118 呼び出し
当代のブランソン公爵というのは、娘二人と比べ、あまりに凡庸な人物だ。つくづくカレン・メルディフは思うのであった。
(1度目の僥倖は霧散して、2度目の方は自分で潰した。自業自得ね)
カレンはメルディフ公爵家の屋敷、寛ぐための娯楽室で紅茶を嗜んでいた。妹のリーリィが学園に行ったため、静かである。
「皇帝の外戚、なんて器じゃないわね」
口に出して呟いた。巧妙に立ち回れば芽はあったかもしれないというのに。
「さすが殿下だ」
肩を回して父のメルディフ公爵が娯楽室に入ってきた。いつも通りお疲れらしい。
「また、根を詰めすぎているのではないですか?お父様」
カレンは優雅な仕草で立ち上がり、父の肩を揉んでやる。ちょっと驚くほど硬い。働き過ぎだ。
「久しぶりに、やり甲斐のある情勢なものでね」
ニヤリと笑って父が返す。
「訪れた先での施策も評判が上々なら、魔獣を行った先々で射殺しているらしい。住民からの支持も人気も増す一方だそうだよ」
メルディフ公爵が嘆息して告げる。
ご活躍ではあるらしい。聞く限り、カレンの予想も超えていた。諸般の能力自体は高いこともあって、やることなすこと、巡視については上手くいっている。
「ティアさんを連れ戻そうとさえしなければ、すべて上々のままで終わるんですけど」
肘で肩のツボを押しつつ、カレンは恨みがましさをこめて告げる。
「そこに着手すれば、今ある称賛も掌返しで嘲笑に変わるだろうな。1度は破談した相手を連れ戻しにいけば、リベイシア本土からは未練がましさを笑われ、ティダールの民からは本当の目的はそれか、と落胆される。まさに愚の骨頂だよ」
腕組みして父が告げた。姿勢を変えるとツボがずれる。
「いてて」
ちょうど骨に肘が入ってしまった。父が悲鳴をあげる。
「もう、大袈裟なんですから」
カレンは苦笑いを返すのであった。
(本当に不思議な御方)
ルディ皇子という人間の珍妙なところだ。優秀さを見せておいて、当然に分かりそうなことが分からないのである。
(別にティアさんのこともそこまで好きそうには見えないのだけれど)
本当に好きなら、先に山岳都市ベイルに行って、ティアを連れ戻してから戻ってきそうなものだ。最奥なだけに、他の都市には帰りながら寄ればいい。名所などもあるわけだから場所によっては女子も退屈はしないだろう。
(例えば私は殿下とそんな旅がしたいかしら?)
なんとなくカレンは自問する。もやもやとはするものの、答えは出なかった。
(まぁ、ティアさんのこと。偽装でやってるなら殿下も大したものだけど。そんな感じもしないのよね)
当然のようにティアのことを後回しにして、他の都市の巡視を優先しているのだった。
(だから周りには、巡視のためだけの行程に見えているから、なおのこと、成果は今のところ上々)
カレンは思いつつ父の指圧を中断した。少し疲れたのである。
自分も自分で恋文の1つもルディに送ったことがない。淡白なことでは似たようなものなのではないかとも思う。心を動かしたことなどないのだから。
「陛下には出来ないことですから、魔獣の駆除なんて」
あまり皇家には武辺者が歴代には出なかったらしいから、ルディのような人間が珍しいのである。父親である現皇帝では少人数のティダール巡視など考えられない。現皇帝もルディの武芸については鼻が高いようでもある。
(そういえば、レティ様が亡くなったときも、ついていきたいと、そう仰ってたわね)
まだ少年の年代であった当時のルディにティダールの王都での戦いは無茶だった。今ならまた、どうかはわからない。
(今、殿下にしか出来ないことに着手している、とも言えるのよね)
自分にとってルディとは何なのか。またカレンは考え始めてしまう。
ただの政略結婚の相手であるべきであって、好意は無いと思っていた。
(何より、殿下自身が私の方を1度だって向いてくれたことはなかった)
ルディの中には大聖女レティしかおらず、だから自分も恋愛対象として見たこともない。自分が好きではないから向こうも歩み寄れない、お互いにそんな距離感なのだが。
(私の方はしきりに心配しては諫言ばかり)
カレンは内心ため息をつくのだった。胸の奥でチクリと刺すものがある。
「殿下から派兵の要請も来ている。特に何かあって、というよりもご自身で実地を見て、必要と判断されたらしい。付近に領土を持つ貴族全てに、公平に要請しているね。私が見る限りでも」
出立前にもティアのことで若干の言い争いをした。
(つまらない、意趣返しをする人ではないものね)
カレンは少し安堵もしていた。何にかはよく分からない。
「ただ、私は兵士とは別に、殿下ご自身のところに腕利きを送り込んでやろうかと思うのだが」
父が告げる。名案だとカレンも思う。
ルディの得物は弓矢であり、あまり剣の方は得手ではない。どうしても距離を詰められると危険なので護りが多いほうが安心だ。
「ジャクソンさんがついてますけど」
一応、カレンは告げておく。
「皇都で人間相手ならともかく。ティダールの最奥にまで行くとなるとね」
従者のジャイルズも事務面ではともかく、その点ではまるで役に立たないだろう。
「では、グラムさんがよろしいのでは?」
領地の方にいる、メルディフ公爵家配下の手練れ。特に腕のたつ兵士の名をカレンは挙げた。
父が頷く。満足げだ。
「奴ならば、すでにかなり先へ進んでしまった殿下に追いつく足の速さもあるしね」
試されていたのかもしれない。女だてらに自分も領土には定期的に帰って運営の手伝いはしている。人材も把握していた。
「でも、お父様、ずいぶんと積極的に殿下をお助けになりますのね」
カレンは首を傾げて告げる。
「殿下のおかげで、ティダールのこちら側はかなり落ち着いたからね。現地人の執政やリベイシアから送り込んだ代官との調整までしてくれている。あれはかなり助かるのだよ。地味だがね。これで誰と私も話せばいいか。都度はっきりして細かいところが楽でいい」
父が言葉を切って、カレンを見る。そしてニヤリと笑った。
「それに、少しは恩を売っておいてやろうかと。なんだかんだと殿下を気にかけるではないか。お前は」
諫言ばかりで疎んじられているだけではないか。
なんとなく頬に熱いものを感じて、カレンは横を向く。
「レティ様がご存命なら、私の出る幕などありませんでしたわ。私が気にしているのは帝国の安寧です」
かつてはリベイシア帝国でも女性に満足な教育をしていない時代もあったらしい。
だが、自分は学び、口出しする知恵と知識ぐらいは身につけている。
(だったら、より良い方向へ行くために使うのがスジじゃないの)
常々、カレンが自分に言い聞かせていることだった。
「だが、もういないんだから、殿下もお前ももう少しお互いを見ても良いと思うがね」
父がさらにため息をついて言う。
パタパタと足音が近づいてくる。屋敷内を走るなど慌てた時のリーリィぐらいしか考えられない。だが、少し波長が違う気もする。
「閣下、カレン様」
やってきたのは初老の執事である。いつもなら落ち着いて澄ました顔をしているのだが。
「陛下からの呼び出しです。使いの方が皇城へお越しください、と」
珍しいことではあり、執事が慌てるのも分かる。
カレンは戸惑いつつ、父と顔を見合わせるのであった。