11 養父ガウソル
(みんな驚くから殺気はだめですよ、って前に言ったけどさ)
ティアと別れて仕事場である第26分隊の詰め所へ向かいながらリドナーは思う。守備隊の制服を身に纏う自分に対し、行き交う人が時折、手を振ってくれる。だから、リドナーも笑顔で振り返すのだが。
(みんな、まだ、隊長への恩を忘れてないんだな)
山岳都市ベイル守備隊の第26分隊分隊長ガウソルを知らないベイルの人間など、本当はどこにもいない。この間のチンピラも殴る前にガウソルの名前を出していれば、殴るまでもなかったのだ。
「よりによってティアちゃんに絡むんだもんな」
リドナーは怯えていたティアを思い出して呟く。
5年前、ティダールの王都デイダムからここ山岳都市ベイルへと、ガウソルと2人、リドナーは流れてきた。
(今の俺なら、あの時より役に立てたのかな?)
あのとき、自分はまだ弱冠11歳、戦いに出られる年齢ではなかったのだ。
ロックウォーリアーという灰色の熊型の魔獣に山岳都市ベイルは襲われていた。他にも小さな熊の集団も付き従っていて。
見上げるばかりの巨大熊をガウソルがほぼ単身で倒したのだ。邪竜王にこそ劣るものの、『山の魔王』とも称されるほどの魔獣を、である。
(町の人たちはガウソルさんへの感謝をまだ忘れていない)
大聖女も神竜もいないが、まだガウソルがいる、というのが山岳都市ベイルの治安の良さに繋がっていた。ガウソル本人は『人を指導したり指揮したりすることは出来ない』と言って、未だに分隊長に甘んじているのだが。
(まぁ、実際、出来てないんだけどさ)
思い、リドナーは苦笑いだ。
(一軒家どころか、すごい暮らし、本当は出来るんじゃないかな、ガウソルさん)
リドナーはガウソルとともに借りた、山岳都市ベイルの賃貸物件、その2階で暮らしている。つまり貸家住まいなのであった。当初は1階と繋がっていて、ガウソルと2人暮らしをしていたのだが。
自分が長ずるとともに、ガウソルが家主とかけ合って2階に新しい入り口を作り、直接1階を経ずに出入りを出来るようにした。『独り立ちしろ』ということらしい。
「また、魔獣討伐か。しばらく会えなくなっちゃうな」
ポツリとリドナーは呟く。ティアとのことだ。
ネブリル地方から侵入してくる魔獣が増えている。間引きをするのも大事な仕事だ。午後には各隊の主要な人物での話し合いが予定されている。
今日は家に寄らず、直接、ベイル守備隊第26分隊の詰め所へと向かう。
決して大きな建物ではない。赤い屋根の小屋と広い訓練場を備えている。
「今日もまた、愛しのティアとやらに会いに行ったんだと思っていたが。もう交際でもしてるのか?」
執務室へ入るなり、開口一番、皮肉たっぷりにガウソルが言う。あまり皮肉も上手くない。
「ティアちゃんと正式に付き合うことになったら、紹介しますよ、ちゃんと。隊長、俺の親父なんだから」
リドナーは笑って言い返してやった。
一応、正式に養父養子という間柄ではある。誰であれ、交際する女性ができたら紹介するつもりだった。
(でも、隊長、ティアちゃんのこと嫌いみたいだからなぁ)
出会ってからの様子をリドナーは思い出す。
一言も口を利いていなかった。いくら愛想がないとはいえガウソルにしては珍しい。目を合わそうともしていなかった。
(むしろ睨んでたな)
今になれば多少思い当たる節もあるが。最初のうちは何がなんだか分からなかった。
「俺が養父ってことで拒否権あるなら、あの娘はやめておけって、心の底から言っておく」
さらにガウソルが真面目な顔で言う。
「それは嫌です」
笑ってリドナーは宣言してやった。
ただただ、ため息を返すガウソル。
「なんでそんなにティアちゃんのこと、嫌うんですか?」
ある程度、予測はついても、リドナーには聞かずにはいられなかった。幸い、今、詰め所には自分とガウソルしかいない。他の皆は外回り中のようだ。
「もう、ベイルの町じゃ結構な評判だろう。治療院に可愛いヒーラーがいるってな。若い連中の話すことなんて、そんなのばっかりだろ」
自分もまだ21歳のくせにガウソルが言う。
「お前みたいに剣術以外からきしなんてのはな、遊ばれて終わりだ」
挙句の果てにとんでもない言いがかりをつけられてしまう。なお、頑張って考えた説得というのが『リドナーにティアが遊ばれる』ということらしい。
「そんな子じゃないですよ。むしろ、俺のほうが熱上げて押しかけてるんだから。普通、そっちを怒りません?」
墓穴を掘っているような気もするが、リドナーは指摘する。迷惑をかけているのは自分の方なのに、ガウソルが心配しているのも自分のことなのだ。
「お前は何も知らんから、そんな一途に好いた惚れたが出来るんだ」
ガウソルが心配しているのはやはり自分のことなのだった。この言葉で確信する。
「ガウソルさん、俺、ティアちゃんが大聖女様の妹なの、知ってますよ」
一応、きちんと言っておこうと思った。自分もティアも、もう子供ではないのだ。
ガウソルが目を見張る。
「なんで知ってる?」
低い声でガウソルが尋ねた。
