回り始めた歯車
襲撃事件から、数日たったある日の事だった。
記者が家にやって来て、ヴェロニカの事を取材させて欲しいと頼んできた。
断るつもりだったのだが、母親は、私と同じような状況に立たされている人達の希望になるなら是非と言った。
こういう時、なんと取り繕えば良いかわからなかった。
取り敢えず、私を育ててくれた親への感謝と、将来は医者になりたいと、嘘をついた。
取材が終わると、いつも通り母親の仕事場へ行く道中、孤児院に預けられる。
「ヴェロニカ、危ないことがあったらすぐに逃げて」
母親はこの前の一件以来、過保護から超過保護になった気がする。
念押しされるが、最後にこう付け足した。
「でも困った人がいたら、手を差し伸べてあげて」
私と違って母親は人間性が完璧だった。
私はそんないい人達を、何万人と殺してきたのだ。
相変わらず、人数偽装婆さんはこちらを警戒している。
あの婆さん、院内で蔓延る問題を、面倒だからと放置していたのだ。
社会に飽き飽きしてる目をしながら、院長に隠れて今日も書類を偽造していた。
ヴェロニカはいつものように本を持ち、全員が遊んでいる場所から少し離れた場所へ行く。
建物の影に隠れ、ひっそりと本を読んで過ごしていた時だった。
建物の中から、鼓膜を破らんばかりの悲鳴が、聞こえてきた。
何事かと思い、ベニヤ板で塞がれた窓の隙間から、中を覗いてみると、自分のした行いを見た。
体中が、水ぶくれとケロイドで覆われ、科学兵器の残虐性が色濃く表れていた。
職員が少年をベッドに縛り付け、鎮静剤を投与する。
「あれじゃ駄目だ」
自分はよく知っていた。
あの症状は、自分が開発したアレルゲンガスの物に違いない。
強制的にアレルギーを誘発させ、例えアレルギーがない人間でも症状を引き起こすのだ。
親がガスを浴び、後に産まれてくる子供にまで影響を与える。
医者は根治不可と判断し、国から難病指定を受けていた。
だが、私はそうは思わなかった。
私は自分の手首にある血管を、じっと見つめた。
ブリッジ病院にて
ブリタニカの首都に設立されていた、この病院では、医者達が頭を抱えていた。
「教えてくれ、何故根治不可とされた病気が、ある日突然治っているのかを」
会議に出席していた医者の一人が、遂に根を上げた。
NBC兵器治療対策チームは、連日起きる奇妙な出来事に首を傾げている。
「患者に何か別の共通点は?」
「全員が孤児であるってこと以外は、ばらばらです」
カルテを見ても、共通点は見付からず、ストレスで毛根が禿げ上がりそうだった。
「親を介してガスの効果を受けた患者が、自己治癒で回復した、と言うのはどうでしょう?」
「直接浴びた人も回復してるんだぞ、それはない」
「知り合いに魔法学の教授がいる、そっちの線からも探ってみるよ」
その日の会議では、結論が出なかったため、次回に持ち越しとなった。
カールは思考にふけりながら、同僚と共に休憩室を目指していると、焦げ臭い匂いを感じた。
目をやると、衣服がゴミ箱へ山積みになっていた。
「おい誰だ!こんなところに放置したのは」
清潔が求められる病院において、不衛生は天敵だ。
ゴミや医療廃棄物は、すぐに決められた手順に乗っ取って、処分しなければならない。
「手が足りないんです、この前の事故で」
この前の事故とは、製油所爆発事故の話だ。
製油施設で爆発が起き、その火災が市街地にまで広がり、多数の死者行方不明者を出したのだ。
「手が空いてるなら捨てに行って下さい」
看護師は気だるげにそう言うと、ふらふらしながら病室へ向かった。
周りを見ても、押し付けられる相手が居なさそうだったので、結局自分で運ぶことになった。
「油臭いな」
「製油所から出火したからな、当然さ」
油と血で汚れてた服を、裏口のゴミ箱へ放り投げる。
「まだ燃えてんだろ、この病院は大丈夫なのか?」
「文化財の時計塔に燃え移る前には、消える筈さ」
火災発生から数日が経過し、廊下に溢れるほどの患者は居なくなったが、それでも手は足りていなかった。
比較的軽症な患者や緊急性の低い者は、近くの孤児院や宿泊施設へ一時的に収容された。
そのせいもあってか、元から入院していた患者の家族からクレームを受け、入院費を下げる羽目になった。
「ん?まてよ」
「どうしたカール?」
頭に浮かんだ一つの仮説を提唱してみる。
「爆発事故の時、確か、病院に入院していた患者を別の場所へ移したよな」
「あぁ、それがどうした?」
「もし、その時、患者が外部の人間によって治療を受けていたとしたらどうする?」
