第63話 俺は東方伯を温泉に連れて行く
ああああ、気持ちぃぃぃ。
手足を伸ばせる広い湯船。丁度いい湯加減。効能は知らないけど、疲れた体を癒してくれる温泉。
爺さんを慰める事で疲弊した心にも染み渡って来る。
「はああ、やっぱり温泉は気持ち良い。息子に爵位を譲って引退した暁には、ここで隠居するのも悪くないな」
俺を疲れさせた爺さんはすっかり元気を取り戻し、隣の1番熱い湯船で笑顔を作っている。
まあいつまでもあの雰囲気を引き摺って、うだうだ、くよくよ、とされるよりは良いけど。
でも、父さんがこの領地を手放して別の領主になったなら、有名人の爺さんがここに引っ越すのも難しくなるんじゃ無いかな。
「ん?手放す?」
俺の言葉を聞いた東方伯が眉を顰める。
「あの強欲なデニスの息子が、そう簡単に領地を手放す筈が無い」
相変わらずヴルツェルのデニス爺さんに対する東方伯の評価が酷い。
「デニスに似て小狡いところがあるから、王家から領地返還を要求されても上手く立ち回るんじゃないか?」
父さんへの評価は、高いのかこれ。変な風に信頼されている気がする。
「父さんは、フランメ伯爵の娘さんに、領地を譲りたいみたいだけど?」
丁度いい機会だ。東方伯なら何か知ってるかなと思って聞いてみた。
「フランメ伯爵の娘、か」
それなら納得だ、と東方伯は付け加えた。
その娘さん、どんな人か知ってますか?
「そうだな。最近は会っていないが、伯爵に紹介されて幼い頃に何度か。聡明で利発な女の子だった。伯爵が処断されなかったら、多分今ごろ」
今頃、立派な領主になってた?
今のドーラさんの姿からは想像し辛いけど、聡明である事には間違いないと思う。でも酒乱過ぎて経営破綻を起こしそうだ。
「それもあるが。まあ当時は皆知っていた事だから教えても構わんか。伯爵の娘は、今の国王と婚約していたんだ。お互いまだ学生だった頃の話だ。だから、親の不始末が無ければ、第一妃はその娘だっただろうな」
は?そんな話聞いた事ないんだけど。
「今の妃に配慮しているんだ。以前の婚約者と比べるような事をして、妃から睨まれるのは嫌だろ?」
なるほど。国王の過去の女性関係を態々掘り起こすのもな。
「親の件が有ったとはいえ、王には婚約破棄した負い目が有る、かもしれない。だから、その負い目を払拭する為に、娘に伯爵領を復興させる可能性が有る、という事だ」
断定を避けながら、東方伯は慎重に言葉を紡ぐ。公衆の面前で変な事を言って王家からのお叱りを受けたくないのは、爺さんも一緒なようだ。
そういえば、気になる事が有る。
伯爵には妾が複数居て他にも娘が居たとロルフさんは言っていた。でも東方伯はある1人娘の事を言っている。俺は伯爵の娘さんだとしか言っていないのに。他の子供の事は外部には内緒だったんだろうか。
「儂が知っている伯爵の娘は、その聡明な娘1人だと言う事だ。息子が生まれるまでは次期後継者候補だ、と伯爵に紹介されてな」
息子さんは居なかったのかな?
「儂は会ってない。だが、生まれたばかりではすぐに御披露目しないし、当時はまだ母親の腹の中に居たのかもしれない。この世に伯爵の血を引く男子が居ない、とは言い切れない」
また煮え切らない答えだ。伯爵を捕まえて処罰した時に、近親者を調べなかったんだろうか。
因みに、今回捕まった冒険者の中にマリク・フランメと名乗って伯爵の息子を自称する人が居るが、知ってます?
「知ってる。孤児院出身者の顔は全員覚えているからな。しかし、孤児院に居た当時はフランメとは名乗っていなかった。しかし」
しかし?
「出身が旧伯爵領なのは間違い無い。戦争の後、伯爵領内で戦争孤児になった子供達を一手に引き受けたんだからな。だから、フランメ伯爵の忘れ形見だ、と言われても儂には否定出来ない。ただそうだとしても、ゲオルグ達を拘束しようとしたのは許せないがな」
おっと、また興奮して騒ぎ始めそうだ。他のお客さんの目も有るし、こんなところで大声を出されては困る。
「わかってるわかってる。そんな目をしなくても騒いだりはしない。ゆっくり温泉を楽しめなくなるからな」
その言葉、信じますからね。
「戦争が終わってからもう15年以上経っている。旧伯爵領を複数で分割統治している男爵家達も、それなりに粗もなく領地を運営している。フリーグ家が牽引して、他の土地も随分と反映している。勿論儂の領地もそれなりに恩恵を受けている」
最近では近隣の領地に父さんが資金を出して温室を作ったり、高速馬車を貸し出したりしている。ある程度儲かったら技術の独占を解除するやり方で、父さんは他の領主から恨まれたり嫉妬されたりしないように上手く立ち回っている。その結果周囲も発展し、人口が安定的に増えて、経済効果も高まっている。
父さんが中々教えてくれない仕事の話を、東方伯が曝け出した。
「今、そのフリーグ家が居なくなったら、近隣の領主達は頭を抱えるだろうな。周囲の貴族達との関係を踏まえても、そう簡単に領地を手放せない筈だ。何も考えていないように見えて、人間関係の機微に聡いところがアイツの数少ない利点の1つだ。ゲオルグも、そういうところはしっかり観ておけよ」
どうやら爺さんは娘婿の事をそれなりに認めているらしい。
一緒にお酒を飲める数少ない相手だから、父さんの肩を持っているだけかもしれないが。
機微に聡い人なら、ドーラさんからお節介呼ばわりされないだろうしな。




