第80話 俺はその日の出来事を説明する
再生の魔導具で傷は治ったが今日の記憶を失ってしまったマリーに、何から説明しようかと悩んでいると、
「おねえちゃん、だいじょうぶ?」
いつの間にか小さな女の子が、ベッドの上で体を起こしたマリーに近寄って話しかけていた。
両親と一緒に病室を出てなかったのか。
「大丈夫だけど、えーっと、ゲオルグ様?」
記憶に無い少女からいきなり話しかけられて困惑したマリーが、説明しろと言外の意思を視線に込めてこちらを見てきた。
「あのね、おねえちゃん。たすけてくれて、ありがと」
女の子はマリーに向かってペコリと頭を下げると、
「おかあさーん、おねえちゃんおきたー!」
晴れやかな笑顔になって病室を飛び出して行った。
「??」
いきなり御礼を言われて混乱するマリーだったが、少女以外にも日常の朝と違う事柄を徐々に知覚していく。
知らない部屋、知らないベッド。入院着、頭の包帯、手足の添木。窓外の景色、夕焼け。俺の顔。
1つずつ日常との差異を確認して行ったマリーは、
「もう、ゲオルグ様。子供みたいに泣いてないで、きちんと説明してくださいよ」
無理矢理笑顔を作って俺を揶揄いながら、優しく話を促した。
マリーに指摘されるまで、自分の眼に涙が溜まっている事に俺は気が付かなかった。
「そうですか。試験に合格したんですか、私」
今朝、ちょっとうざいくらいのテンションでマリーが俺を起こしに来てから、ついさっき、再生の魔導具を使って俺がマリーを起こした時まで。
俺が記憶している情報をマリーに伝えた。
回復魔法セット内の栄養剤や経口補水液を口にしながら、マリーは黙って聞いていた。
全て聴き終えたマリーは、試験内容やその結果を忘れてしまった事を1番残念がった。
「頑張ったから受かる自信は有ったんですけど、自分がどれだけ出来たか覚えてないって、ちょっとヤダな」
努力した結果を覚えていない。それが1番悔しい。
俺は同じ状態になった経験は無いが、なんとなくその気持ちは理解出来る。
剣道の試合で対戦相手が棄権して、不戦勝になった時のような感覚だろう。ちょっと違うかもしれないが。
「答案用紙、持って帰ったのかなぁ。明日ヴォルデマー先生に事情を説明してもう1度試験をやってもらうって出来るのかなぁ」
勉強させるのが好きなヴォルデマー先生なら、きっともう1回試験を受けさせてくれるよ。
確証は無いけど。
「そうですね。昨日まで勉強した内容は覚えていますし、明日頼んでみます。あっ、でも借りた課題の紙は全部返却したんですよね?今日一晩勉強出来ないのはちょっと不安ですね」
朝のマラソンで負けて荷物持ちをやらされたからな。マリーがちゃんと返したかは知らないが、確実に学校までは持って行ったぞ。
でも、回復魔法で体力が減っているんだから、今日は大人しくしておいた方が良い。
「分かりました。今日はこれ以上ゲオルグ様が泣かないように大人しくしています」
泣いてねぇよ。
漸くマリーが自然な笑顔を向けて来た時、病室の扉がノックされた。
「あの状況からここまで回復するなんて、回復魔法でもなければ。いや、まさか本当に回復魔法か!?」
ベッドの上で体を起こしていたマリーを見て驚愕したヤブ医者のセンセイは、助手の女性にマリーの診察を任せながら、独りで興奮している。
既に回復魔法セットは片付けてある。態々扉をノックしてくれたおかげだ。まだ父さんから回復魔法を広める許可をもらっていないから、出来るだけ内緒にしたい。ニコルさんの診療所なら気を使う必要も無かったのに。
センセイ達の他に病室に入って来たのはルトガーさんとダミアンさん。マリーが助けたという女の子の家族はセンセイの診察が終わるまで廊下で待っているらしい。手を動かすのは助手さんだけど。
「誰だ!?誰が魔法を使った?その子供はエルフでは無いだろ!?」
その子供と称した俺の耳をマジマジと見つめて、エルフ族の特徴が無い事を再確認する。
「回復魔法が使える者を助手に付けたら、私の名声も更に上がる。この病院内での発言力も高まる。ゆくゆくは王家からの引き抜きが」
「先生、少し声が」
ダミアンさんに嗜められたが、センセイはそれを無視してどんどん音量を大きくしていく。
人間の欲望って怖い。
「そうですか、今日の記憶が無い、ですか。記憶が無い以外で、目が霞むとか視界が歪むとか、何か自覚症状は有りませんか?」
助手さんはしっかりと診察しているというのに、あのセンセイは。
「ではこれから包帯を取って頭部の傷と手足の骨折箇所を触診します。もし何か違和感が有ればすぐに言ってください。ですがその前に確認しますが、目覚めてからきちんと水分補給しましたか?」
ん?水分補給?
なんでそんな質問を。
「ちょっと、君!何が有ったのか今すぐに説明しなさい!黙っていないでさあ、早く!」
興奮が最高潮に達したセンセイは俺に掴みかかろうと動き出すが、ルトガーさんが俺達の間に割り込み、ダミアンさんがセンセイを羽交い締めにして、3人は病室から出て行った。
「ごめんなさいね。うちの先生はちょっと権力欲が強くて。知識豊富で腕も悪くないんだけど、性格がね」
ふふふっと微笑んだ助手さんの顔をじっと見つめていたマリーは、
「あの、もしかして『炎の化身』のギゼラさんですか?」
俺も知っている女性の名前を口にした。
「ふふ。今日の記憶は無くなっても、私の事は覚えていてくれたんだね。ゲオルグは忘れたみたいだけど」
口調を変えてニヤリと口元を歪めた助手さんは、シワシワな白衣の袖を捲り上げ、袖の下から出て来たブレスレットを俺に見せつけた。
そのブレスレットには、力を持って青く煌めく宝石が飾られていた。




