1 追放
いつもお世話になります。1日1話ぐらいを目安に書き進めていく所存です。投稿は仕事の都合で正午過ぎぐらいが多くなるかと思います。
お楽しみ頂ければ幸いです。
「ティア、君との婚約を破棄する」
皇帝陛下もいる前で、第1皇子ルディが静かに落ち着いた声音で告げる。
場所はリベイシア帝国皇城、謁見の間。他にいるのは自分とその父母ブランソン公爵夫妻の3人だけである。
「理由は、分かるね?」
あくまで穏やかに尋ねてくるルディ。自分よりは5つ歳上の21歳であり、本来なら夫ではなく、義兄になるはずの人だった。
「分かりません」
分かっているのに、ティアは俯いて告げる。
相手にしっかりと言わせたかった。可愛げのかけらもない自分の悪意だ。姉の大聖女レティなら絶対にやらない。
(こんなんだから私、お姉ちゃんの代わりになれない)
自嘲気味にティアは思うのだった。
ルディ皇子がため息をつく。父母の表情はどこまでも硬く、皇帝陛下は気まずそうだ。姉の存命中からルディの言いなりだった父母。
皇帝陛下の方は事前にルディから既に論破されているのだろう。一人息子にはとことん甘い人なのだった。
「君は大聖女と呼ばれたほどのレティの妹だ。君にも聖女の素質は十分にあるはずなのに怠け続けている。姉が亡くなってから、何度、真面目に祈りを捧げた?姉のレティは君ぐらいの時には、あらゆる破邪の聖魔術を難なく使いこなしていた。君は未だヒールしか出来ないのだろう?」
もともと姉のレティの婚約者だったルディ皇子。本当は自分に、まるで興味が無いことなど明白だ。
(お姉ちゃんと比べたら誰だって、私なんて落ちこぼれに決まってる)
ティアは俯いたまま唇を噛んだ。一応、姉のこともあって、自分も聖女の端くれにされていた。
聖魔術の源は魔力と信仰の強さだとされている。祈りもしないで使えるわけはないのだが。
(でも、ヒールが使えちゃうから、まったく魔力がないわけじゃない。だから、皆、サボってるって決めつける)
祈りさえすれば、ティアもヒールを皮切りに様々な魔術を駆使できるはずだ、と思いこんでいる人がルディ皇子たちに限らず、リベイシア帝国にはたくさんいる。
まるで神が嫌がらせのようにヒールだけは使えるようにしているかのようにすら、ティアには思えていた。
顔を上げる。
「一度も。お姉ちゃんが死んでから私は、一度も神様にお祈りしたことありません」
反抗的にルディの視線を受け止めて、ティアは告げた。
「やめなさい、ティア。あなた、こんなときにまで」
母が眼尻を上げて咎めてくる。
姉の存命中はただ優しかったというのに。それを悲しいと感じる時期はもうずいぶん前に過ぎた。
「私は神様なんて信じない。大聖女だったのに、いつもあんなにしっかりお祈りしてたお姉ちゃんを、助けてくれなかったじゃないっ!」
ティアは父母とルディを順々に睨みつけて叫ぶ。
父とも母とも何度も交わしてきたやり取りだった。ルディ本人とも幾度となく。
「結局、君はその思いを変えられない以上、聖女としては不適格で、人々の期待を裏切っている。私も結婚相手とするわけにはいかない」
硬い声でルディが言う。
(よく言うわよ)
本当は自分もルディもお互いに結婚などしたくないのだ。
「お姉ちゃんが死んだから、穴埋めで私を婚約者にしただけじゃない」
自分を含めて誰からも愛される美しい聖女だった姉のレティ。すらりとした細身の美少女だった。流れるように長い金髪。いつの間にか自分も姉の死んだ年齢になっていた。
小柄で華奢、緑がかった金髪の、16歳になってもまだ、どこか子供っぽい容姿の自分とはまるで違う。
瞳1つとっても、他者を落ち着かせてくれるような切れ長の優しい瞳だった姉に対して、自分はくりくりしていて小動物みたいな瞳だ、とすら揶揄される。色だけは同じで紫がかった青なのだが。
「勝手に期待して、勝手にがっかりして、それでこんなに怒って。お祈りを無理強いするなんて」
耐えられなくなって、ティアは不満を並べ立てる。
一度だって自分はルディ皇子を愛したことはない。だが、ルディ皇子も姉のことを思い出すばかりで自分を好いてくれたことはないはずだ。
