第37話 俺はイルヴァさんの困惑を理解する
興奮したユルゲンさんに力いっぱい突き飛ばされた私は、たたらを踏んで地面に転び、アムレット商会の倉庫が有る通りに体を晒してしまいました。
「こっちは悔しくて悔しくて!昨日は眠れなかったのに!」
ユルゲンさんはその顔を歪ませて、転んだ私を斜め上から見下ろしています。
「試合が決した時の、勝利を喜びもせず、負けた僕を嘲笑うでもなく!何も考えていないかのようなぼーっとした貴女の顔を!僕は忘れられなかったのに!なのに貴女は……僕の顔を全く覚えていないなんて、絶対に許さない!」
それから暫くユルゲンさんは声を張り上げ、私に対する言葉を重ねました。私は驚きと混乱のあまり、地面に倒れた体を起こす事も出来ず、その言葉を只々聞いていました。
負の感情を込めて力強く放たれた不穏な音は、風向きなど考慮する必要も無く、通り沿いの倉庫まで届く勢いでした。
「そこで何をやってる!」
当然、倉庫前に居たアムレット商会の副商会長達が、騒動に気づきます。
「この魚人族がヘルミーナの居場所を知ってるぞ!とっ捕まえろ!」
ユルゲンさんが副商会長へ向けて新たな言葉を叫びました。
私はその言葉の危険性をなんとか理解し、立ち上がって逃げ出そうとしましたが、アムレット商会の方々はそんな猶予を与えてくれませんでした。
逃げ遅れた私は、道の真ん中でアムレット商会の面々に囲まれました。
その中には勿論副商会長も混ざり、私を睨みつけています。
「貴様は何者だ?」
副商会長が強い口調で話しかけて来ました。
「あの騒いでいた奴は何を知っている?」
副商会長が視線を通りの奥へと移動させます。
そちらはユルゲンさんが逃げ去った方向でした。
「彼はなにも知らないと思います。それに、逃げる先は警備隊詰所にすると言っていましたので、追いかけるだけ無駄だと思いますよ」
既に何人かは副商会長の指示で、ユルゲンさんを追いかけているようですが、私と違ってすぐさま逃げ出したユルゲンさんは、恐らく捕まらないでしょう。出来れば誰かを連れて戻って来て欲しいところですが。
「では貴様は何を知っている?誰に頼まれて、我がアムレット商会を探りに来た!?」
「アムレット商会を探るなどしていません。私達は学内の仲間として、居なくなったヘルミーナさんを探しに来ただけです」
私は反論しましたが、副商会長はそれが納得いかなかったようです。
「それならばどうしてコソコソと隠れて、こちらの様子を窺っていた!?そんな相手の話を、どうして信じられる!」
語気を強めた副商会長は、ダンダンっと右足を踏み鳴らしました。
「ふ、ふ、副商会長。あ、あ、あまり興奮されますとお体に障ります。ど、ど、どうか、落ち着かれて」
「落ち着いていられるか!ローマン!」
副商会長の怒りは、斜め後ろに付き従っていた従者らしき人物へと向かいました。
「手を組んだはずの相手からは偽情報を掴まされ!従業員には大事な倉庫の鍵を持ち去られ!」
怒りを放出する度に、その右足は地面をダンダンと叩いています。
「更には不審な餓鬼共まで現れる!私に興奮するなと言うのなら、貴様がこの状況をどうにかしてみせろ!」
「す、す、すみません、ですが」
「もういい!お前は店に帰って、新しい錠前の準備でもしていろ!」
「は、は、はひぃ」
ローマンと呼ばれた従者は、逃げるようにこの場から立ち去った。
「ハッハッハ。随分と荒れてるね、副商会長殿」
副商会長の怒り爆発によって重苦しくなった雰囲気を吹き飛ばすような朗らかな笑い声が耳に届きます。
周りを取り囲む人達によってその姿はきちんと確認出来ませんでしたが、通りの向こうから誰かが現れたようです。
あらわれた人物の姿を見た副商会長が軽く舌打ちするのは確認出来ましたが。
「この怒りを生んだ現況の1つが、貴方の部下なわけですが?」
「後ほどきつく注意しておくよ。ただし、部下ではなく、向こうが勝手に協力してくれている友人だけどね。部下だと、僕が命令しているみたいになっちゃうでしょ?そこは、間違えないで欲しいね」
副商会長はもう1度、今度はあからさまに舌打ちしました。
「ふふふ。副商会長殿とも末永く良好な友人関係でいたいものだね。お互いの為に」
遠いの向こうの誰かは、苛ついている副商会長の心情を楽しむように笑っていました。




