第72話 俺はルッツの話をまだ聞き続ける
「ふむふむ……なるほど……それで……」
酔っ払った宿泊客達が自室に戻って静けさを取り戻した食堂内を、アリーさんの大きな相槌が支配する。
武闘大会や誕生祭が有る日と同じくらいに忙しい夕食時だったのに、厨房を取り仕切っていたアリーさんは変わらぬ元気さを保ち、我が宿の従業員達と個別面談をしていた。
一体何を聞いているのか。アリーさんの相槌と比較して従業員の声が小さいから、離れて座っている俺の耳には届かない。
聞き耳を立てようと近づくと、アリーさんが鋭い嗅覚でそれを察知して話を止めてしまう。
他人に聞かれたくない話をするのならもっと違う場所でやればいいのに。広々とした食堂の真ん中を陣取って内緒話をする意味が分からない。
しかし、何をしているのかはとても気になる。
話を聞けないと理解した父と姉は既に食堂を出ていて、居残っているのは俺とペーターだけになっていた。
「はい、話はこれで終わり。ご協力感謝します。御礼の品はなるべく早く食べてね」
10分程話して立ち上がった従業員は何やら小さな箱を抱えて食堂を出て行く。入れ違いに新たな従業員がやって来て、アリーさんの眼前に着席した。
「何話してたのか、聞いて来る」
ペーターを食堂に残して、俺は従業員を追い掛けた。
休憩室に戻っていた従業員は、普段見せない笑顔で、貰った小箱を自分の荷物に仕舞っていた。
「昨日警備隊が来た件を聞かれました」
昨日の件?
うちに泊まっていた客がゲオルグを襲ったんだから、それは姉として気になる話だと思うけど……聞いてどうするつもりだ?
「ふふふ、それにしても良いお土産を頂きました。こんな高価なお菓子、私の給料ではなかなか買えませんからね。子供達が喜びます」
わざわざ荷物に仕舞った箱を取り出して見せてくれたそれは、俺でも聞いた事がある高級菓子店の名が記載された箱だった。
「従業員全員にこれを用意したのだとしたら、太っ腹ですよね」
確かにこれを貰ったら笑顔にもなるだろうな。俺だって1度は食べてみたいと思っていたし。
俺にも、貰えるのかな?
今日働いている全ての従業員と話し終えたアリーさんは、「少し出て来る」と言って村から帰って来たアンナさんと共に姿を消した。
アリーさんの口からは未だに何も説明が無い。
まあお菓子を貰ったから、不満は顔に出ていないはずだ。
言葉通り、アリーさんはすぐに帰って来た。
何をしていたんですかと聞いても、内緒だよと言って教えてくれない。
「お風呂に入りたいんだけど、どうすればいい?」
こちらの質問には答えずに自分の要求を叶えようとする強引なアリーさんに押されて、俺はその夜、何も知らずに凄した。
翌朝、俺が目覚めた時には既に、アリーさんは活動を開始していた。
朝食用の食材を買いに行っていたというアリーさんは、見知らぬ女性と共に戻って来た。
「この人はマルテ!凄腕の料理人だよ!」
「よろしく!」
2人は早朝とは思えない元気の良さで似たような笑みを浮かべている。
「じゃあ早速朝食の準備に取り掛かるよ!」
アリーさんとマルテさん、それにアンナさんも加わって、厨房は昨夜以上に賑やかだった。
宿泊客が朝食を楽しんでいる頃、受付を担当していた姉が困惑した顔で厨房にやって来た。
「アリーちゃんにお客さんなんだけど、アントンが」
「あ!もう来たんだ!まだ忙しいから、終わるまで待ってて貰って」
「それが男爵、アリーちゃんのお父さんも来てて。ちょっと怒ってるというか」
「あーー、じゃあ父様だけ厨房に。アントンはどこかで待ってて貰って」
「うん、わかった」
それまでも賑やかな朝だったが、この2人が来てから、騒がしさは更に高まった。




