第45話 俺はドゥフト商会へ向かう
南の大通りに面するドゥフト商会の建物は、話に聞いていた通りに赤く、隣接する落ち着いた色合いの建物達から完全に浮いて見えた。
しかも、その真紅の異物は周囲の建物よりも間口が広い。高さも隣に勝っている。デカい図体と派手な見た目が相まって、ドゥフト商会はこの通りのどの建物よりも目立っている。
しかし、自宅から教会へ行く時には必ず通っていた大通りなのに、俺は今までこの建物の存在に気が付かなかった。
流石にこの原色に近い赤に気が付かない程俺もバカじゃないばす……きっと壁を赤く塗ったのは最近なんだな。確認するのは怖いから、そういう事にしておこう。
「まだ商会の店舗部分は開いているようですね。先ずはそちらの店員に話を聞いてみましょうか」
俺の戸惑いに気付いた様子も無く、ルトガーさんはドゥフト商会の開け放たれた戸口へと進んで行く。
大通りは仕事を終えた大人達で溢れ、日は西の山々に沈みかけている。
ドゥフト商会の店内は、独特の香りで満たされていた。
店内の棚には、大小様々な香炉や、お香、小さな器に入れられた香水が置かれているが、店の中央に設置された香炉で焚かれているお香が、その香りの原因のようだ。
これは、苔の匂い?
雨に濡れた苔を想起させるような湿った緑の匂い。
それに、少しだけ甘い香りが混じっている。
不快じゃないが、別の人は甘い食べ物に生えたカビの匂いを思い出すかもしれない微妙さもある。チーズの匂いかと言われると、それも違う気がするんだが。
なんでこの匂いを選んだんだろう?
壁を赤く塗っといて、店内の匂いは緑?
うーん。緑なら苔じゃなくて、ヒノキのような爽やかな木の匂いが良かったかも。それに、甘い香りは要らないかな。
「ゲオルグ様、こちらに」
ルトガーさんが店員と思われる壮年の男性と並んで、俺を呼んでいる。
俺が店内の香りについて考察している間に、ルトガーさんはやる事を済ませていたらしい。
「こちらは、この店舗の責任者をされている方です。この方によると、グレーテさんは既に退勤されているようです。早退、という訳ではないのですよね?」
俺に聞かせる為に、ルトガーさんがもう1度質問する。
「はい、グレーテの勤務時間は8時から17時までなので」
「退勤した後のグレーテさんの行動は分からない、と」
「はい、仕事を終えた後は分かりません」
男性は真顔で、淡々と応えている。
「勤務中のグレーテさんの様子はどうでしたか?」
「特に気になる様子は無く、普段通りでした。いつも笑顔で元気良く働いています」
「昨日と今日、誰かがグレーテさんを訪ねて来たりは?例えば、帽子を被った女の子とか」
男性はルトガーさんに手のひらを向け、
「お客さん以外には誰も」
と答えた。帽子を被った女の子とは、恐らく姉さんの事だろう。
「そうですか。ありがとうございました」
ルトガーさんが頭を下げて話を打ち切ると、男性は何も言わずに仕事へ戻ってしまった。
ふむ、あんまり良い情報は聞けなかったね。
「職場では何も無かった事は分かりましたね。彼の話を信じるならば、ですが」
何か、不審な点でも?
「最初に笑顔で挨拶された時と比べて、グレーテさんの話をする時は表情が固かったので」
そりゃあ、グレーテさんの行方が分からないって言われたら、いくら退勤後は無関係だとはいえ、笑ってはいられないでしょ。
「私は、行方不明だ、とかは言ってないんですよ。『ここで働いているグレーテという女性について話を聞きたい』と言っただけなんです」
ふーん。
単純にルトガーさんが怪しまれただけじゃない?
見知らぬ人間を警戒しただけかもしれない。
「そうかもしれませんね。別の方にも話を聞いてみましょうか」
俺はルトガーさんの提案に賛同して、もう暫くこの独特な香りの中に留まる事を決めた。
「さっきあの子と話していた『帽子を被った女の子』って、よく店に来てくれるアリーちゃんの事でしょうか?可愛らしい獣人族のクロエちゃんと一緒に見かける……」
「はい、その娘です。やっぱり来ていましたか」
店で働く中年の女性に話を切り出すと、その人は姉さんの事を記憶しているようだった。
姉さんがこの店に頻繁に来るっていうのはちょっと意外だった。お香とか香水とかには興味無さそうだし。店の商品ではなく、ここで働いているグレーテさん目当てで来てるのかな?
「確かに昨日来ましたが、訪ねた相手はグレーテじゃなく「ちょっと、母さん!」」
先程の壮年の男性が語気を強めて、遠くから女性に食って掛かった。
「無駄話をしてないで、仕事に戻ってくれ!お客さんも、買う気が無いなら帰ってくれ!」
「はいはい、分かったよ!……すみません、お客さん。誰に似たのか短気な息子で」
男性にも負けない大声で返事を返した後、女性は声量を落として話を続けた。
「いえいえ、お仕事の邪魔をして、こちらこそ申し訳ありません。何かオススメの賞品が有れば、それを1つ頂きましょう」
「あの子にも、アリーちゃんみたいな懐の深さといつでも笑える余裕が有れば「ちょっと!」」
どうやら男性は地獄耳らしい。
「はぁ。態度も口も悪いけど、耳だけはいいんだから。そこは旦那じゃなくて、私に似たのかもしれませんね」
女性も流石に苦笑いだ。
「配達、終わりました!」
その時、少し甲高くて幼い声が店内に拡散した。
「ああ、丁度帰って来ましたね。あの子は私の親戚の子で住み込みで働いているんですけどね。あの子ですよ、アリーちゃんが昨日の夜中会いに来ていたのは」
女性が指し示す先には、俺よりも少し小柄な女の子が姿を見せていた。




