第79話 俺はマリーの病室に足を踏み入れる
王都警備隊員に案内されてやって来たのは、帰宅前に通った大通り。その道沿いに有る大きな病院だった。
俺はこの病院に初めて入る。多分マリーもここは初めて。俺達は生まれた時からお世話になっているのはニコルさんの小さな診療所だ。
縁もゆかりも無いこの病院に搬送されたのはこの近くに居たからだろう。やっぱりマリーは俺の後をついて来ていたのかも。
正面口から病院に入り、そのまま受付や待合室を通過する。
もう日が暮れかけているからなのか、待合室で診察を待つ患者さんは居らず、病院内は静かだった。
階段を登り、2階へ。すると廊下を動き回る病院関係者の姿が増えて、騒がしくなる。
廊下の向こうに他の王都警備隊員の姿が見えた。あの辺りがマリーの病室だろうか。
病室を意識すると、途端に心臓がバクバクと鼓動を強めた。
大丈夫。回復魔法の魔導具は有るだけ持って来た。ダメでもニコルさんが居る。死んでなければ、生きていればまだ、大丈夫。
でも、体を治しても意識不明状態が長引いたらどうしよう。姉さんのようの魔法を使えなくなったらどうしよう。
胸騒ぎが止まらない。
背負っているリュックの肩紐をグッと握りしめて、俺は病室に足を踏み入れた。
沢山の大人と1人の小さな子供が病室内に1つしかないベッドを取り囲んでいて、マリーの姿は見えなかった。
「……」
ここまで案内してくれた警備隊員が何か言っている。しかしその声よりも大きな心音が俺の耳を塞ぎ、何を言っているのか聞き取れなかった。
病室の入口で立ち止まった俺の首筋に、暖かい何かが添えられる。
付き添ってくれたルトガーさんの、暖かい手のひらだった。
「坊っちゃま、マリーが待っていますよ。さあ、迎えに行きましょう」
ルトガーさんにゆっくりと押し出され、俺は右足を前に出した。
「うちのマリーで間違いありません。ご迷惑をお掛けしました」
ベッドで横になっているマリーの寝顔を確認したルトガーさんが、誰かに向かって話している。
俺の視界に映るマリーの寝顔は安らかで、頭には真っ白な包帯が巻かれていた。
胸部はゆっくりと上下して、呼吸は安定しているようだ。
こう見ると何の痛みも感じていないように見える。
本当は寝ているだけで、みんなで俺を驚かそうとしているんだろ?
「目撃者の話によると、マリーちゃんはこの子を庇って後頭部に水魔法が当たり、その激しい衝撃によって意識を失ったようです。それまでも暴漢達から他の通行人や家屋を守って、ずっと魔法を使っていたとか」
聞いた事の有る声。多分ダミアンさんだ。病室に居たのか。気が付かなかった。
「おねえちゃんが、たすけてくれたの」
今度は可愛い声。
「娘を助けていただいて、本当にありがとうございます」
「娘の命の恩人です」
「マリーちゃんのおかげで他には誰も怪我人が出ていないんです」
俺の頭越しに声が飛び交っている。
そんな話は後でいいからちょっと静かにして欲しい。
俺は背中のリュックを下ろし、繋がっている倉庫から非常用の回復魔法セットを1セット取り出した。
「頭部の傷は出来るだけ縫合し、痛み止めの薬を塗り込んでいます。頭部の以外には右腕と左足の骨折。開放骨折では無かったので添木で対応しています。他には」
ヤブ医者が何を偉そうに。添木だけだと曲がってくっつくだろうが。意識が無いならその間に手術して綺麗に治そうとしろよ。ニコルさんなら絶対そうする。
内心で悪態を吐きながら、俺は回復魔法の魔導具を使う為に、マリーにかけられている布団を捲った。
「ちょっと君!悪戯しちゃダメだ!」
誰かが俺の手を叩き、捲ろうとする動きを止めさせた。
悪戯じゃない。勘違いは誰にでも有るが、いきなり叩くのはどうなんだ?
「な、なんだねその目は。君は付き添いだろ。私の患者の病室で大人しく出来ないのなら出て行きなさい!」
「まあまあ先生。相手は子供ですから」
睨み付けたのが気に入らなかったようで、先生と呼ばれた男性が大声をあげて憤慨している。
パリッと糊効かせ、シミの無い真っ白な白衣を着た男だ
その男を先生と呼んだ女性も白衣を着ているが、こちらは襟がヨレヨレで所々にシミが見られる。
偉そうなセンセイは何もせずに見てるだけで、助手に働かせてるっぽいな。ニコルさんの爪の垢でも飲め。
「すみませんダミアンさん。坊っちゃまとマリー、2人だけにさせてあげたいのですが?」
このままでは回復魔法が使えないと察したルトガーさんが、ダミアンさんに働きかけた。
「ああ、気が利かずに申し訳ない。先生、保護者の方と別の部屋で落ち着いて話をしませんか?」
「話すのは構わないが、悪さをしないようこの子供に言い聞かせてくださいよ」
「お任せください。坊っちゃま、悪さをしてはいけませんよ」
「はい」
俺が素直に返事をして捲った布団を綺麗に戻すと、センセイは納得した顔をして病室から出て行った。
センセイに続いて大人達がゾロゾロ出て行き、病室は漸く静かになった。
マリー、お待たせ。
俺は再び布団を捲って、添木を付けられて痛々しい右腕に再生の魔導具を取り付けた。
「マリー、おはよう」
回復魔法で健康体を取り戻し、ゆっくりと目を開けたマリーに話しかける。
すぐに意識を取り戻して、本当に良かった。
「あ、ゲオルグ様。おはようございます。起こしに来てくれたんですか?」
目を覚ましたマリーはキョトンとした顔をしていたが、その表情はすぐに笑顔に変わった。
「心配性ですね。大事な試験の日に寝坊なんてしませんよ。でも、ありがとうございます。今日の試験、絶対合格しますからね」
自信に満ち溢れた顔をしたマリーは、今朝目覚めてからの出来事を全て忘れていた。




