絶望、力の暴走
一部、残虐な表現やシーンがあります。
苦手な方はご注意をお願いします。
シーが目にしたのは、アジトを叩き潰すノヴァの姿だった。
「────くっ!」
瞬間、シーの脳内に熱が走った。
強烈な熱は脳を始点とし、血液を通じて体全体へと行き渡っていく。神経が痛いほどに熱を感じていた。
シーを抱えていたユイはすぐに彼の異常に気が付いた。その異常なほどに高まる体温に……。
「シーだめ! あの子たちはもう……!!」
シーと繋がっていたユイはシーの思考を手に取るみたく把握している。
落とす視線の先にはノヴァの群れ。
シーが初めて遭遇したノヴァと同じ、カニのような見た目の個体だ。
ノヴァは今も、潰したアジトを漁るように腕を振るっている。
何体ものノヴァが、ぐちゃぐちゃと真っ赤な何かを挟でかき混ぜている……。
その意味するところをユイは嫌というほど知っていた。
「でもみんなを! みんなを助けないと!!」
感情的になって叫ぶシー。
ユイと繋がっているシーもこの状況に薄々気付いているはずだ。
ユイの頭はひとり冷静に働き、この状況から導かれる最悪の答えを弾き出しているのだから。
「シー……」
擦れた声音でユイは呟く。
もう間に合わないのだ。
これ以上、アジトだった場所に近づいても傷つくだけ。見たくないものを見るだけだ。
だが、冷静さを失ったシーはアジトに突っ込もうと乗り出した体はユイから離れていく。
シーを抱えるユイの手に、力はほとんど入っていない。ユイだって同じ気持ちなのだ。助けられるものなら仲間を助けたかった。間に合わないと分かっていても体が勝手に動いてしまうのだ。
ユイの目には、かつての自分の姿と今のシーの背中が被って見えていた。
そのせいか、シーの体は簡単にユイの元から離れ……渇いた大地へと飛び降りた。
「シー!!」
離してしまったシーの体を掴もうと、ユイは慌てて手を伸ばす。
しかし、一瞬遅く。ユイの伸ばした手は空を切った。
このままだと羽の無いシーが迎える結末は一つだけ……。
シーに追いつこうとユイは背中にある蝶の羽を広げた。
瞬間、ユイの頭に強烈な〈世界〉のイメージが流れ込んできた。
/ / / 黒い夢。
────擦り切れても……なお、はためく蝶の羽。
/ / / すべては灰色に消えていく。
……意味不明な〈世界〉。
その片鱗に触れただけだが、ユイは今までにないほどシーの〈世界〉を理解していく……。
ほんの少し。あと、もう一歩だけその世界に踏み込めば何かを掴めるような感覚にユイは襲われる。
見えない手で心臓を掴まれているような嫌な感覚。
それを無視して、ユイはシーとのリンクを深く強く繋げていく……。
禁忌を犯すような心を削る感覚に襲われながら。
ユイはその〈世界〉で何かを掴んだ。
「シー……あなたの〈世界〉は────!!」
ユイが〈世界〉のことを伝えるのが早かったか。
シーが目の前にしたノヴァの行動を目にしたのが早かったか……。
瞬間、二人の間で力の向きが逆転した。
ユイの背から蝶の羽が消える。
真っ逆さまに墜落しながら……。
ユイも確かにそれを見た。
タイプC──その一体が真っ赤に染まった挟で、黄緑色の物体を持ち上げていた。
肉の塊へと成り果てたそれは、えらくシーに懐いていた誰かのモノ。
それをノヴァは口元に運び……。
────ぐしゃり……。
……彼女の頭部を嚙み砕いた。
口元には、隙間にはさまったままの腕がぷらんとだらしなく伸びている。
ノヴァはそんなこと気にした様子もなく、残りの肉にありつこうと真っ赤な挟をアジトへ再び伸ばしていた。
それを見たシーは声にならない声で叫ぶ。
目を逸らしたくなるようなその光景を、シーと繋がっていたユイもまた視ていた。
そして、羽を消失したユイと羽の無いシーは絶望に打ちひしがれながら墜落するはずだった。
だが、そうはならなかった。
────左手だ。
半透明の巨大な左手が翼みたくシーの肩口あたりから生えていた。
いや、正確には浮遊していて生えてなどいない。それにシーの左腕にはルーが作ってくれた義手が備わっているのだ。生えるスペースなど残されていなかった。
あるはずのない左手を得たシーは、重力を無視するように着地する。
遅れて、墜ちるユイの体をその左手がキャッチした。
「アイツはボクが倒す。ユイはここで待ってて」
背中越しに、シーは静かにそう告げる。
シーが何をしようとしているのか……ユイはわかっていたが、シーの中で渦巻いているどす黒い感情を知ってしまった彼女には、その背中を眺めることしかできなかった。
──何かを失うことで、何かを得る。
何かを得るためには、何かを失う必要がある──
シーの〈世界〉にはたった一つ。それだけのルールが存在していた。
大事な人を目の前で失ったことでシーは何かを得た。
それはきっと悲しいものだ。
ユイのそんな予感をよそに。
シーは独り、ノヴァの元へと歩を進める。
ノヴァの一体がシーに気付き、キチキチと不快な音を鳴り散らし始めた。
