第106話 俺は宿屋での話に聞き入る
赤い靴を履いた警備隊員。
イヴァンの急な呼び出しに慌てて普段使いの靴を履いて来てしまったのか。
私達を挑発する為にあえて赤を選んだのか。
はたまた油断か、慢心か。
イヴァンの詰所に配属されている彼が火をつけて捕まった仲間2人を逃したんだろうか。
坊っちゃまを襲おうとしてバルバラに邪魔された警備隊員もあの中に居たんだろうか。
もしかしたらあの隊を率いていたイヴァンも、詐欺集団に加担しているんだろうか。
「おい、ルトガー。ダミアン達は先に入った。俺達も中に入るぞ。」
旦那様に肩を叩かれ、私の思考が中断させられる。
旦那様の言う通り、周囲には私達しか居なかった。いつのまにか時間が経っていたようだ。
「現場で深く考え込むのは、昔からの悪い癖だぞ」
「そう仰る旦那様の悪い癖は、平時でも深く考えずに直感で動く事です」
「その通り」
私の反論に、旦那様は自身有り気に頷いた。
直感で今まで生き抜いて来たという自負がその言葉に込められていて、悪い癖だという点は気にも止めていないようだ。
「その直感によると、この宿屋の主人が怪しい。近衛が1度聴取した時には怪しい様子は無かったらしいが、それでも俺の勘は怪しいと言っている。次点は主人の長男だ。もう成人していて、後継者として一緒に住んでいるらしい」
詐欺集団だと知っていながら、彼らに部屋を貸して協力していた可能性は十分に有る。
勿論知らなかった可能性も高いが、誰だって最初は宿屋の関係者を疑う。
しかしそれは初歩的過ぎて誰も口にしない。だが旦那様はそれを自信満々な態度で堂々と口にする。
そういうところも旦那様の悪い癖で、周りの人間はそれを聞くと旦那様の浅慮を馬鹿にして下に見る。
しかしその勘は割と本命を引き当てる。だからこの人と一緒に居るのは面白い。
「それじゃあ宿に入るぞ。ダミアン達が主人らを再聴取している間に、俺達は近衛と共にギードがアハトと会っていた420号室を調べる。ギードが部屋番号を覚えていて助かったな」
宿屋に向かい掛けた旦那様は足を止め、もう1度宿屋の外観を眺める。先程とは違って灯りが消えた部屋も、逆に灯った部屋も有った。
「割と老舗の宿屋なのに、潰したら勿体無いよな」
ボソッと独り言を漏らした旦那様は再び歩みを進め、今度は立ち止まらずに宿屋に入った。
深夜遅くにも関わらず、宿屋の主人は我々の捜査に協力的で、再聴取や部屋の調査にも簡単に応じてくれた。
「しかしその部屋は暫く泊まり客が居なかった筈です。そこは最上階の突き当たりにある部屋でして、階段やトイレから遠くて不人気なんですよね。祭りの時期でもないとなかなか埋まらない。台帳を見ると……ああ、やっぱり。5月末の武闘大会以来泊まり客は居ませんね」
受付に私達を連れて来た主人は、泊まり客の名が書かれた台帳をパラパラと捲って見せ、該当する420号室が約半月程前から無記名で有ることを私達に示した。
その台帳にはギードの名前も有った。404号室。後でその部屋も調べさせてもらおう。
「近衛で調べた部屋は401号室です。4階はそういう連中の溜まり場だったんでしょうか」
近衛兵がコソッと教えてくれた。
階段で毎日4階まで上がるのは正直面倒だ。だから上階は空き部屋になりがちで、ところによっては宿代を安くしているところもある。おそらくはここもそうなんだろう。安い宿はガラが悪い連中を引き寄せやすい。
「色々と聞きたい事が有るのですが、まず1つ。この宿屋は空き部屋に対して、夜間に窓を開けて換気したりしていますか?」
旦那様の質問を主人は笑い飛ばす。
「ははは。掃除の時間は換気をしますが、普段は閉めていますよ。盗まれるような高価な物は灯りの魔導具くらいしか有りませんが、流石に不用心ですからね」
「んーー。では420号室は、通りから見て1番右上の部屋ですか?」
宿屋に入る前に何度も眺めていた景色を思い出しながら旦那様は更に質問する。
1番右上は確か。
「そうですね。うちは階段が建物の左端に有って、階段に近い部屋から1号室、最も遠い部屋が20号室でして。各階の廊下を挟んだ反対側にはトイレやらシャワー室なんかを纏めて」
主人の回答を聞いて、私は外へ向かって走り出した。
「その部屋の窓は開け放たれていて、しかも俺達が宿屋に入る直前になると部屋に灯りが灯った。誰かそこに居るのでは?」
「え!?」
旦那様の話を聞いた近衛2人が私とは逆に階段へと突撃する。
外へ走り出る丁度その時、何かと何かが衝突して割れたような音が微かに耳に届いた。
音源の調査は後回しにすると決めた私は軽く地面を蹴って上空に飛び上がり、飛行魔法で最上階右隅の窓へと向かう。
旦那様が言った通り、その部屋の窓は開け放たれていて、勿論灯りも灯っていた。
バルコニーやベランダといった足場になる物は無いが、窓の大きさは十分に有って、大人でも多少飛行魔法が使えたら簡単に出入り出来そうだ。
窓は室内から外側に向かって木板を開く両開きの窓で、内側に金属製の閂錠が設置されている。鍵の掛かった窓を板や錠を壊さずに外から開けるのは難しいだろう。勿論、窓も鍵も壊されていない。
室内には立ち入らず、外側から内部を覗き込む。
ベッドが有り、机が有り、クローゼットが有り、部屋の向こう側にある扉まで見通しの良い細長い一室で、机の上に設置された魔導具がこの部屋唯一の光源のようだ。
特に荒らされた様子も無く、綺麗にベッドメイキングされている部屋だったが、夜空に吹く穏やかな風が室内から私の鼻にほのかな甘い香りを運んで来ていた。
窓から一端目を逸らし、周囲の状況を確認する。
宿屋から漏れ出ている灯りと街灯のお陰で周囲の状況は簡単に確認出来たが、目に映る人影は私を追いかけて外に出て来て出入口を塞いでいるダミアンの部下だけだった。
先程の音は何だ。この窓から誰かが飛び降りた、もしくは物を投げ落とした時の音にしては小さかった。
隣の部屋の窓は木板で閉ざされて灯りも無い。下の回の320号室も同様。後ほど調査は必要だろうが、今は手出しが出来ない。
あとは上だと宿屋の屋根まで登ってみる。
傾斜の付いた屋根には貯水槽と、屋根裏部屋に続くと思われる木製の窓が3箇所設置されていた。
部屋の窓よりは小さいが大人でも無理をしたら通れそうだ。でもどの扉もしっかりと木板が閉じられている。
しかし、その扉の1つから甘い香りが漂っているのを、私の鼻は嗅ぎ逃さなかった。
周囲の簡単な捜索を終え、410号室の窓に戻って暫く待つと、部屋の奥に有る扉がガチャリと音を立てて開かれ、ふうふうと息を切らせた主人が顔を出して来た。
「扉に鍵は掛けられていた。先についていた近衛によると、階段や廊下を通る者は誰も居なかったと。ルトガー、そっちはどうだ!」
主人に変わって扉から顔を出して来た旦那様に対して、
「屋根裏部屋」
私は空に向かって人差し指を突き上げながら答えた。