その突拍子もない発言に、馬鹿なと言いかけたが、確かに筋が通っていた。
「患者の収容先リストはあるか?」
「事務室で保管してる」
2人は、籠ごとゴミ箱へ投げ捨て、事務室へ向かった。
その後、看護師から物を大事にしろと、大目玉を食らった。
ブリタニカ 美術音楽館 音楽ホールにて
アレン捜査官は、ピーナッツ片手に現場へ出向いていた。
「遅かったみたいですね。道に迷わなければ、もっと早く着けましたのに」
リズは、道に迷った張本人であるアレンへため息をつくと、捜査を始めた。
「犯行に使われたのはオブレズピストル、モシンナガンの銃身を極限まで切り詰めた物です」
ソルトビエがまだブルシーロフだった時代に、よく使われた物で、革命家やゲリラが愛用した武器だ。
「撃った奴は招待客が射殺、もう1人は、ポニーテールの赤い髪の女だったそうです」
「そいつはどうなった?」
「逃げました。マシンピストルを乱射しながらバイクで」
アレンのピーナッツを噛む速度が遅くなる。
こういう時は、何か考え事をしている時だ。
「どうします?我々国際警察なんて言われてますけど、実際はヨルドラン警察ですから」
国際警察と言うが、実際のところ加盟国は59ヵ国しかおらず、その大半はヨルドラン地域の国々だった。
もし犯人がヨルドラン地域外に逃げれば、捜査は打ち切り、報告書まとめて自分の管轄に戻るのだ。
我々の世界で例えるなら、FBIのEU版的な感じだろう。
「実は本部からお達しが来ててな。早急に犯人を捕まえろって、圧をかけてきたんだ」
「へぇ〜それはそれは、大変ですねぇ」
「世界中がこの事件に注目している。我々が失敗すれば、テロリズム助長に繋がる」
「つまり、世論に向けての戦果が必要と?」
「あぁ、だから道に迷った」
アレンはやって来た黒服の男から、メモを貰うとすぐに行動へ移る。
「なるほど、道に迷ったのはわざとでしたか」
「今回のテロは、個人を狙った物だったからな」
「未然に防ぐよりも、事件を起こして貰った方が、都合がいい」
「そして、犯人を尾行して活動拠点を炙り出すと」
「そういうことだ、君は反発すると思って、この事は言わないで置いたんだが」
アレンはリズの冷めた表情を見て、悲しくなった。
仁義とか正義を追い求める人間が、世界に一人くらい居ても、いいと思っていたからだ。
リズの反応は、アレンの予想したそれとは、全くの別物だった。
「右派が報復で、赤の鎌槌教団の支部に爆弾を仕掛けました。このままだと、右と左の全面戦争です。早急に対処するのは当然ですよ」
「それで、そのメモに書いてある場所は?」
「プレジャーボート用の港だ、一緒にくるか?」
「お供しますよ」
2人は、用意されていたS55輸送ヘリコプターに乗り込むと、港を目指した。
「ヘリコプターに乗ったことは!」
「アルシャナで軍事顧問だった時に何度か!」
そんなことしてたのかと、驚きを通り越して、逆に感心していると夜闇の下に、チカチカもマズルフラッシュが見える。
「もう銃撃戦が始まってるのか!」
ヘリコプターから、一隻のボートへサーチライトが当てられる。
テロリスト達は眩しそうにしながらも、抵抗を続ける。
アレンは、ヘリからカービン銃を突き出し、船の上で短機関銃を乱射している男を狙い撃つ。
1発目で弾道を見極め、2発目で目標ヘ命中させる。
カナリアが船内に引きこもったところで、リズが動く。
「機長!船の上でホバリングしてくれ」
「危険だぞ!自爆する気かもしれん!」
「一回死んだことがあるから平気だよ!」
ヘリは船の真上に降下し、3mの位置で停止する。
リズは、そのまま飛び降りると、船のドアを蹴破った。
中で武器を持った男待ち構え、至近距離から発砲する。
リズは手で銃身を横へずらし、拳銃で頭を撃った。
突然の出来事に驚き、慌てて武器を構えるが、リズは冷静に心臓を狙って撃った。
全弾撃ち尽くし、リロードをするためにマガジンをリリースした時だった。
テーブルの下に隠れていた敵が、リズへ掴みかかる。
グラスで頭を殴られるが、それに怯まずリズは、自分よりも大きな男を投げ飛ばすと、馬乗りになって殴り付ける。
「はぁ、はぁはぁ、ふー」
敵が完全に戦意を失ったのを確認し、手錠を掛けた。
遅れてやって来たアレンは、船内の様子をみるなり、派手にやったなと呟く。
「犯人一名を確保しました。無傷です」
「無傷?その状態で?」
歯が折れ、鼻があらぬ方向に曲がっている犯人を見て、アレンはドン引きした。