演技がお上手なことで
今回はかなり差別的な表現が含まれています。
読んで気分を害された方がいましたら、申し訳なく思います。
お前の正体を知っているぞ
手紙の中には、ただそれだけが書かれていた。
たった一言、一行にも満たない文字列が、ヴェロニカの不安を大きく駆り立てた。
誰かにバレてしまったのだ。
「おはようヴェロニカ!」
アイリスが勢いよくドアを開け、元気な声で挨拶する。
ヴェロニカは驚いた拍子に、机に膝をぶつけ物を落下させる。
「え、大丈夫?」
「う、うん」
膝を押さえながら、取り繕った表情を浮かべた。
服の中へ手紙を押し込みながら、だれがこの手紙を送り付けてきたかを必死に考える。
いや、そもそも何故正体がバレたのか。
いや、それを頭の中で議論する余裕が今あるのか。
いや、30前半の男が、女のふりしてるなんて知られたら普通に色んな意味で終わるだろ。
「…………………!」
いや、そんな与太話誰が信じると言うのだろうか。
科学兵器のパイオニアと呼ばれた男が、今巷で話題の奇跡少女だなんて話、誰も信じやしない。
あと10年以内に人類が月に行くと言う話くらい、信用ならない話だ。
「はーあ、心配して損した。今日は予定がないから、ゆっくりお茶でも……」
いや、そういう問題ではないだろ。
そう、誰かに突っ込まれた気がした。
大学にて
「えーでは、あー、今日はぁ、ここまでぇ、とする」
「あの講師滑舌悪くない?」
「非常勤だってさ、この前教授が淫行で捕まったからな、その代理さ」
「大丈夫なのかそれ?」
「一応国立出てるから大丈夫だろ。それにあの人、タダでやってくれてるらしいぞ」
「へー、立派なことで」
講義が終わり、殆んどの人間が昼食を求めて、食堂やレストランへ足を進める中、ただ1人席に座って深刻そうな顔をする美少女がいた。
その深刻そうな様子に、普段は雪崩のように襲い掛かる、ナンパや誘いの声もなかった。
ただ1グループを除いて。
「こんにちはヴェロニカさん」
声を掛けて来たのは、目をギラギラさせた女達のグループだった。
「なにか?」
疑心暗鬼になっている今、人と話すことすら嫌になっていたヴェロニカは、迷惑そうな顔をしていた。
「一緒にお昼をと思いまして」
このグループには、何回か声をかけられたことがある。
いつも集団で動く、猛禽類のようにギラギラした目をしている連中だ。
何度か誘われた事があったが、その度に、たった今出来た予定を理由に断っていた。
「いいですよ、今日は予定がないですから」
彼女達に囲まれながら、地獄の蓋を開ける気分で進んだ。
その道中、学舎という場所には不似合いな光景が繰り広げられていた。
「お前金はいつ返すんだ?」
「今週中には……」
ガラの悪い連中に殴られ、彼女は壁に叩きつけられる。
「もうそんなセリフは聞き飽きたんだよ!」
かなり苛立っているようで、公衆の面前でもお構い無しだ。
「俺達はマフィアなんだぞ、俺の親父は政治家を顎で使えるくらい稼いでる。椅子に座って指示するだけでもだ!」
「…………」
「何とか言えよ!」
抵抗も何もしないサンドバッグのような女に、自分の恐ろしさを見せつける為に、足で踏みつけようとした時、別の誰かが覆い被さった。
「なんだてめぇ!どけよ!」
ヴェロニカは襲われている女性を庇っていた。
「どけよカス!」
洋服へ靴の跡が付き、蹴られる度に息が止まるが、それでも離さなかった。
「おい、まずいよ。皆見てる」
弱者を虐める構図になっていることに、ようやく気付き、「覚えておけ!」とお決まりのセリフを吐いて学校から出て行った。
「大丈夫ですか?」
鼻血が出ていたので、止血しようとハンカチを持った時、突然庇っていた女に殴られる。
