純愛は少し歪んでいる
誰かの気配を感じ、弾の入っていない拳銃を向けた。
「……気のせいか」
拳銃に弾を装填し、スライドを戻す。
時計を見ると、針は22時を差していた。
食い尽くされた医者の死体は、これ以上ここに留まることが出来ないと言っていた。
今すぐにでも計画を実行する為に、急いでリタの部屋まで戻る。
扉を乱暴に開け、階段を這いずりながら上がる。
誰も居なくなった地下室には、沢山の瓶が転がっていた。
ルーマが食べ散らかした瓶のラベルには、誰かの名前が貼られていた。
ハンナ ローリー テレシアetc.1個中隊を編成できる数の少女達が、解体されホルマリン漬けにされた。
今リタの部屋に駆け込んでいるルーマは、その事に気付いていない。
「リタ!リタ!」
「どしたこんな遅くに?暫く安静の筈じゃ」
扉を開けた瞬間、強烈な鉄の臭いが充満する。
黒くオレンジ色に変色した血液が、制服にこびりつき、胃液と砕けた臓物で下半身はドロドロになっていた。
「何をしたの?」
「今日決行する、もう時間ないのよ」
ルーマはリタの人差し指を咥えて呟く。
「今すぐ支度しないと、空豆と一緒にリタを喰うよ」
レクター博士のような顔で、ルーマはリタの指をしゃぶっていた。
「……分かった、何か切るものパクってくるから、作業を初めよう」
ルーマがリタの指から口を放すと、涎が糸を引いてテラテラと光る。
リタは後悔した。
変な方向に調教してしまったなと。
アネモネの部屋にて
「それではアネモネ様ご機嫌よう」
「ご機嫌よう」
アネモネは後輩が部屋を出るまで微笑み返し、誰も居なくなった途端、ベッド下からハーブを取り出し炙って思いっきり吸い込む。
「はぶぁぁぁぁああぁぁぁぁぁぁぁあ゛い゛ぎ゛が゛え゛る゛」
いい加減、この暮らしにも慣れてきたものだ。
嬢様言葉を使うのは、随分苦労した。
「学のない自分がここまで良くやったな」
「あいつら絶対私のこと見下してるよ、目みりゃ分かるよ。うゆ、そうだよね!絶対そうだおね」
ラリった状態で靴クリームに話し掛けるアネモネは、部屋の周りの物が、親身になって自分の愚痴を聞いてくれるのを嬉しく思っていた。
「あーーー壁の窪みが話し掛けてきてる。うわなんてこった!爪がチェスの駒になってる!」
「あばばばば、上がって来た!アップ系は脳に直接くるよ!」「おっほ、変な音聴こえてきた!」
音の方向へ顔を向けてみると、花火がガラスの上を走っていた。
「しゅごい!これは排水溝から配管工が登ってきた時以来の衝撃的見解!あっ、今度はチェスが鍵盤になって……………………………いや違う」
薬が切れたのか、はたまた何か大切な事を思い出したのか、アネモネは窓の外でぶら下がる二人の少女を凝視する。
「もう交代、振動障害になるよ!」
「そんな手になったら、切り落とせばいいんですよ!」
キックバックに気をつけながら、チェーンソーで鉄格子を切り落とす。
ガキン!と音を立てて、鉄が切れる。
用済みとなったチェーンソーを放り投げ、ガラスを割って中に押し入る。
「私を迎えに来た?」
アネモネの目は、焦点が定まっていないが、我々の目的ははっきりと分かっているように見えた。
「あぁ御姉様!やっと私を迎えに来たのですね!」
「はいはいそうですね、迎えに来ましたよ」
リタはラリったアネモネを軽くあしらうと、窓の外から屋根へ移動する。
「急いで、デカい音を鳴らしたから、教師連中がわんさか来ますよ」
タンスでドアを塞ぎ、3人は屋根を伝って移動する。
校内の明かりが次々と光り、警備員や教師が慌ただしく動き回る。
「うわーみてみて、蟹が光ってる!」
「かに?」「ヤク中の言うこと真に受けちゃ駄目だよルーマ」
下を覗いてみれば、働き蟻がわんさか蠢き、罵声を飛ばしながら石を投げてくる。
「これじゃあ逃げられないよ、プランBはある?」
「プランB?ご冗談を、これはまだプランAだ」
非力で弱々しいエンジン音と共に、小型飛行機が低空から侵入する。
飛行機のドアからロケット花火を撃つと、下にいる大人達は大慌てで逃げ出す。
「あの飛行機いつ呼んだの?」
「ついさっき、リタの部屋に行く途中」
航空支援によって、敵の戦線に穴が空いた。
これはチャンスだ、今が走る時だ。
一番地面に近い場所から飛び降り、3人は全力で走る。
かろうじて戦意が残っていた教師が、こちらへ雄叫びを上げながら突進する。
ルーマは降り掛かる火の粉を払うが如く、拳銃で胴体を撃ち抜く。
「どけ!死にたくなけりゃ、道をあけろ!」
3人は壁へ進み、高射砲のある位置まで進む。
この学校を外から見た時、思い付いた脱出口になりうる場所だ。
高射砲の砲身へ向かって、鉤爪の付いたロープを投げ、よじ登る準備をする。
「これを使って登れ!」
「うわやべぇ、今度はトウモロコシだ」
アネモネはラリって、完全に力が抜けていた。
「しょうがない、私達が先に登って引っ張ろう」
