102 専門家の見解
奇しくもリドナーらが魔獣との争闘に入ったころ、ジェイコブは守備隊の本営を訪れていた。
ガウソルの逮捕後も、ジェイコブはとりあえず下宿することにして山岳都市ベイルでの日々を過ごしている。下宿しているのは家賃の安い貸家だった。
(私は家やら食やらに金をかける気になれんからな)
ジェイコブは独り思う。
腰の曲がった老婆が家主の物件にするしかなかった。若い美女の家主も探したのだが、残念ながら見つけられなかったのである。
やがて、練兵場も備えた、山岳都市ベイルでは贅沢な敷地の使い方をしている守備隊の本営に辿り着く。豪奢ではないものの、随分と金もかかっているだろう。
(町長とでも言うべき、町の代表がこの町にもいないからな)
なんとなく守備隊の本営を前にしてジェイコブは思う。自分の下宿に比べて、あまりにも立派な建物だった。
リベイシア帝国からはお飾りの代官が送られてくるものの、ただ任期を終えることしか考えていない。無害で腐敗もしていないのだが、積極的に大掛かりな何かをしたいときには困る。
(デイダムやリンドス、リデイルなど一定の街には執政などもいるが。やれやれ、ティア嬢も卵を孵す場所を選んでほしかったものだ)
ジェイコブはよりにもよって、こんな辺境で神竜を孵したことについては、ティアに文句を言いたい心情なのだった。
事実上、山岳都市ベイルを取り仕切っているのは、ヴェクターとライカ夫妻なのだ。どちらも王都で神竜に仕えていた自分とは比べようもない。本来、その程度の身分なのだが、今は頭を下げざるを得ない。
(それにしても、あの少年)
ジェイコブは守衛に訪いを入れて、執務室へと案内をしてもらいつつ思い返していた。
リドナーと名乗っていたが、どこかで会った、或いは見た気がする。
(さて、どこだったか)
思い出すことが出来ない。子供っぽい容姿のどこが良いのか。ティア・ブランソンと交際しているらしく、眺めていたら咎められたのだった。
「神殿の建立場所ならまだ駄目だ。ライカの方も治療院の近くに、と言う割には具体策を何も出してくれん。結局、いつも頭をひねるのは俺の方だ。子供の学校も家の掃除も俺、結局、今回の神殿も俺、いつも俺なんだからな」
挨拶も抜きに愚痴混じりの文句をヴェクターが投げつけてきた。後半は本当にただの愚痴である。
「すぐすぐ作れるものではありませんから、焦って手配するぐらいでちょうど良い」
この一応、自分なりに丁重な口調も隙あらば戻す方針である。
かつての神殿を参考に、まだジェイコブも間取りを練り始めているところだった。
かといって、必要となった時に無いのでは困る。実際にどういった地勢に建てるのかで間取りも変わってくるので、とっとと決めてほしかった。
「他にも何かあるのか?」
ヴェクターがうんざりした顔で尋ねてくる。
「こっちはガウソルのこともあって忙しい」
強力だが、さぞや扱いづらかったことだろう。隊長という役職など甲冑狼に務まるわけもない。
(しかし、逮捕とは。思い切ったことをする人間もいたものだ)
神竜を買い取る、という手段を山岳都市ベイルの人々が思いつけなかったことと同様に、自分も甲冑狼を逮捕する、という発想は浮かばなかった。
(いざ、言われてみると悪くない気もする)
逮捕に応じるかどうかは賭けだが、案外、人間の決まり事を持ち出されると大人しくなる可能性も高い。また、神竜のことも、離れてしまえば頭が冷えてどうでも良くなるはずだ。
「総隊長!森に大量の魔獣が出たそうです」
外から誰か若い隊員が叫んでいる。
「なんだと!分かった」
ヴェクターが大喜びで生き生きと応じている。
森の中、ということなら山岳都市ベイルにとって直接の脅威ではないはずだ。まだ話す時間の余裕はある。
「ティア嬢のことは、治療院の方と話すべきですかな」
手振りでヴェクターを引き止めて、ジェイコブは問う。
自分のベイルでの立場は神竜の専門家というものだ。神竜ドラコをどう養育していくのか。資料もかなり散逸した今、ティダールに遺されたのは自分の頭に入った知識だけだ。
「そのとおりだ。俺に、そこへの発言権はない」
幾分じりじりと苛立った口調でヴェクターが応じる。
自分との会話より魔獣との戦闘指揮にむかいたいのは明らかだ。
ここでの用事を終えたならば、次は治療院へ向かわなくてはならない。
(まぁ、目の保養には良いか)
狙ったわけではないのだろうが、山岳都市ベイルの治療院には美人が多い。行くだけでも自分には楽しみだった。
「一応、ティア嬢の処遇について、あなたも、頭には入れておいた方が良い」
ジェイコブは扉の前に立ったまま切り出した。
「何せ、貴方のところの部下が彼女の恋人なのでしょう?」
リドナーのことだ。
しぶしぶヴェクターが浮かしかけていた腰を椅子に戻す。
「リドナーのやつが神竜様孵化の前から交際を始めているが」
別れさせろ、とでも言うのか,と言わんばかりに睨みつけてくる。
「全ては神竜様次第。今回は神竜様の孵化する前からの交際だというのなら。注がれる魔力には影響していないようだ」
人間の方で決められるものではない。
成長して意思疎通がもっと出来るようになれば、いろいろと注文をつけてくる可能性もある。
「ならば、交際云々は本人たち次第ということか」
ヴェクターが腕組みして告げる。
「親衛隊などという噂も町で聞きましたが」
親衛隊とやらの方は、あまり騒がしいと怒り出すか拗ねるかするかもしれない。少なくとも成長に良い影響があるとは思えなかった。
「完全なデマだ。ティア嬢があの可憐さだからな。うちの部下に限らず懸想するやつが多くて勝手なことを言ってる」
神竜ドラコとティア嬢のことを公表した弊害らしい。
いずれ都市を挙げて、さらにはティダール地方を挙げて神竜を庇護する流れを作るのには必須だが。
(あれのどこが良いのやら。そこは分からんな。年端も行かぬ子供じゃないか。ベイルには少女趣味のやつでも多いのか?)
良い魔力の持ち主だとはジェイコブも認めている。
だが懸想する云々は理解できなかった。
「では、いいか?いい加減、俺も魔獣への対応に」
ヴェクターがジリジリしている。放っておくと自分で剣を抜いて突っ込んでいくのではないか。
「どうせまだ小物でしょう。この町には逮捕したとはいえガウソルも。怒ってはいるがマイラも。私も。何より神竜様もいるのだ。慌てる必要性はないですな」
かつての戦いで突出した戦力を有していた存在が幾つか集まっているのだ。
焦ることはない。
(それにまだ大物は来ない。本当に危険なのは、この魔獣の波が止まった後だ)
そんなことはヴェクターも分かっているのだろうが、根はじっとしていられない男のようだ。
ジェイコブは思いつつも、実際、したい話が終わったので頭を下げるや、執務室を後にした。
「よし、状況を知らせろっ」
待ち侘びたと言わんばかりに活き活きとしたヴェクターの叫びを背中で聞いて、ジェイコブは治療院を目指すのであった。