第103話 俺は姉さんの怒気に怯える
坊っちゃまの話を持ち出したアリー様は激怒していた。
内に抱えて今まで我慢していた怒りを曝け出していた。
その形相や漂わす雰囲気はアリー様を知らない警備隊員らを圧倒させ、彼らは絶句していた。
しかし八つ当たりして何かを壊さないようにと、アリー様は必死に歯を食いしばって自身の怒りを抑えようとしている。
それがまたアリー様の息を荒立たせ、形相をより険しくさせ、いつ爆発するかも分からない猛獣だと彼らに認識させてしまった。
「一旦我々は部屋から出よう」
気を利かせたダミアンに押されながら、絶句して固まっていた警備隊員達が面会室から退いた。
「アリー。怒る気持ちは分かるけど、今日はこのまま家に帰ろうな?」
アリー様の身内と友人だけになった面会室で、旦那様がアリー様を優しく抱き上げた。
「やだ」
帰らないと答えたアリー様は旦那様の首に強くしがみ付く。
旦那様の肩越しに壁の方を向いているアリー様から、鼻水を啜る音が聞こえた。誰かが旦那様の背後に回ってその顔を確認したら、アリー様の珍しい泣き顔を拝む事が出来たかもしれない。
そんなアリー様とは対照的に、旦那様は笑顔だった。
「アリー、怒ったって良い事無いぞ。怒ってるとイライラして思考能力が落ちる。結果運動能力も普段の実力からは落ちる。そしてイライラを撒き散らすと、周囲の人間と不破になる。なっ?怒っても良い事無いだろ?」
「……怒ってないもん」
アリー様は何とか声を絞り出して、旦那様の言葉を否定した。
「怒ってないなら、アリーは冷静な判断が出来るよな?」
旦那様はアリー様の背中を優しく撫でながら、言い聞かせるようにゆっくりと語り掛ける。
「父様は、怒ってないの?ゲオルグは何も悪くないんだよ?」
「勿論、父さんだって怒ってるぞ」
「だったら」
「でもな、黙秘を続ける容疑者に怒りをぶつけても何も解決しないし、無理矢理西方伯家に押し入ってもこっちが悪者になるだけだ。だから、怒りを抑えて冷静になって証拠を探そうとしているんだ」
「……」
「母さんだって怒ってるぞ。でも外に出るのを我慢して、家を守る役目を買って出てくれているんだ。東方伯が王都に着いたら、その相手もしてもらわないといけないし」
「お祖父様も怒ってる?」
「怒ってるだろうなぁ。既にキュステの東方伯へ連絡が行っている。今はこちらに向かって移動しているところだろう。王都についたら暴れ出すかもしれない」
「それは困る」
「なっ、困るよな。だから俺達は冷静になって、東方伯が暴れ出す前に事件を解決しないといけない。アリーも怒りを抑えて、父さん達を助けて欲しい」
暫く黙って旦那様の言葉を噛み締めたアリー様は、分かったと短く答え、旦那様が窒息しそうになる程キツく旦那様を抱き締めた。
アリー様達が面会室を出て行った後、入れ違いにダミアンが入室して来た。
「さっきまでの怒気が嘘のようにアリーちゃんは晴れやかな顔をしていましたね。どんな魔法をつかったんですか?」
「別に。父親として、人生の先輩として、アリーと話をしただけさ」
「しかし、バルバラさんまで帰しても良かったので?」
「近衛にも警備隊にも世話にはならない、と言うから仕方ない。一応身を守ってくれそうな場所を提案しておいたが、提案通りにそこへ行くかどうかは分からん」
「短期間での信頼回復は難しいですね。因みに、その場所を聞いても?」
「東方伯邸」
「ああ、なるほど。上手い手を考えますな」
答えを聞いて意味を理解したダミアンがニヤリと口角を上げる。
「東方伯邸じゃなくて我が家に来ても安全だし、まあその辺はアンナが何とかするだろう。アリーも張り切ってたしな」
アンナは強い。私ともジークとも真面にやり合える。だからこそ、アリー様の目付けを任されている。常人にはアリー様に付いて行けないから。
「ところで男爵。フランツの実家を訪ねてもらった向こうの警備隊員からの連絡なんですがね」
ダミアンが神妙な面持ちになって話を変えた。
冒険者ギルドに有る遠隔通信の魔導具を介しての連絡だ。割と返答が早かったな。
「向こうの警備隊員によると、その家の住人は不在で、家の内部を荒らされた形跡が有り、大量の乾燥した血痕が見つかったとか」
話の急展開に、我々の顔も変化する。
「その家には夫婦と幼い子供2人が住んでいたようです。ですが近隣住民の話によると、ここ数日は姿を見ていなかったそうです。向こうの警備隊が強盗誘拐事件と判断して捜査を開始するとの事でした」
「命が有れば良いが」
旦那様がボソッと言葉を漏らす。
フランツは家族を人質に取られていたんだろうか。それとも、全く関係無い事件なのか。
「取り敢えず、フランツ君への家族の報告は後回しにして、もう1人の容疑者の方にこの話を聞いてみようか」
子供の気持ちを慮った旦那様の提案に従って、ダミアンが面会室を出て行った。