リタ、ルーマの順に登り、最後にアネモネを引き合げる。
「なんか恋愛小説みたいなシチュでロマン」
「こいつ本当に大丈夫なのか」
「さぁ、私は依頼主に引き渡すだけですから」
引き上げの間にも、恐る恐るながら教師が周りを囲ってくる。
「もうちょっとだ!」
アネモネの腕を掴み、思いっきり引っ張った。
銃声が響き、アネモネの腕だけが引き上げられた。
「え?」
音の発生源は、散弾銃を構えた校長だった。
「アネモネ!もう片方の手を」
何を思ったか、アネモネは自分でロープ切断し始める。
「ご機嫌よう、御姉様」
アネモネの体は顔面から地面へ叩きつけられ、ぐちゃぐちゃになった。
「ルーマ!早く逃げないと」
散弾銃の弾が飛んでくる前に、呆然とするルーマの襟を掴みリタは、学校の外へ逃げた。
「あーあ、これで終いか」
妹の上下二連式散弾銃を持った校長は、投げやりな顔をしていた。
「そう、もう終わりなんですよ」
背後から近付くヴェロニカは、拳銃の撃鉄を起こす。
アネモネの死体を見たヴェロニカは、一歩遅かったと悔やむ。
「この学校の事を調べさせてもらった、随分生徒が消えてますね」
事は少し捻られていたが、それでも単純だった。
素行の悪い生徒を事故死や脱走扱いにして、臓器提供用の素材にしていたのだ。
不倫相手との間に出来た子供や、親の居ない子供を中心に行った為、今まで露呈しなかったのだ。
ギャンブル依存性の校長は、数週間ほど前大負けして、マフィアから借りていた金を早急に返済する必要に迫られてた。
不自然な欠席は、これが原因だったのだ。
今まで疎らだった行方不明者が、一気に出始めたことで、ヴェロニカは真相に辿り着く辿り着くことが出来た。
「この散弾銃さ、妹のなんだよ」
「どんな死に方してたと思う?」
「食われてたんだよ、顔も腹も足も全部」
「趣味は悪いけど、私の言うことを良く聴いてくれた、いい子だったのに」
「畜生!!!!!!」
散弾銃の銃口がこちらへ向く前に、ヴェロニカの拳銃が脳天を撃ち抜く。
「何が畜生だ、畜生」
雨が降り始める。
壁にこびりついた血が洗い流され、地面に染み込んで消える。
だが、自分の罪は、洗い流しても染み込んでも、消えてもくれなかった。
飛行場にて
小型飛行機を降りると、見るからに社会的地位の高そうな男がいた。
間違いなく、あれが依頼主だ。
しかし、わたしは失敗した。
アネモネは死に、リタと私が生き残ってしまった。
あの父親は激怒するだろうか?それとも悲しみに明け暮れるだろうか?いずれにせよ、ろくなことにならないのは確かだった。
肩を大きく揺らし、こちらへ近付いてくる。
ルーマが殴られることを承知で、一歩前に出た時だった。
リタが2歩前に出て、こう言った。
「久しぶり」
ルーマは困惑した。
父親は笑顔で質問を繰り出し、リタは面倒そうに受け答えする。
そう、まるで父と子のように。
「いったいどういうこと」
「私の名前はアネモネ、リタへイワースは偽名」
理解するのに時間はかからなかった。
本物のリタは、わたしがアネモネと思っていた方だと。
「でも、写真じゃブロンドだった」
「そんなの、染めれば幾らでも誤魔化せるわよ」
「何故入れ替わりなんかを?」
「母親がピアノとかバレエとか習わせてくるの、鬱陶しかったから。後輩のリタも、タダで習い事が出来るからって引き受けてくれた」
あの時、我々を御姉様と言っていたのは、薬でラリってるからじゃなかった。
目の焦点が定まってないように見えたのは、わたしの後ろを見ていたからだった。
「わたしが最初に接近した時、なんで自分の正体を隠したの?貴女が隠さなければ、鉄格子を抉じ開けることも、本物のリタが死ぬこともなかった」
アネモネは心の奥底から、黒く濁った水を掬ってルーマに見せた。
「貴女と一緒の気持ちになりたかったから」
「は?リタが死んだのはあんたのせいでしょ……何を言って」
「いや、こうも思ってる。わたしがもっと早く、アネモネの正体に気付いていたらって」
ルーマは今更気付いた。
この女に遊ばれていたのだと。
「私も、リタを死なせてしまった罪悪感を感じてる。でもそれ以上に、貴女と一緒の気持ちになれたことが何よりも嬉しい。愛情に飢えてたんでしょ、私の存在を求めてたんでしょ」
自己嫌悪、人食い少女が自己に恐怖し、彼女を嫌悪している。
だがそれ以上に、自分を求めてくれる存在に歓喜している。
否定したくても拒絶したくても出来ない。
「こ、こ、こないでください」
これがルーマにできる、精一杯の否定拒絶であった。
アネモネはしゃがみ込んで囁く。
「強いのね」
アネモネは別の飛行機に乗り込み、遠くの空へ飛んでいった。
「わたしは………わたしは、わたしは?」
あまりにも不安定な感情に困惑し、一つの考えを思った。
「私は何に怒っているんだろう」
ルーマは涙が流れる瞳を指で押し潰した。