117 皇子の現状2
ルディの乗る馬車は特別仕様である。屋根の部分が真っ平らであり、外付けの梯子によって上へ行って立っていることが出来る作りだ。狙撃用の高台を兼ねているのである。
黒塗りの長弓を手にしたまま、身軽に梯子を登って、ルディは馬車の屋根上に立つ。
従者であり文官のジャイルズも扉の辺りに矢筒を持ってきて立つのが見えた。
「ジャイルズ、矢を。一矢でいい」
差し出された矢を受け取った。
黒い長弓に矢をつがえてルディは構える。
心気が澄んでくるのを感じた。ティダールのことも自身のことも、結婚やカレンのことも頭から抜け落ちていく。
いつもながら不思議な快感だった。
(ドクジグモ、この馬車ぐらい、か。大きさは)
街道を茶色い巨体が横切る。素早く、影としか見えない。横切って街道脇の森に身を潜め、しばらくしてもう一度あらわれる。用心深そうでいて、狙われているとは思ってもいないのではないか。
襲いかかろうというものの傲慢が感ぜられる。
「実際のところ、貴様は丸見えなのだ」
知らずつぶやいていた。
「お見事」
続いてジャクソンの称賛する声が聞こえる。
いつの間にか矢を放っていた。急所である頭部を射抜いたのが遠目でも分かる。道の真ん中で動かなくなっていた。この後は火矢でも放って燃やしておけば毒もいずれ無力化出来るだろう。
ほうっとルディは大きく息をついた。
「大した敵ではないし、魔獣の問題は常に数、なんだ。ジャクソン」
しばし高台の上から辺りを警戒してルディは告げる。
もし他に近づいてくる魔獣がいるなら、事のついでに片端から射倒してしまおうと思う。感覚も自然、鋭敏になっていた。
「そう、おっしゃれるのは殿下だからですよ」
苦笑いして馬上のジャクソンが応じる。
結局、他に近場の魔獣はいないようだ。やはり、はぐれものを一匹駆除しただけのことであった。
ルディは弓を背中に担いで屋根から降りる。また馬車の中に戻って1人椅子に腰掛けた。
幼い頃から弓術に天賦がある、とされている。実際のところは、修練も欠かさずにいる賜物だと自分では思っているのだが。
1日の中でどれだけ政務が忙しくても、矢を射る時間を設けなかったことはない。だが、なぜか矢を射る分には狙いを外さないのに、剣を振ると空振ったり、構えがおかしかったりするので、やはり才能も左右しているのかもしれない、と思い直した。
(矢の突き立つ相手なら、たとえ竜種でも、私は鱗ごと貫いて見せるというのに)
椅子に座ったまま目を閉じてルディは呟く。やはりレティの顔が浮かぶ。続いて、どうだ見たか、とカレンに言ってやりたかった。あの女は自分を無能力だと思っているのではないか。言葉の端々からそう感じられるのだ。
「いや、今の私ならたとえ邪竜王でも。鱗を射抜いて倒してみせる」
知らず口に出してルディは呟いていた。考えても栓のないことだ。もう、邪竜王は大聖女レティと相打ちになって消えたのだから。
(本当は私も剣を使えるようになりたかった)
そうすれば大聖女レティとともに、デイダムでの戦いに参加させて貰えていたかもしれない。さらには恋人を守りぬくことも、この手で出来たのではないか。
得物が弓だから、飛竜との乱闘には参戦を許されなかった。本当の理由かは分からない。皇族だから、ということも当時の腕前では単純に不足だったからなのかもしれないが、直接言われた理由がそこなのだった。
距離を詰められればただ殺されるだけではないか、と父に止められたのだ。
剣術ではなく弓矢の方に天賦があった、というのは自分ではどうにもならないことだった。
(授かった才能を、文句を言わずに使え。あの女ならそう言うのだろうな)
カレン・メルディフである。
大聖女レティであれば、柔らかく微笑んで『私が殿下の分まで戦いますから。人助けしてきますわ』などと言ってくれていたものだ。
(ティアには、そういえば何も弓の話をしなかったな)
自分が弓を使えることすら知らないのかもしれない。自分も率先して腕前を見せようとは思わなかった。急遽する羽目になった皇妃教育と学業に忙しくて、ティアとしてはルディの弓矢どころの騒ぎではなかったのかもしれない。
「殿下、次に訪問するのは鉱山都市のビクヨンですが」
ジャイルズが馬車の外から声をかけてきた。
馬のための小休止らしく、いつの間にか動きが止まっていることに、ルディも気付く。
「ビクヨンでは現在、狼型の魔獣の群れが、出没しているのだそうです。鉱山事業もそのため、停滞しているのだとか。鉱夫たちも生活に苦しくなってきた、とのことです」
ジャイルズがさらに説明してくれた。
(まったく、どこの町でも魔獣に悩まされているのだな、ティダールという土地は)
ルディは思うのだった。
旧王都デイダムでもシャドーイーグルなる大型の猛禽類が山に巣食って、住民たちが難儀していたものだ。
だから、片端から見かけるたびにルディの方で射殺して殲滅している。100羽近くいたようだが、弓を使う自分と相性が良かったのでさほどの苦労もなかった。執政の行わせた調査でも完全に殲滅できていたとのことで、あの歓待の理由もシャドーイーグルを駆除したからなのかもしれない。
「私が片端から射殺してやる。そして、鉱夫たちへの鉱山再開までの生計の補助を準備しておきなさい」
ルディは告げて、ビクヨンでは何を民のために為そうかを考えている内に、またティア・ブランソンのことを失念してしまうのであった。