第44話 俺は静かな教会を訪れる
「ここがグレーテ達の家だよ」
ザシャさんの案内によって訪れた建物は、王都南部の教会に程近い場所に有る集合住宅だった。この辺は集合住宅が多く立ち並んでいる居住区エリアだ。
「こんな時間だから仕事は終わってると思うけど」
ザシャさんが無造作に、とある玄関の呼び鈴を鳴らす。
暫く待つと玄関扉が開き、中年の女性が姿を見せた。
「こんばんは、おばさん。アントンは居ますか?グレーテでもいいんですけど」
ザシャさんが今日イチの笑顔を中年の女性へ向けた。
「ああ、ザシャちゃんこんばんは。生憎2人共まだ帰って来てないけど、グレーテは教会だと思うわ。仕事終わりはいつも教会に寄ってるから。アントンは、何をしてるのか分からないわね」
「ありがとう、おばさん。教会に行ってみますね」
ザシャさんはにこやかに対応して、早々に女性との会話を切り上げた。
「取り敢えず、グレーテと会う為に、教会でいい?」
ザシャさんは俺達の返事を待たずに踵を返し、教会へ向けて歩を進めた。
平日の夕方、2つの教会を訪れる人は少ないようで、通りから覗く限りはどちらの教会も静まり返っている。
「時間が無いからさっさと見て回ろっか。先ずはマギー様の教会ね」
ザシャさんはずんずんと教会の奥へと進んで行く。
「毎年年明けの混雑している時にしか来ないから、何もない日に来ると新鮮だね」
歩みを止めずに、ザシャさんはキョロキョロと視線を彷徨わせ、教会内の調度品を物色している。
「うちの宿にもああいう豪華な絵を飾った方が良いのかね。私には良さが分からないけど」
「高価な調度品は幸甚旅店の雰囲気には合わないと思いますよ。飾るなら、植物なんてどうでしょう?」
ルトガーさんがザシャさんに応える。
「植物かぁ。すぐ枯らしちゃいそうだけど、それも良いかもな」
にぱっと笑ったザシャさんのテンションが妙に高い。誤用なのは分かってるけど、浮足立っている、と敢えて言わせてもらおう。
「お、礼拝堂に着いたか。相変わらずマギー様の像はデカいな。さて、グレーテは居るかな?」
巨大なマギー様の像の全周を囲むように作られた礼拝堂にはぽつぽつと人の姿を確認出来たが、その殆どは司祭服やシスター服を着た教会関係者だった。
「うーん。ちょっと、司祭様に聞いて来るよ」
ぐるっと礼拝堂内を見渡したザシャさんは、近くに居た司祭服の男性の下へ近付いて行った。
静かな礼拝堂。離れていてもザシャさん達の話し声が耳に届く。
「ああ、毎日お祈りに来てくれる女性ですね。そういえば今日は見かけていませんが……他の方にも聴いてみては?」
ザシャさんは「ありがとうございます」と頭を下げて、今度はシスターのところへ向かって行った。
「ふむ。アントン君だけでなく、お姉さんも行方不明ですか。たまたま用事が有って礼拝に来られなかったのなら、いいんですが……ヘルミーナさんとアントン君を呼び寄せる餌としてお姉さんを捕える、なんてことも有るんでしょうか」
不穏な事を言うルトガーさんを考えを後押しするように、聞き込みを続けるザシャさんの足は止まらなかった。
「うーん。何処に行ったんだろうね?久しぶり会いたかったんだけど」
ザシャさんが腕を組んで小首を傾げる。
結局マギー様の教会ではグレーテさんの情報を得られず、隣のシュベルト様の教会でも同様だった。
勿論、アントンさんやヘルミーナさんの情報も無しだ。
2人が逃げ出して行方が分からず、グレーテさんも時を同じくして教会に姿を見せなくなったのは、果たして偶然だろうか。
先程ルトガーさんが口にした不穏な予測が現実になっているような気がして、胸がざわついている。
「今日は教会へ寄らずに帰ったのかもしれません。1度自宅へ戻ってみて、グレーテさんが帰っていなかったら職場ヘ向かってみましょう」
ルトガーさんの提案を聞いたザシャさんは、返事に戸惑った様子で唸っている。
「そろそろ宿に帰らないと、夕食の時間に間に合わないんだけど?」
「では、私とゲオルグ様だけでグレーテさんの家に向かいます。ザシャさんは、マリーの飛行魔法でお帰りください」
「え?こんな小さい子が私を抱えて飛べるのかい?」
「ええ、問題有りません。マリーは、アリー様達が宿に帰るって来るかもしれないので、宿に待機していなさい」
「畏まりました」
俺が口を挟む間もなく、3人で今後の予定が決定してしまった。
斯くしてザシャさんはマリーと共に宿へ戻り、俺とルトガーさんはグレーテさんの自宅へ向かう事になった。
呼び鈴を鳴らして出て来た中年の女性は、再び訪れた俺達を訝しんでいたが、教会でグレーテさんに会えなかった事を伝えると驚いた様子で目を見開いた。
「確かに、普段ならもう帰って来ている時間ですが……」
「よろしければ、グレーテさんが務めている職場を教えていただけませんか?私達で話を聞いてきますので」
「え、ええ。お願いします」
女性の口から出て来た職場は、ドゥフト商会と言う聞いた事が無い名前だった。
「なるほど。南の大通り沿いに有る、壁を赤く塗った大きな商会ですね」
ルトガーさんは名前を聞いただけで、商会の場所も特定出来たらしい。
しかし、赤い壁か。俺ならその色は選ばないかな。
「もし商会にも居なかったら、警備隊に捜索依頼を出す事になるかもしれません。警備隊員が訪ねて来たら、落ち着いて対応してください」
「えっ、あ、はい……」
最悪の事態を想定しているルトガーさんの考えに付いていけていないのか、女性は曖昧な返事をしながら目を瞬かせていた。




