じゃなかったかしら?いろいろ問題があったって聞くけど、結局、大活躍だったっていう)
自分も魔術師を正規にしていて、目にする書類や書物も一般人とはまた異なる。資料や噂話ぐらいは入ってくるのだ。
「やつは甲冑狼だ。魔獣と戦わせておくのが一番無駄がないだろう、とは思う。本人もそのつもりではないかと私は思うがな」
ジェイコブが淡々と告げる。まるで実験動物か何かのようにガウソルの話をするのだ。やはり不気味な男である。
「あたしもそう思うね。ドラコはまだ子供だ。魔力で大きくもなるみたいだが、大物を相手にさせるのは酷だよ。成長するまでガウソルのやつに戦わせるのが理想的さ」
ライカも頷いて同調した。包み隠さず利用しようというつもりなのである。ある意味、潔いと感じるぐらいだった。
「あたしらの都合だけで言えばね。ドラコが成長するまでガウソル、成長しきったならドラコに町を守ってもらうっていうのが、一番都合がいい」
さらにライカが言う。ただ少し嫌そうな顔をしていた。本音では自分の言葉を嫌悪しているのかもしれない。
(でも、確かにそのとおりだと私も思う)
トレイシーも納得していた。
(なんだかんだ、私たちは死にたくないし、自分が大事だもの)
魔獣に町を荒らされるわけにはいかないのである。
「しかし、ライカ。暴行罪が成立すれば法律に基づいて、ガウソルを投獄するしかない。リベイシア帝国は婦女への暴行にはかなり厳しいからね」
ウィマーズが水を差すようなことを言う。
「ガウソルがいれば大勢が助かる。それにさっきからウィマーズ、人の妻を呼び捨てにするな。馴れ馴れしい」
ヴェクターが顰め面のまま告げる。
また睨み合いになる両者。
うんざりした顔でライカが間に入る。
今でも勝ち気で気風がよく、憧れてしまうような大先輩だが、昔はさらに若々しい美しさに溢れていたのだという。トレイシーも噂で聞いていた。
「ウィマーズ、あんたのことは若いときにコテンパンに振ってやっただろう。ちゃんと告白してきた度胸は買ってやるけどね。あんたとは気が合わなさすぎるってんだよ」
結局、再度ライカにきっちりと振られてウィマーズが轟沈した。
「この場でガウソルの釈放に反対しているのはあんただけさ。留置場の中でただの置物にしとくにはあまりに惜しい戦力だよ」
ライカがウィマーズを見据えて告げる。
「だが、司法を別件のために利用して、蔑ろにするのはやはり良くない。この件では良くても、長い目で見れば決まり事を守らない人間が増え、悪影響を及ぼすだろう。たった1つも例外があってはならん。例外が前例となり、そして、そこから崩れていくのだからな」
ウィマーズがそれでも裁判長としての意見を述べる。私情で反対しているわけではないのだ、とこの場にいる皆が分かる話し方だった。
「法は確かに人を規制する部分もあるが、それ故に守ってくれているものでもある。そこを忘れないでほしい」
さらにウィマーズが言うのであった。
「それは道理だが、実際に魔獣が町に迫っていても法がどうの、などと言ってられると思うのか?」
ヴェクターが腕組みして告げる。所詮は安全な位置にいるから言えることだ、と言いたいらしい。
「そうならないために守備隊があるのだろう?問題のすり替えだ。ガウソルの暴行罪は、それはそれとして法のとおりに裁かれるべきだ。魔獣との戦いの問題で釈放を決定すべきではない」
ウィマーズが頑固な顔で言い放つ。
「やれやれ、まったく。水掛け論でまるで埒があかないな」
うんざり顔でジェイコブが口を挟む。
(散々、人のことジロジロ見ててよく言うわよ)
トレイシーは同じくうんざりした顔をジェイコブに向けてやった。
「おい、美女トレイシー。貴様はどう思う?」
だが、目があった、とでも勘違いされたのか。唐突にジェイコブが自分に話題を振ってきた。
「え、私?」
他の3人も一斉に自分を見るのだ。戸惑いをトレイシーは隠すことが出来ない。
「誰だい?あんたは」
訝しげにライカ院長が尋ねてくる。
「私の目の保養だ」
まったく紹介してくれないジェイコブ。だが、何かを察したのか、ライカが気の毒そうな顔をしてくれている。
早速、味方が1人増えたように思えて、トレイシーも気を取り直す事ができた。
「魔術師のトレイシーです。杖を人質にこの会議への参加を強制されました。そこの変態に」
仕方なく自己紹介することとしたトレイシー。『変態』と名指しされてもジェイコブが無反応である。自覚がありすぎるのか無いのか微妙なところだ。
「私も、裁判長のおっしゃることは正論だと思いますが。いざガルムトカゲを目の当たりにすると怖くて。ガウソルさんのような戦力がいれば、と切実に思いました」
出来れば法律を曲げて欲しい。そこまでは言えなかった。山岳都市ベイルが無秩序になる、その一端を作ることはたしかに避けるべきだから、だ。
「例えば平時と非常時に分けるとか、一種の労務みたいな形でガウソルさんに戦っていただくとか、そういうのは駄目なんでしょうか」
トレイシーも自分の意見を告げてみる。
「ほう、頭が柔らかいな、美女よ」
偉そうに変態が告げる。
「そりゃいいね。よし、あとはどこからが非常時でどこまでが平時か。男衆でつめときな。ほれ、トレイシー、行くよ」
ライカ院長が全面的に自分を支持してくれて、トレイシーの手を引いて、男性陣を執務室に置き去りとしてしまう。
「あ、あの、ライカ院長樣」
トレイシーは戸惑いつつも、独特な会議の雰囲気やジェイコブの遠慮も配慮も何もない視線から解放されて安堵する。
「あの変態。うちの娘だけじゃないとはね。体よく助けてやるよ。見てらんないよってんだ」
プリプリしながらライカに救われて、トレイシーは何かあれば、治療院を手助けしよう、と心に決めるのであった。




