第114話 俺は東方伯の様子を知る
旦那様と共に飛行魔法で早朝の東方伯邸に近寄ると、まだ幾分か距離が有るのに東方伯の怒声が耳に届いた。
「あんなに怒気を放っているのは、戦場に立った時以来か?」
旦那様が呆れた顔で聞いて来る。
「戦後、旦那様がリリー様に求婚した時の方が怒っていましたね。その時と比べたら大した事無いですよ」
「自分は横で観ているだけだからって、軽く言い過ぎじゃいないか?」
そんなに恨みがましい目で見られても困る。
「さあ、覚悟を決めて行きましょう。このまま東方伯を放置していると、東方伯邸の家人がリリー様を呼びに行っちゃいますよ」
「あーー。はい、ガンバリマース」
東方伯とリリー様を天秤にかけた旦那様は、素直に東方伯邸へ向けて降下を開始した。
東方伯邸の前で旦那様の到着を待っていた家人に案内されて中に入る。
歩く度にどんどんと大きくなっていく東方伯の声に、耳が潰されそうだ。
「あーあー、もう。そんなに怒らなくても」
前を歩く旦那様の声すら聞き取るのが難しい程に、東方伯はその怒りをぶちまけている。
この声量を使って戦場で指示を飛ばす東方伯軍は、兵士皆が指示通りに整然と動く素晴らしい軍だった。
まあ普通は風魔法を使って声を飛ばすんだけど。
私達は一旦応接室に通された。家人は私達をそこで待たせ、東方伯を呼びに行った。
応接室のソファーに腰掛けて待つ事数十秒。
ドタドタと大きな足音による振動が廊下から伝わり、応接室の扉が勢い良く開いた。
「おい男爵!ゲオルグを襲った犯人はもう全て捕まえたんだろうな!?」
眩暈を起こしそうな程強烈な東方伯の圧力に私は押し負けそうになったが、旦那様はすぐに起立して頭を下げた。
「目下捜索中ですが、有力な情報は得ております。今日中には決着を付ける所存であります」
東方伯の気迫に負けないようにと旦那様は精一杯声を張り上げる。
「よし、犯人確保の時は儂も連れて行け。大事な孫を襲った事を後悔させてやる!」
「いえ、ここは私達にお任せください。旅の疲れも有るでしょうから東方伯はゆっくりと休んでいただいて」
「疲れなど無い。いいから犯人の情報を教えろ!」
「いいえ、教えません」
旦那様は下げていた頭を上げ、東方伯の目をしっかりと見据えながら答えた。
「東方伯が動くと街に被害が出ます。そうなると情報を漏らした私がリリーに怒られます。東方伯よりリリーの怒りの方が怖いので、私は東方伯には何も教えられません。申し訳ありません」
「……リリーは今何をしている」
「我が家で愛する子供達を守ってくれています。リリーが怒り出すとまだ幼いカエデやサクラが不安がります。カエデ達が大きくなるまで、リリーには笑顔の素敵な優しい母親でいて欲しいのです。なので、東方伯も協力してください」
すっと応接室の床に膝をつき、自然な動作で土下座に移行する。流石に土下座し慣れているのはどうかと思うが、旦那様のその姿勢を見て東方伯は押し黙った。
「それで、誰が犯人なんだ?」
旦那様の土下座によって怒気を抑え込んだ東方伯が応接室のソファーにどかりと座り、家人が淹れた紅茶を一口含んだ後に聞いて来た。
「東方伯には教えられません」
土下座をやめ、東方伯と対面するソファーに座り直した旦那様が毅然とした態度で答える。
その態度とは裏腹に、首筋にはベッタリと汗をかいている。
私は紅茶にたっぷりと砂糖を入れて、旦那様に差し出した。
「男爵の考えは分かった。男爵が今持っている情報を全て開示し、その情報から犯人逮捕の可能性を感じられたら儂は動かん。反対に、こりゃダメだと思ったら動く。今は、動く気満々だぞ」
収まったはずの怒気の片鱗をチラリと見せながら脅して来る東方伯に、仕方ないなと前置きして旦那様は話し始めた。
「なるほど、学校内での派閥か。儂は昔から出身地で纏めるクラス分けが好きでは無かった。違う土地の者と交流しなければ新しい文化は生まれないからな」
(うちの親父とは犬猿の仲なのにな)
東方伯の持論を聞いた旦那様が、ボソッと言葉を漏らす。
旦那様の父、デニス様は西方の雪国出身。東方伯は東方の暖かい海辺出身。お互い全く違う文化で生まれ育っているが、仲が悪い。まあ東方伯にもデニス様に対して譲れない何かが有るのだろう。
「それと、奨学金。我が東方伯領内の奨学金は全て儂が援助しているが、他領内では違うようだな。男爵領ではどうだ?」
「私の領内でも、今のところは私が全て出しています。ただ、他の大きな領地と比べて子供の数が少ないので、全てを援助していない領主を責める立場には無いと思っています」
「うーむ。今後は悪質な組織を摘発して国の支援を増やすよう宰相に話しておくか。それとも、地方にもっと質の良い学舎を増やすようにと働きかけるべきか」
「どちらも推進するべきかと」
「後は警備隊内の腐敗か。警備隊員が子供を襲うなど全く信じられない話だ。警備隊を一旦解体するべきじゃないか?」
「流石にそこまでは、真面目に働いている者達の方が大半ですので」
「よし、東方伯領の管理は全部息子に任せ、儂が王都に住んで警備隊を1から鍛え直してやろう。そうすればいつでもリリーの顔を見れるしな」
「ハハハ、お手柔らかに。昔の東方伯軍のように厳しくやったら、それこそ警備隊に人がいなくなって解散しちゃいますよ」
「まあ任せておけ。儂が歴代最強の王都警備隊に鍛え上げてやる。ガハハ」
怒りを忘れて和やかな雰囲気になった東方伯の姿を見て、応接室の隅で様子を見ていた家人達がほっと胸を撫で下ろしていた。




