110 懇願
体内にためたティアの魔力を解き放ち、ドラコの身体が緑色の光に包まれる。
「おお」
ジェイコブが声を上げる。珍しく、手放しで感嘆しているようだ。
光の中でドラコの首がすらりと伸び、手足も太くがっしりしたものへと変貌を遂げる。
「コオオオ」
若竜へと姿を変えたドラコが窮屈そうに身を縮めていた。待合室の天井が成長したドラコにとっては低いらしい。翼も折り畳んだままだ。
「ドラコ」
ティアはビョルンを指差す。
「キュウウ」
分かっているよ、と言わんばかりにドラコがビョルンを見つめ、光の粒を口から放射する。
ビョルンの患部へと降り注ぐ光の粒子。ただれた火傷の跡が綺麗に消えていく。切迫していた呼吸も安らかなものへと変わる。
「すごい、ドラコ」
回復魔術リカバーを生まれて初めて目の当たりにしてティアは声を上げる。
姉の大聖女レティですら使ったところを見たことがない。姉が得意としていたのは主に破邪の神聖魔術なのであった。
「キュピィ」
だが前回と違って、ビョルンの火傷を治すなり、ドラコの手足が縮んで元の幼竜に戻ってしまう。
「やはり、リカバーは消耗が激しいようだ。治療としてはかなり無茶な部類に入るのだから。ホーリーライトなどとはワケが違う」
ジェイコブが知った顔で頷きながら言う。
ティアはレンファとともにビョルンの容体を確認した。
「すごい、完璧。あの火傷をここまで完全に、多分後遺症もないし、跡も何も残らないと思う」
レンファが嘆息して言う。
「さすが神竜様ね」
そして更にレンファがドラコの方を見て告げるのであった。
「ビョルンッ!神竜樣っ!」
ビョルンの両親や恋人が涙を流して感謝の言葉を並べ始めた。
(私は失敗した。でも)
悔しさも残る結果だが、ビョルンの家族たちの手前、ティアも微笑むしかなかった。
遅れて医師たちやネイフィ始め応援のヒーラーも到着する。ビョルンのことは、遅れてきた面々に引き継ぐこととなった。
「さて、この町はこれからどうするのかな?ビョルンとやらにとっては良かったようだが」
おもむろにジェイコブが切り出した。
何のことを言っているのかティアは気付かない。だが、意図を察したのか、リドナーがドラコを見て、ハッとする。
「ふむ、そこの貧相なヒーラーの娘よりも、君は察しが良いようだ。私もすぐに分かると思わずに、まぁ、思わせぶりに敢えて言ったのだが」
偉そうにジェイコブが言う。
わけの分からないティアはリドナーを見上げるばかりだ。
「ガルムトカゲ、5匹を倒すのに、少なくともドラコはもう、動けない」
沈んだ声でリドナーが説明してくれた。
ティアはハッとする。
(でも、そもそも)
ティアとしてはドラコを最初から戦わせようという発想が無かったので、複雑な気分である。
「たとえガルムトカゲといえど、神竜様のホーリーライトなら鱗もたやすく貫けるだろう」
淡々とジェイコブが説明する。
自分がしくじったせいで、リカバーのために魔力を消費させてしまった。
「果たして、たかが5匹といえど、この田舎町の守備隊にガルムトカゲが倒せるかな。軽く回ったが大した魔術師もいないようだし」
他人事のようにジェイコブが言う。
リドナーが唇を噛んでいた。どうやらかなり厳しい戦いのようだ。
「ガウソルがいれば早いが。奴ならば殴り倒すなり引き千切るなり、簡単に始末するだろう」
皮肉な口調で、ジェイコブが言う。
まだ勾留期間中という期間らしく、留置されているガウソル。何かあればガウソルを頼るというのでは、今後ガウソルがいないと町が回らないということとなるだろう。
「それは、だめです。何かあれば、ガウソルさんに頼るなんて」
ティアはリドナーとジェイコブとを見比べて言う。
「だめだ、ティアちゃん。ほんとに手がもうない。こんな大物が纏めて出てくるなんて、ここ数年、無かったんだ」
リドナーがため息をついて切り出した。さらに説明を続ける。
「マイラさんも町にはいるみたいだけど、音沙汰無いし。確かにガルムトカゲみたいな大型の魔獣には、突破口になる怪物級の人がいないと、犠牲が出過ぎる。ビョルンみたいな人を増やすくらいなら。他に選択肢あるなら使うべきだよ」
ビョルンのことを言われるとティアも弱い。だが、引っかかるものが1つあった。
「ジェイコブさん、助けてください。あなたも、すごく強い。さっき、たかがって、ガルムトカゲのこと」
ティアはジェイコブを見据えて告げる。
こうして向き合っていても強い魔力を感じるのだ。魔力量だけならマイラやガウソル並みに強いのではないか。
「私はだめだ。肉体的には並以下だから。何かされればひとたまりもなく死ぬ」
無表情にジェイコブが言う。
「じゃあ、安全なところから魔術を撃つだけとかなら、簡単に倒せるってことですか?」
城壁もあったはずだ。素人考えだが、ティアは提案する。
「はっきり言おう。私は君みたいな子供から懇願されても、何もそそらない。つまりはやる気が出ない」
ジェイコブがレンファを見つめていた。
ティアのような子供にも分かる、嫌らしい視線だ。
(こんな時になんて人)
ティアは呆れてしまう。
レンファもジェイコブの眼差しに気付き、自分で自分を抱くようにした。
「わ、私からもお願いします。もし、出来るのなら、この町のためにガルムトカゲを倒してください」
レンファが何か我慢してジェイコブの眼差しを受け止めて依頼した。
ジェイコブがニチャァっと破顔する。ティアは見ているだけなのになぜだか背筋にゾゾゾっと寒気を感じた。
「ガルムトカゲ5匹程度を消し飛ばすのは私ほどの魔術師ともなれば容易い。一方的に攻撃する分には簡単だ。君のような美女には、ぜひどこかで観戦してほしい。それで私も意気が上がるというものだ」
満足気に去っていくジェイコブ。
(あ、見返りとかはいいんだ)
ティアは肩透かしを食らったような気分だった。
なんの要求もジェイコブがしていなかったからだ。
「ちょ、ちょろいわよね?頼むだけでいいなんて。ほら、もっと変なこと、ほら、言いそうだから」
レンファもなにかいろいろな覚悟を決めていたのか。しどろもどろで、ぎこちなく笑う。
「とりあえず、俺も行くよ。ガルムトカゲ以外の魔獣も多かったから」
リドナーがティアの手を軽く握ってから立ち去っていった。
(わたし、役に立てなかったな)
ティアは情けなく思いつつも表には出さず、リドナーを見送るのであった。