「いい加減にしろ」
とうとうルディ皇子が声を荒らげた。この人はめったに怒らない。図星をついてやれたのだ、とティアは暗い喜びを抱く。
「君には、人々を裏切った罰として、ティダール地方にある山岳都市ベイルの治療院での労務を命じる」
冷ややかにルディ皇子が宣言する。
「誰も君のことを知らない土地で、少しはそのひねくれた性根を反省しろ」
東の辺境ティダール地方。そのさらに山岳都市だという。
さすがにティアは頭の中が真っ白になった。
「え、そんな、学校は?」
自分はまだ16歳だ。国立高等学院という貴族御用達の学院、その学生でもある。
学校そのものも、学校での勉強も好きだった。成績も頑張って上位を守り続けているのに。
(そりゃ、大聖女としてのお勤めと、学業を両立してたお姉ちゃんには見劣りするけど)
ヒールしか出来ない自分では聖女としての仕事などできない。だからせめて学業は、と思っていたのだが。
「休学だ」
ティアの気持ちを一刀両断するかのようにルディ皇子が断言した。
「いつまで?」
掠れた声でティアは尋ねる。婚約破棄よりも追放のほうが堪えていた。
「言っただろう?そのひねくれた性根が直るまでだ」
落ち込むティアを目の当たりにしたからか残酷な喜びがルディ皇子の声から滲む。
まだ存命だったころ、姉のレティとルディ皇子の2人は仲睦まじい婚約者同士だった。自分にも当時はとても優しくて、義理の兄となることが嬉しかったことを、ティアは思い出す。
(神様がもっと、お姉ちゃんに力を貸してくれてれば)
この期に及んでも、ティアは神を恨めしく思う。
現在のティダール地方はかつて独立したティダール王国という国家だった。その王都を邪竜王という強力な魔獣と手下の飛竜の群れが襲撃したのだという。壮絶な戦いがティダールの軍隊と繰り広げられる中、姉の大聖女レティも参戦した。魔獣は人類共通の敵なのだ。
(相討ちの差し違いだった。なら、あと少しでも)
姉の強力な聖魔術で邪竜王も倒されたが、姉も反撃を華奢な生身で受けて命を落としたのだ、とティアは聞かされている。
信心の分だけ、祈った分だけ正当に力を与えてくれていたなら、姉は勝っていたのだ、と。ティアは未だに信じていた。
「どんな罰を私にお与えになっても、私は祈りません。だって、神様のせいでお姉ちゃんは死んだ。殿下だって、お姉ちゃんと結婚できて幸せになれた。父様も母様も私も」
姉への思いは同じであるはずなのに。なぜ温度差が生じるのだ。
誰からも好かれて、愛されて。一方ではそれ以上の思いやりを返してくれる。ティアにとっても最愛の姉だった。
5年経って16歳になった今でも「偉いね」と褒めて撫でてくれた笑顔が思い出せるほどだ。
「もうやめてっ!なんで、あなたじゃなくて、レティが死ななきゃいけなかったのっ?」
母が叫ぶように言った。
父も険しい顔をしている。
また、自分だけが悪者だ。
(私がお姉ちゃんの代わりにはなれなかったから)
土台、無理な要求をしているのだというのに。
「お前には誰もつけない。独りであっちの寮にでも入って、必死で働いて暮らせ」
父が冷たく言い放つ。つまりは事実上の勘当なのだ。
「誰もお前の面倒など見てはくれん。甘ったれた、その我が儘を叩き直してもらってこい」
今までは生活の面倒を侍女にみてもらっていた。
どうしても不安に思うのを、無理矢理ティアは押さえ込んだ。
逆にお腹に力を入れて父母たちを睨み返す。
「本当になんて頑ななんだ」
呆れ果てた、という口調でルディが言う。
「全て、君のその頑固で反抗的な態度が招いたことだ。よく反省するんだな」
自分は悪くない。大元の問題は神様なのだから。
「私ばっかり。お姉ちゃんの代わりなら、もっと聖魔術の才能がある人、殿下たちがちゃんと探して見つければ良かったのに」
学業も中途半端で、悲しむことも恨むことも許されないというのか。
誰も答えてはくれない。
ただ、冷たく睨み返されるだけであり、そして自分の婚約破棄と山岳都市ベイルへの追放は決定事項となるのであった。