114 予言者2
「魔法剣士マイラさんですね」
若い男の声で話しかけられた。
振り向くまでもない。得体の知れない気配が接近していることにぐらい、とうに気付いている。強い魔力の持ち主でもあって、挨拶のつもりなのか、まったく気配を隠そうともしていなかった。
「どちら様?随分、凶悪そうね」
酒を眺めたまま、マイラは告げる。
(邪悪ではあるけど、害意は無い、か)
腰には剣を吊っている。いざとなれば斬り捨てるまでのことだった。
断りもなく、マイラから1つ空けた、隣の席に男が腰掛ける。
(賢明ね。シグでもないくせに隣になんか座ったら、片腕、斬り落とすつもりだったから)
凶悪なのは自分のほうかもしれない、とマイラは思い直すのだった。
若い男の声ではあったが確信はない。真紅のローブに身を包んでいて、顔まで目深に被って隠している。人相のほどは伺い知れないのだった。
「先日、ガルムトカゲがジェイコブ師に撃退されてしまいました。神竜は出てくることもなかったのですがね」
いきなり男が切り出した。
自分の問いかけを無視した格好だ。
そんなことを許すわけもないのである。
「どちら様?」
もう一度、マイラは尋ねる。いかなる感情も声音には滲ませなかった。
名のりもしない人物と会話をしてやるつもりはない。ゆえに感情などで読ませてやるつもりもなかった。
(まぁ、斬るまでもないかなって、私が思うところを絶妙についてくるわね)
無論、それでも本当に気に入らなくなったら、容赦なく斬り捨てるだけのことである。
「これは失礼を。申し訳ありません。私のことは予言者とでも、ご記憶ください」
慇懃に男が言う。なんとなく、ローブの中で笑っているのではないか、と思わされる。
(名前じゃないじゃないのよ)
当然のことをマイラは思う。
いかにも胡散臭い男なので思わず視線を向けてしまった。やはり赤いローブということ以外は分からないのだが。
(ま、どうせ大した名前じゃないんでしょ)
実力の方も、直接戦えばマイラには、容易く倒せる程度の相手だと分かる。
(ただ、滅多に最近じゃ見かけないぐらい、凶々しい)
凶悪だ、と言ったのにも根拠のないわけではなかった。
マイラは思いつつ、一口、酒を舐める。いつもどおり不味い。美味いと思ったことなど1度もないのだが。
「神竜は治療院よ。こんな酒場にいるわけないでしょ。今頃、飼い主と一緒にちやほやされてるんじゃないの?」
そっけなくマイラは告げる。口調に剣呑な気配を盛り込むことも忘れない。
護衛についているのはリドナーくらいのものだろう。
(あんた程度でも、頑張れば攫うことぐらいなら出来るんじゃないの?)
五分五分というところだろうか。男とリドナーとを天秤にかけてマイラは思う。ジェイコブが後は助勢するかどうか、というところだが、接近戦を不得手とする弱点もある。
「私の目当ては神竜などではない。元甲冑狼のシグロン・ウィーバー様にね、お目通り願えないかと思ったのですよ」
昔の名前でガウソルのことを呼んだ。
敬意をしっかりと含んで告げているところがマイラの気に入った。凶々しいが、逮捕した礼儀知らずに恩知らず共より何倍もマシだ。
「この町のチンケな留置場にいるわよ?あの人、優しいから、おとなしく勾留されてあげてるんですって。会いたいなら破っちゃえばいいわよ。手伝ってあげようか?」
けらけらと笑ってマイラは告げる。
実際のところは細かいところをガウソルが気にしないだけなのだが。
別に誰がガウソルに会いたいと言おうとも構わない。最後に隣にいるのは自分なのだ、ということだけだ。
「恋人のあなたの機嫌を害してはなりませんから。何をするにしてもね、この山岳都市ベイルには今、実力者が多過ぎる。さらにはまた一人、この町に迫っているのだから」
その1人が誰なのか、マイラにはとんと見当もつかないのだが、ガウソルに会うに際して、自分に話を通すべきだ、という考え方は気に入った。
「殊勝なことね。悪くないと思うわよ」
マイラは困惑顔の店主と目があった。気色の悪い話し相手の登場に怯え、壁際まで下がっている。酒を出してやろうという気もないようだ。
「店主、この男に酒、出してやりなさい。私が奢るから。知ってるわよね、私、お酒苦手だけどお金だけは余るほど持ってるのよ」
金に困ったことはない。
末端とはいえ皇都の貴族に生まれた。剣と魔術、ともに高度な特性があり、とのことで大聖女レティの護衛に抜擢されて、ともに育てられたのだ。護衛としての収入も大聖女レティ没後のルディ皇子に使われていた時の収入も、ほぼ貯金している。
(そう、お金はシグに出会ったときから、シグとの生活資金にするつもり)
幼い頃、自分が心から強いと評価したのはレティとルディだけだった。それまでは周りが弱過ぎて女性だと自身を認識することすらない中で、圧倒的な生物のガウソルと出会ったのである。
「いや、お客さん、もう、その人」
店主がおろおろとみっともなく告げる。
既に背中を向けて、店の出口に予言者とやらが向かっているところだった。
「マイラ様には許可を頂けそうなので、私はこれで失礼します。一応ね、私、下戸なのですよ」
やはり、ローブの内側で微笑んでいるのかもしれない。
予言者が扉の前で歩みを止めた。
「あぁ、そうそう。次はもう少し強力なのがこの町を襲いますよ」
男が背中を向けたまま告げる。
予言というよりは予定なのだろう、とマイラは理解した。
(魔獣使い。言うなれば。そんな人種なのかしら)
膨大な魔力の割に弱い。魔力の大半をそこに費やしていて、魔獣を操る技術をどこかで修得したのだ。
(当然、多分、真っ当な手段じゃないんでしょうけど)
マイラは酔っていながらも、冷静に考えを巡らせていた。
「なるほどね、さすが予言者さんね」
代わりにマイラは相槌を打った。
「私は主導権を握っている。だから、話す内容が予言と言える。ゆえに、自身を予言者と、そう、自称しております」
振り向いて予言者が恭しく頭を下げる。
そして店を出た。
「迷惑な客ね」
何も注文せず、ただ嫌な気配を撒き散らしただけの男。
たった1杯の酒で何時間も居座る自分を棚上げにして、マイラは店主に告げるのであった。