「本人から聞きました。内緒でって。でもベイルに来てからずっと親しくしてくれるからって。知ってもらいたいって」
リドナーはティアの様子を思い返して告げる。
悩んでいるようだった。本人にとってはあまり嬉しいことではないようで。
今までの態度からして、ガウソルがティアの素性に勘付いていたのは間違いない。話と名前、顔からだけでもう分かっていたのだ。自分にまで交際するな、という思考の経路だけがよくわからない。
(隊長にとって、大聖女様、特別みたいだもんな)
直接、どんな関係なのかまではリドナーも知らない。
「はぁ、絶対に他言するなよ。騒ぎになる。それも面倒なやつだ。気付いた人間はな、みんな、黙ってるんだ」
たしかに全く知られていない、というのも不自然だった。
「気づきそうな人間に、隊長が口止めしてるんじゃないんですか?」
特に否定も肯定もしてこない。じとりとした視線をガウソルが返してくるばかりだった。
(するわけないな。逆にされてるのかも)
リドナーは言ってはみたものの、そう思って否定した。おそらく口止めしているのは別の誰かだ。
しばらく沈黙する。
また、ガウソルが口を開いた。
「あとな、そういうことなら、尚の事分かるだろ?お前とはな、あの娘は身分があまりにも違う」
次に出てきたのは、ガウソルにしては分別くさい言葉だった。だが、そういうこと、とはどういうことなのか。
「身分?」
リドナーはわざと訊き返す。普通こういうときは『住む世界が違う』と言わないだろうか。
「あの娘は大聖女様の妹で、公爵令嬢のはずだ、確か。一守備隊の剣士なんてな、からかわれてるんだよ」
またガウソルが嫌なことを言う。怒らせて交際や接近を禁止する、というのがガウソルの狙いだ。幸い、あまり賢くないガウソルなので見え透いている。
納得はできないが、自分への言動の理由だけがよく分かった。
「元々はともかく。今、ティアちゃんは前途有望な治療院のヒーラーちゃんです。公爵令嬢とか関係ないですよ。だから、恋愛するのも自由です」
元はどうあれ、今はお互いに一般人同士なのだ。割り切って交際するのも構わないではないかとリドナーは思う。
「それか、迷惑がられてるってことも」
どうあっても自分を止めたいガウソルがしつこく言い募る。
「少しでもそんな感じなら、ちゃんと身を引きますよ、俺」
はっきりとリドナーは言い切った。していいことと駄目なことの区別ぐらいはついている。
(でも、本当に嫌がられてるなら、もっと違う感じになると思うけど)
リドナーは会うときのティアの様子を思い出す。困っていたり、恥ずかしそうだったり、というのはあるが、いつも会ってはくれる。会話もきちんと交わせていた。嫌われている様子まではなかったように思う。
「まぁ、そんなお前にも言わないわけにはいかん」
とても嫌そうにガウソルが思わせぶりなことを言う。
「なんです?」
リドナーは訊き返す。
「次の魔獣討伐に、治療院から派遣されるのは、そのティア嬢になると、さっきライカのおばさんから通知が届いた」
よほど忌々しかったらしい。治療院のライカ医院長を『おばさん』呼ばわりするのはよほど腹を立てている時だからだ。『ティア嬢』の派遣がよほど気に食わないらしい。
だが、自分にとっては最高の報せだ。
「ティアちゃんがっ!」
大声を出していた。
「あの婆め。ヒーラーとしての才能は素晴らしいと、わざわさ書いて送って来やがった。突っ返そうにも理由が思いつかない」
忌々しげに吐き捨てるガウソル。ならば突っ返さなければいいのである。うまい口実などガウソルに思いつくわけがない。
「大丈夫ですよ。ティアちゃんのことは俺が守り切るから」
ネブリル地方の森や山は危険だ。それが分かっていてなお、リドナーは告げずにはいられなかった。
「大聖女レティ様の力の、半分でもあれば、お前の助けなんて聖女には要らないんだ」
とうとう苛立ちの頂点に至ったガウソルが怒った。
「いいか?大聖女レティ様の妹御で、公爵令嬢様だぞ?本来ならな、今頃、皇都で王侯貴族と結婚して聖女の務めを果たしているはずだ。それがなぜこんな町にいる?送り込まれた?問題があるか起こしたからかに決まっている。悄気げた風を装っていても、あれはとんだ問題児だ」
やっとガウソルの怒りが少し伝わってきた。
少なくともリドナーの耳には言いがかりに聞こえる。
細かい経緯を自分は知らない。多分、ガウソルも知らないのではないか。
(ただ隊長は大聖女様を知っていて、なにか思い入れがある。だから、ティアちゃんをありのままでは見られない)
リドナーに分かるのはそれだけだ。
「隊長、俺は自分でティアちゃんと出会って、可愛いな、良い子だな、って印象を持ちました。俺はそれを大事にしたいから」
リドナーは少し言葉を切った。できるだけ落ち着いた声音で話す。
「だから、そういう本人とはもう直接の関係ないこととか、気にしません」
答えをガウソルが告げる前に、ヒックスの姿が外に見える。警邏から帰ってきたようだ。
それで二人は一旦、ティアのことについての話を止めるのであった。