10 お昼休憩
「ティアちゃんっ!」
院長室から治療室へ戻ると、なぜか待ち構えていたリドナーが声を上げる。優しく茶色がかった瞳が自分を捉えた。
灰色の髪を見て、心がざわつくように感じて、ティアは俯いてしまう。良くない感情の気がするのだった。
「リドナーさん、こんにちは」
俯いたまま、ペコリとさらに腰を折って一礼する。そのまま部屋に入って机の前、片付け物をするフリをした。
(やっぱり今日も来てくれた)
3日間、外したことがない。今日は部屋にいるが、なぜかいつも窓の外に立っていて、ニコニコしているのだった。
「あら、やっぱりね」
さらに逆側、部屋の外、廊下側からレンファが現れる。
「はい。ティアちゃん、お昼ご飯」
レンファが茶目っ気たっぷりに笑いかけて、包みを2つ自分に渡してきて告げる。
「あ、俺のも良いんですか?」
嬉しそうにリドナーが言う。青い財布を取り出して何かしらか支払おうとする。
「いいのよ。ティアちゃんに2人分、今日はお手柄だったから、あたしから、奢り」
レンファが微笑んだまま言う。
「へぇー」
リドナーが屋外から自分の顔を覗き込んでくる。
(は、恥ずかしいし、近い)
端正なリドナーの顔が接近している。どうしても頬が熱くなってしまう。
「どんなお手柄を立てたの?」
リドナーが自分に尋ねてくる。
「それはね」
レンファが代わりに答えようとした。
「あ、本人との大事な話題なんで」
笑顔のままリドナーが説明を遮った。
「ティアちゃん、嫌じゃなかったら、治療院前の公園でさ、一緒にお昼ご飯食べようよ」
きちんと、目を見て誘ってくれるのがリドナーの良いところだ。
「私は、大丈夫です。でも、リドナーさん、その、いいんですか?私なんかとお昼」
さらにレンファの方も窺う。ヒーラーがお昼ご飯休憩とはいえ、敷地から出てしまって良いのだろうか。
「いいわよ、行ってらっしゃい。あ、でも、リドナー君の付き纏いに困ってるんなら、もう来させないけど」
快諾するとともに確認もレンファがしてくれた。
ティアは首を横に振る。事情を知らなくても、たった一人で見知らぬ土地に来て不安な中、親しくしてくれる大事な存在だった。
「じゃあ、決まりだね。行こっか」
リドナーが微笑んで決定づけると、窓から正面口のほうへと回る。
治療院の正面玄関から真っ直ぐに歩道が伸びて、左右には木々が並ぶ。
さらに敷地の正門を出ると、すぐ正面には緑に溢れた公園が設けられていた。
「ベイルは山がちだから、それでも町中でも緑が欲しいって庭園を造ったんだって」
リドナーが正面口に回ったティアに説明してくれる。
2人で公園に入ると設置されていた赤い色の長椅子に並んで腰掛けた。
「今日はどう?」
リドナーが自身の包を解いて尋ねる。昼食はパンに挟んだお肉とレタスであった。リドナーも同じものだ。
先の『お手柄』の話だろうとティアは察した。
「解毒、しました。ヒールで、人助けにはなったみたいで」
ティアはしっかりと説明する。小さく一口パンの端を齧った。
「へぇ、解毒まで出来ちゃうんだ。凄いね」
パンを片手にリドナーが手放しで褒めてくれる。
こそばゆい気持ちにかられて、ティアはもう一口、パンを口に運ぶ。
「他にも出来る人はいて、私は」
姉の足元にも及ばない。大聖女レティであれば、ヒールで無理をするまでもないのだから。
ただ、リドナーに告げても良いことなのか。
ティアの言葉の続きを待っていたリドナーが苦笑する。
「治療院の仕事には慣れた?」
代わりに違う話題を向けてくれる。
どこまでも優しい人柄なのだ。露骨な好意にティアは気を許しそうになる。
(でも、私はつい最近まで皇子と婚約してたのを、破談されたような女で)
