101 リドナーの懊悩2
闇に包まれた見張り台の中、松明の炎がチラチラと揺れる。比較的に暖かい季節だというのが有り難かった。寒い時期の徹宵は身体に堪えるのだ。山上だからか、この辺りは冷えるときは恐ろしく冷える。
「なんだよ、それ」
呆れてリドナーは言う。
親衛隊とやらの連中をこの寒い中に叩き込んでやりたい。ティアのために、本当にどこまでやれるのか見てみたいものだ。
「ティアちゃん含めて街を守る気があるならさ。うちに入ればいいだろ」
山岳都市ベイルにはヴェクター総隊長率いる、きちんとした守備隊という組織が既にあるのだ。今更、形ばかりティアをもてはやす集団などいらない。
思うにつけてリドナーは腹が立つのであった。剥き出しの下心が丸見えである。
「俺に言うなよ」
ビョルンが苦笑いである。
「まぁ、町って言うよりもさ。ティアちゃんにお近づきになりたいって下心丸出しだよな」
思っていたのと同じことをビョルンから言われる。誰が考えたって、同じ結論なのだ。
リドナーは腕組みをした。由々しき事態である。
「俺っていう公認の恋人がありながら、変なやつが湧いて出るようならたたっ斬ってやる」
我ながら物騒な物言いではあるが、それだけ腹の中は煮えているということだ。
ティア本人が靡くことも調子に乗ることも無いとは思うし現に無い。
「お前、それ、自分が捕まるやつだからな」
冗談めかしてビョルンが笑う。当然、どこか他人事なのだった。
しばらく他愛もない話を続ける。
町としてはガウソル逮捕で衝撃が走った。リドナーの目からすれば当然の出来事なのだが。癖のある人柄を知らない、離れた距離から見ていられる人々にすれば、町の守護神の逮捕なのだ。
(まぁ、あの人柄が人目に触れないよう、最大限の努力をずっとうちらがしてきたわけだけどさ)
理解は出来る。一方で、その余波を受けて守備隊は逮捕した責任ではないが、ガウソル抜きでも町を守り抜けるのだ、という覚悟と姿勢を見せねばならなくなった。
(気は抜けない、か)
ガウソル逮捕の原因となった、ティアとドラコへの期待が嫌でも高まり、人気も比例して高まるであろうことも容易に想像できる。今は、ヴェクターやライカが2人を表に出さないから大騒ぎというほどでもない、不思議で中途半端な情勢の中にあった。
ビョルンはそんな中でティアの恋人である自分を心配してくれたらしい。
(あーあ、ティアちゃんに会いたいなぁ)
リドナーは闇に目を凝らしつつ嘆息する。
恋人らしいことが出来ていない、したい、とティアから言われたのは素直に嬉しかった。応えてあげたいと思う。
(俺、こんなとこにいる場合じゃないんだけどな)
一刻も早くティアに合わせて休日を作り、デートの手配をせねばならない。
さきの親衛隊などと馬鹿げたものが出来れば間に入って邪魔してくるかもしれない。ティアにその気がなくとも、勝手なことをするのではないか。
(ただでさえドラコいて大変なのに)
2人で、と思っても実際にはドラコがいる。
密着しようとすると割り込んでくるようになった。ティアも自分も笑ったり困ったりしながら対応している。
(あれはあれで、楽しいんだけどさ)
どういうわけだか自分はドラコに気に入られているらしい。ティアを巡って小さないさかいは時折あるものの、遊んだり可愛がったりには応じてくれる。ティア抜きでも自分が一緒だと比較的におとなしい。なお、他の人間ではいかにも我慢している、という顔か無視、ひどいときには威嚇するのだが。
思い当たる理由がないではなかった。
(俺も、考えなきゃな)
王都デイダムを出てずっと、ガウソルの養子であり守備隊の一剣士であることに、なんの不満もなかった。
(このままじゃ、俺、ティアちゃんから引き剥がされるかもしれない)
狂おしいほどに、自分を変えても良いぐらい、何かを渇望するというのが、リドナーにとっては、生まれて初めての感情である。
守備隊の一剣士では、ティアと一緒にはいられないかもしれない。ただでさえ可愛い腕利きのヒーラーであり、神竜の卵を孵した。そのうち『神竜様の母』とでも呼ばれるのではないか。
(で、おまけに皇太子まで出てきた)
手紙が来たことで、さらに自分は揺さぶられている。
要するに、よりを戻したいということが書かれていた。
(そんなの今更、通るのかよ)
忌々しく思うが、皇太子というのが、リベイシア帝国では、どの程度の勝手を通せる身かも分からない。
不幸中の幸いであるのは、ティアのほうがまったく乗り気ではないどころか。皇太子のことも復縁も皇都に戻ることも全て嫌がっていることだ。
「そりゃそうだろ」
思わず小さな声でリドナーはこぼしていた。
ピクリと眠っていたビョルンが身動ぎする。
起こしては悪い。
(ここに来た経緯を聞く限り、振り回されてることに怒るのが普通だ)
祈らない、などと些細なことを落ち度とされて追放されたのだという。
懸命に山岳都市ベイルで居場所を作っている最中なのだ。
なお、そんなティアの現状であるが、今後はドラコの扱いに左右されることになる。
治療院の女子寮で暮らしているところ、ドラコのために建立される神殿住まいとされるかもしれない。
(ティアちゃんの近くに建てるか、神殿としての雰囲気が良い、山の天辺か、で揉めてるらしいけど)
竜の専門家であるジェイコブとしては、どちらでも良いらしい。『結局は神竜様のご意向次第ですから』と言うばかりである。
ティア本人はドラコとも離れたくなく、治療院のヒーラーも辞めたくないのだという。さらには治療院の院長ライカもティアを手放さないと主張している。
(そうすると治療院の近くってことだけど)
土地の問題がある。空き地はない。
(あの公園ぐらいか)
ティアと何度も会って、一緒に昼食をとった思い出のある場所だ。
公園を閉めてから神殿を建てることとなるかもしれない。
自分とティアにとっては思い出深い場所だから名残惜しく思った。
リドナーは闇に目を向けたままとりとめもないことを考え続ける。思考は似たようなところを堂々巡りする中で。
次第に夜が明けようとしていた。東の空が白み始める。
「っ!」
警笛を口にくわえた。闇の中で何かが動いたからだ。
だが、自分が吹くよりも早く、森の中からけたたましい笛の音が響く。ビョルンがビクン、と体を動かして目を開いた。
「魔獣だっ!」
リドナーは怒鳴り、抜身の剣を手に、見張り台から地に降りる。
木々の間からイワトビザルの群れが飛び出してきた。
(やっぱり出た。小物だけど)
リドナーは剣を振るって応戦しつつ、頭を横に振る。
ビョルンも隣でイワトビザルを斬り伏せていた。
魔獣との戦いに区切りはないのだ、と改めてリドナーは痛感するのであった。