「げぶ!」
ヴェロニカを殴った後、そのまま女は逃げて行った。
「だ、大丈夫ですかヴェロニカさん!?」
リーダー各の女が他の仲間を押し退け、我先に駆け寄ってくる。
鼻がツーンとし、なんだか懐かしい感覚に襲われた。
「あいったぁ」
何故殴られたかもわからないまま、ヴェロニカは鼻を押さえていた。
ガルマニア帝国首都にて
「報告は以上です、ではこれで」
上官へ報告を済ませた逸見は、速やかに退散しようとする。
「まて、君と私の仲だ。形式的な態度は止めようじゃないか」
ため息を溢すと、来客用の椅子を引き寄せ、腰かける。
「終末戦争で、化け物は全て駆除した筈では?」
「私もそれを疑問に思っていた。アドラー国がガルマニアに編入されてから、私は君の残した資料を頼りに、あの化け物の生産工場とラリルトエ教会を徹底的に叩き潰した筈だ」
「歴史書は読みましたよ、海外から宗教弾圧と言われても続けられたのは、全体主義国様々ですな」
「そうかな?元々君が計画したプランじゃないか、逸見大佐」
そう言って笑みを浮かべるのは、ダミアン上級大将である。
彼は、元アドラー国軍の中央軍総司令官だった男だ。
ガルマニア国編入に伴い、国防軍に配属され、終末戦争を生き延びた歴戦の猛者というやつだった。
「鷲萸戦争の時、君は"患者"を沢山殺しただろう?あれは当時の軍部でも批判があった。まぁ、この国では称賛されるだろうが」
「私は患者を安楽死させただけです。銃で殺そうが、薬で殺そうが、やることは同じですよ」
時計が時間を刻み、針の音だけが室内にこだまする。
「私は君が時々怖くなるよ。あの化け物の存在を知った時、私は君のあらゆる行為に目を瞑ってきたが、それが正しかったのかどうかはわからない」
窓の外では、兵士達が隊列を組んで行進する。
「それでいいんですよ、私が殺さないと、誰も見向きもしませんから」
沢山の年寄りや体の自由が効かない人間が、バスに載せられ、どこかへ移動させられる。
「君は……この国の異常性に気付いているんだろ」
「えぇ、まぁ」
ダミアンの机には、絶滅収容所に関する報告と記載された文書が置かれていた。
「患者も害虫も、絶滅させた方が皆幸せでしょう?」
遠くの方でサイレンが鳴り響く。
焼却炉が動く時に危険を知らせる音だ。
「虫は容赦なく殺す癖に、哺乳類になった途端騒ぎ出す連中には困った者ですよ。奴らの言う、平等とは何なのでしょうね」
逸見がサイレンに歓声を上げる。
「また生きる価値のない命が消えたな」
ダミアンはこのサイレンが意味する事を知っていた。
なんら罪のない、障がい者や精神疾患者が焼かれる音だ。
この国では、生きる価値のない者として、非生産的な存在は排除される。
彼らのような者達は、この国では邪魔な害虫でしかないのだ。
そして、私もそれに加担している。
「では私はこれで」
一端足を止め、思い出したかのように振り返る。
「例の件はお任せ下さい、きっと日常が異常に変わるでしょうから」
逸見は部屋から出て行き、廊下を渡り歩く。
「お疲れ様です大佐」
ジャネットが鞄を持って、廊下の片隅でずっと立っていた。
「ジャネット、車で待っていいと言っただろう?」
「いえ、そういう訳には」
「しょうがないな、じゃあコーヒー屋へ寄ってくれ。好きな物を頼んでいいぞ」
「え、いいんですか?」
「どうせ経費で落とすんだから、うんと高いのを選べ」
ジャネットは、自分を差別しない逸見に少しだけ心を開いていた。
この人の元なら、家族を養う為に嫌々入った軍隊に、少しでも意味を持つことが出来るのではないかと。
「ほら駆け足だジャネット、税金で飲むコーヒーは旨いぞ」