105 魔獣襲来1
山岳都市ベイルから東に広がる森の中。山を降りて、森を抜けると魔獣たちの巣窟であるネブリル地方へと至る。それは人間から見た場合の話であり、魔獣たちの立場としては、この森を抜ければ人間たちの住む山岳都市ベイルに雪崩込むことができる、とも言えた。
故に森と山の斜面が人間側にとっては防衛線となるのだが、不意の襲来と思わぬ魔獣の数に、リドナーたちは押されている。
「クソっ」
イワトビザル数匹を斬り伏せて、リドナーは毒づく。
夜明けとともに襲われて、今はまだ昼前である。
「駄目だっ、リドッ!敵が多過ぎる」
少し離れて戦うビョルンが悲鳴に近い声を上げる。
他の分隊から出されていた見張りの兵士とも合流したのだが、イワトビザルの群れ数匹ずつの攻撃に絶えず晒されており、皆、疲れ始めていた。
(一番、危ないのはこういうときだ)
リドナーは気を引き締める。良いのか悪いのか、分隊長格がたまたま誰もいない。
皆に声をかけたり指示を出したりするのは自分となっていた。腕利きとして名を知られていた効能で、話を聞き入れてくれるのだ。
(正直、指揮するなんてガラじゃないんだけど)
また木々から飛び降りてきたイワトビザルの群れ数匹に切り込みながらリドナーは思う。
もともと剣の腕前には自信がある。山岳都市ベイルの中では技術としては並ぶ者がいない、とも思っていたのだが、皇都から来た魔法剣士マイラには剣技だけでも軽く捻られてしまった。
(もう、慢心はない。でも、そういうこととは別に、魔獣との戦い。数で押されるとしんどい)
技術云々としての問題ではない。
生き物としての強弱の問題だ。そうなると思い出すのが養父ガウソルであり、つい、不在を不安に思う弱気を自ら叱咤する。ティアのためには必要な逮捕と拘束だ、と割り切ったのだから。
「ビョルンッ、気をつけろっ!」
リドナーはビョルンの背後に忍び寄っているチバシリドリに気付く。
「どうなってるんだよ!」
本来なら単体であらわれるはずの魔獣まで他の種類と混ざっている。チバシリドリはその典型だった。
単体でも強力なチバシリドリをビョルンが持て余す。嘴でつつく攻撃が掠め、上腕の服に血が滲む。チバシリドリ相手に一対一で持ちこたえられるだけビョルンも腕は悪くない。
(でも、死んだら元も子もない)
むしろ腕のいい味方を1人失うこととなる。そしてその分の皺寄せも自分に来るのだ。
「ちぃっ」
リドナーは自分の周囲にいたイワトビザルを横薙ぎの斬撃で一気に数匹を負傷させて怯ませる。
他の分隊の誰かが弱った相手に斬りかかるのを見るや、ビョルンの助太刀に向かう。
「じあぁっ」
ビョルンの剣と嘴で鍔迫り合いをしていたチバシリドリ。その横合いから襲い掛かり、細長い首を斬りつける。一撃では仕留められなかった。自分の方に顔を向けてきたところ、さらに続く一撃で胴体も斬り裂いて仕留める。
「はぁっ、はあっ」
荒い息をなんとか整えようとするリドナー。敵となる魔獣の姿は消えた。
(まだだ)
森の中からは視界にいない味方と敵がまだ戦う気配と音がする。やがて、こちらにも向かってくるはずだ。魔獣を完璧に止める、というのは難しい。
「ありがとよ。でも、これで、貸し借りは無しだから」
ビョルンが疲れた笑顔で告げる。足元にイワトビザルの死体が転がっていた。
助けたつもりで助けられてもいたのである。
「ありがと。でも、俺の仕留めたヤツのほうが大きいみたいだけど?」
油断しないようにしつつも、リドナーは笑って応じた。
ビョルンも笑みを返す。リドナーは気を取り直した。
「誰でも、どこの分隊でもいいっ!伝令に走ってくださいっ!でも必ず2、3人で。どこかの防衛線を突破した魔獣と遭遇するかもしれないので」
周りにいるのは年長者ばかりだ。リドナーは一応丁寧な口調で、だれにともなく依頼する。
「分かった!うちが行く。第3分隊のイーライだ。こっちはジェクト」
呼応してくれたのは、イーライとジェクトと名乗る、背の高い二人組みだ。告げてベイルの方へと走り去って行った。
「よろしくお願いしますっ!気をつけてっ!」
その背中にリドナーは叫ぶのだった。
硬いものと硬いもののぶつかる音がそこかしこから響いてくる。イーライとジェクトも決して安全な道中とはならないだろう。
(ここでどれだけ保つのか。保たせられるのか)
リドナーはビョルンともに傷の応急手当をお互いにしながら考える。
「ティアちゃんがいりゃあな。むさ苦しい男二人で治療なんてならないのに」
ビョルンが軽口を叩く。
「こんな危ないところ、連れてこられるかよ」
リドナーは険しい顔で返した。
ティアに限らず、こうなることも予想される任務だったので、ヒーラーを今回は連れていない。いれば治癒の面では楽である反面、来てくれるヒーラーが大変な危険に晒されることとなる。
言うなれば前回は攻めの任務であり、今回は守りなのであった。
「ちげえねぇ」
苦笑いしてビョルンが相槌を打った。
一息つけたのだが、すぐに次の波が訪れる。マウンドキャット、山猫型の魔獣7匹だ。深緑色と灰色の混ざったような毛並みが迫ってきた。数は少ないが一匹一匹がイワトビザルより手強い。
「どうなってんだよ!」
ビョルンが叫び応戦した。疲労しているのに躊躇せず動き出せたのはリドナーも偉いと思う。
自分ですら動くのが嫌だ、と思う程度には疲れていた。
(ドラコやティアちゃんを狙ってきた、そう考えるのが分かりやすいだけど)
何か得体のしれない目的があるのなら、その方が怖いとリドナーは思う。
「こいつら、下っ端だ。なんか、強くてデカいのに追われて難儀してるのかもしれない」
ビョルンに向けて、リドナーは告げる。だが、当然、魔獣が本当に難儀しているのだとしても、手心を加える理由にはならない。
ここで倒しておかないと街の一般人に犠牲が出てしまうのだから。
リドナーは思いつつ、眼前にあらわれたマウンドキャットに斬り掛かっていくのであった。