それはきっと、ノヴァにとって警戒の合図だったのだろう。
肉を漁ることに夢中になっていたノヴァは手を止め一斉に襲い掛かかる。
「……邪魔だ」
襲い掛かるノヴァ十数体には目もくれず。シーは、タイプCの個体に向かって歩き続ける。
シーの命を刈り取ろうとノヴァは真っ赤に染まった鋏を振り下ろす……が、半透明な左手がそれを阻み今度は逆にノヴァを握り潰した。
シーは数秒と時間をかけず、十数体にも及んだタイプDをすべて握りつぶした。
潰すたびに溢れる赤は誰のものだったのだろうか。
戦線メンバーの顔がいくつも脳裏に浮かんでくるが、それを無視するようにタイプCの元へとシーは歩を進める。
「……フニフラ」
──ぽつり。
タイプCを前にしてたった一言。シーは救えなかった彼女の名を口にした。
そして。
巨大な左手は、一瞬も迷うことなくノヴァを握りつぶした。
「────」
潰したノヴァの残骸から真っ赤な液体が零れ落ちる。
それを眺めながら、シーは何度も何度も巨大な左手を振り下ろした。
数回目にしてノヴァの残骸は跡形もなく消え去っていた。ぐちゃぐちゃと耳障りな音が耳の奥で響いていた。
だが、それでも構わずノヴァのいた場所へ左手を振り下ろす。
真っ赤に染まった砂を何度も握りつぶすと同時。シーの中では何かが擦り切れていた。
それが何なのかをシーは理解していない。それを把握するためには、記憶を失っているシーにとってはあまりに経験が少なすぎた。
その、何かが完全に擦り切れる寸前。
ギリギリのところで。
シーの体は背後から誰かに優しく包み込まれた。
「どうしたかした……ユイ?」
ユイが背後から抱きしめていた。
それを振り返ることなくシーは尋ねる。
「もう十分……ノヴァはもう倒したでしょ?」
抱きしめているユイの手は震えていた。
だが、シーはそれを無視して左手を再び振り下ろす。
巨大な左手は、赤い砂しか残っていないその場所をすり潰していく。
「まだだよ。まだ、みんなを助けられていない」
「だからもう十分よ……。もう間に合わないの。あの子たちは、もう帰ってこないのよ」
「大丈夫だよ。もう少しで何かを掴める気がするんだ。今ならまだ間に合う……」
虚空を見たままシーは再び左手を振るう……そうしようとしたところを、ギュッと体を抱きしめたユイによって阻まれた。
「私はあなたの〈世界〉を見た。だから、シーが今何をしようとしているか分かっているつもりよ。でもね……死んだ人間は帰ってこないの。絶対に」
「なんで……なんでそんなこと言うの」
「これ以上あなたには傷ついてほしくないのよ」
「どうして……、ボクなんてべつにどうなったって……」
投げやりな言葉の途中。
最悪な一言をこぼすその前に、もう一度、ユイはシーの体を抱きしめた。
それはか弱いものだったが、不思議とシーの言葉を止めるにはそれだけで十分だった。
「私たちが一緒に過ごした時間はまだほんの少しだけよね。それでも、いつもあなたと繋がって戦っていた私にとってみれば、色んなことを知った仲間で、私のことを一番知ってくれている仲間なのよ」
「それは……」
パートナーのいなかったユイと、新しく戦線のメンバーに加わったシー。
戦場に立つことのできる人材は限られていて、効率を考えれば二人が組むのは道理だった。
「シーがフニフラのことを大切に思っていたみたいに、私にとってもシーは大切な人なのよ」
「それって……」
「こんなこと女の子から言わせるな……ばか」
背中ごしに聞くユイの言葉は震えていた。
その意味するところをシーは完璧には理解できていない。
だが、最後の一歩を踏み留まる理由には十分なっていた。
気付くと、振り下ろそうとしていた左手は消えていた。
「なんで……なんで、こんなことになったのかな。みんな悪いことなんて一つもしていないのに……」
「今の世界はそういう場所なのよ。ここには理不尽が溢れている。だから、私たちは国内に逃げるのよ」
「国内に……?」
それは、戦線の最終目標だ。
そのことをシーは理解しているつもりだったが、本当の意味でその重要性を理解できていなかった。
あまりに。あまりにも、シーが目覚めてから過ごした戦線での日々は充実していたのだから……。
「そう。国内に逃げればフニフラみたいに戦えない子たちも守ってもらえる。だから、私たち戦線メンバーは一日でも早く国内へ逃げるのよ。その為にみんな命を懸けて準備してくれている」
「……そっか」
おそらく納得はできていない。
それでもシーは、ユイの言葉をしっかりと受け止めていた。
これ以上、他の戦線メンバーに同じような結末を辿ってほしくない……。
そのためには、ユイの言うように安全な国内を目指すしかなかったのだ。
渇いた大地は、もう終わった場所なのだから……。
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そして、シーが戦線メンバーに加わってから半年が過ぎたころ。
国内への逃亡を目指す作戦が実行された。