ここにいるのも罰なのだ。思うにつけて、リドナーに甘えすぎるのも良くないと感じる。
「慣れました。だから、心配で来てくれてたんなら、もう」
『来なくていい』までが、ティアは言えなかった。本音は来てほしいからだ。自分でも自分の気持ちは分かっている。
「好きで来てたんだよ、だから、嫌じゃないなら」
さらりとリドナーが言う。嫌味なところが微塵も感じられない。用心するよりも、どうしても惹かれそうになる。
「私は、駄目なんです。この町に来たのだって」
ティアは言いかけてあわてて止める。そして辺りを見回した。
周りには誰もいない。休日や夕方ごろには散歩している人なども多いのだが。
「そうだね、俺、可愛くてティアちゃんのこと好きだけど。知らないことがまだまだいっぱいあるから、教えて」
笑顔で促されてしまう。ぐいぐい来る割には配慮もしてくれるのだった。
(このまま、ずるずる甘えて、迷惑かけるぐらいなら)
幻滅されて、嫌われてでも全部を打ち明けよう、とティアは決めた。ずっと優しくしてくれているのだから、不義理は駄目だ。
「私、大聖女レティの妹で。ティア・ブランソン、でした。ブランソン公爵家の次女だったのに」
意を決してティアは告げる。そしてリドナーの様子を窺う。
リドナーが驚いた顔で目を見張る。そこまではなんとなく分かる反応だったのだが。
「なるほど、それで」
小さな声でリドナーが言う。何か、腑に落ちた、という顔である。
ティアには予想出来なかった反応だった。
「わ、私、姉と違って。神様、信じてないから。お祈りも出来なくて。ヒールしかできなくて、それは、サボってるってことだから。姉の婚約者だった、皇子と婚約してたのも破談で、親からも勘当されて」
言っていて自分は、つくづく情けない状態なのだ、と痛感させられる。だが、自分を良く見せて、リドナーを振り回すのも間違っていると思った。
「そっか。でも、何で神様、信じられないの?ティアちゃんも、うちの地方の人と同じで神竜信仰なの?」
思わぬ質問をリドナーから投げかけられた。
「え?」
ティアは顔を上げて訊き返す。
「いや、すごい頑張り屋さんに見えるのに、サボってる、とは思えないから。神様に祈らないのって、違うことを信じてるからなのかな、って」
素朴な疑問なのであった。信仰が違うから祈らないのか、と言われたのは初めてだ。
「私、自分は駄目だからって話で。神様に祈らないのは、姉を見捨てたように思えて、もう少しでも姉に力を貸してくれてたらって。そう思うとお祈りなんて、出来ない」
最後は尻切れとんぼのように小さな声となってしまった。
リドナーがそっと手を握ってくる。
「そんなの仕方ないよね。お祈りって強制されたり、サボったって怒られたりするものじゃないと思うけどね、俺」
優しい言葉をリドナーが投げかけてくれる。
「うっ、ぐす」
ティアはとうとう涙をこぼしてしまう。破談されてから独りで放り出され、この件では誰にも相談出来なかった。自分には辛かったのだ、とティアは痛感させられる。
「それにさ、俺、良いこと聞いちゃった」
リドナーが満面の笑顔を浮かべた。
「え?」
ティアはもう一度間の抜けた声をあげて、涙を水色のローブの袖で拭う。
「ティアちゃん、今、じゃあ婚約も何にもしてなくて、恋人も何もいない。本来ならお貴族様だけど、それも今は違う」
リドナーがぐっと顔を近付けてくる。
ティアはつい、少し身を引いてしまう。
「なら、俺が言い寄っても口説いても問題なし!」
リドナーが宣言した。
「私に直接、言っちゃうの?」
とうとうおかしくなってティアは指摘してしまう。
そして、昼食休憩の時間も終わり、2人で公園を後にするのであった。




