第40話 俺は診療所を後にする
イルヴァさんの記憶を聞いたが、ヘルミーナさんの行方は不明のままだ。
ヘルミーナさんが、アムレット商会の副商会長から逃げているのは理解出来た。
しかし、どこに逃げて隠れているのかは分からない。
ルッツ達なら居場所を知っているんだろうか。
それともルッツ達も、アムレット商会の倉庫に隠れるとしか聞いていなかったのだろうか。結局倉庫には居なかったみたいだが。
それは3人を探して聞いてみないと分からないな。
「くぅぅ」
頭の中を整理していると、可愛らしい音が耳に届いた。
イルヴァさんの頬が少しだけ紅く染まっている。
「あの甘い香りを思い出して、またお腹が空いてしまいました……」
申し訳無さそうに白状した微笑ましくて、倉庫の在庫が残り少なくなったクッキーとジャムを、惜しみなく提供した。
「そういえば、イルヴァさんはあの甘い香りを嗅いで、眠くなったりしなかったんですよね?」
「ふぇむふ?」
口いっぱいにクッキーを詰め込んだまま、イルヴァさんは小首をかしげた。
マリーが水筒の蓋に冷えた水を注ぎ入れ、イルヴァさんに手渡す。
イルヴァさんはその水で口の中のクッキーを胃に流し込み、
「眠くなったり、気怠くなったりはせずに、お腹が空くんです」
と、先程話さてくれた通りに答えた。
ふむ。
休怠香は魚人族には効かない、もしくは効果が薄いと考えていいんだろうか。イルヴァさんの個人的な耐性かもしれないけど。
いや、休怠香単体では効果が薄いって話か。イルヴァさんが意識を失ったのは血の香りと休怠香が混ざった後だろうから、あの不快な香りが効いてないかは分からないな。
いやいや、今はそんな考察をしている場合じゃない。イルヴァさんも目覚めた事だし、次の行動を起こさないと。
「イルヴァさん、俺達はそろそろ此処を出ます。クッキーとジャムを有るだけ置いて行くので、暫く此処に居てもらえますか?」
「んぐっ。それは構いませんが、私にも気になる事が有りまして」
「ゲラルトさんなら隣で寝ています。イルヴァさんと分かられた後、どこかで怪我をして運ばれたようです。目が覚めるとすぐに暴れるから睡眠薬を投与されたみたいで、全く話は出来ていませんが」
「あー、そうですか。マルセスさんに叱られそうですね」
「ハハハ、そうですね……頑張ってください」
何を頑張れば良いのか俺にも分からないが、悲惨な未来を予想してしゅんとしてしまったイルヴァさんには、他にかける言葉が無かった。
面倒くさそうに顔を歪めたニコルさんにイルヴァさん達を託して、俺達は診療所を出た。
「これからどちらへ?」
護衛として付き従ってくれているルトガーさんに、
「候補は2つあるんだけど」
と、俺は右手の人差し指と中指を立てて答えた。
「1つはアムレット商会。ヘルミーナさんが帰ってるかどうか確認したい。もう1つは幸甚旅店。ルッツ達や姉さんの動向が気になる」
「警備隊詰所はどうですか?」
マリーが口を挟む。
「目覚めたあの人からダミアンさんが情報を引き出しているかもしれませんよ?」
目覚めてすぐに逃げ出そうとしたあの男か。確かにあの男の話は気になるけど。
「情報を教えてもらえない可能性の方が高いと思うし、逆にイルヴァさんの話を聞きたいと時間を取られるかもしれない。だから後回しにしよう」
「では、先ずはアムレット商会ですね。幸甚旅店はアムレット商会の向こうなので」
そういえば、俺は幸甚旅店の場所を知らなかった。ルトガーさんありがとう。
ということで、俺達はアムレット商会の様子を見に行くことになった。
「警備隊、ですね」
「うん、知らない顔の人達ばかりだから、ダミアンさんの部隊じゃないね。これは困った」
アムレット商会は警備隊員によって封鎖されていた。
勿論、倉庫の方にも警備隊員が居て、倉庫が有る通りを通行する事自体が規制されている。
危険な香りが残っている可能性を考慮しての通りの封鎖だろうか。近隣住民はいい迷惑だね。
「仕方ないから、幸甚旅店に向かおっか。ルトガーさん、お願いします」
かしこまりましたと応じたルトガーさんに先導されて、俺は友達の実家へ足を向けた。




