第16話 俺は提案を絞り出す
家族皆が夕食を食べ終えて随分と時間が経った頃、漸く父さんが仕事から帰って来た。
いつも以上にぐったりと疲れた様子の父さんは、ゆっくりと風呂に浸かった後に食卓についた。
「お父様、朝はごめんなさい。今日もお仕事お疲れ様です。お仕事終わりの美味しいお酒をどうぞ」
父さんの目の前にある空っぽのコップに、隣に座った姉さんがヴルツェル産の赤ワインを注ぎ込む。
注ぎ終えた姉さんは猫撫で声になって父さんに甘え始めた。
「ねー、お父様。明日の朝もう1度ゲオルグと闘いたいんだけど、良いよね?」
「だから庭での魔法合戦は禁止だって言っただろ。やりたいなら村に行ってやりなさい。ただし、お互い怪我をさせないよう充分注意して、な」
ワインを一口含んで唇を湿らせた父さんが、何度も同じ事を言わせるなと姉さんの発言を拒絶する。
「えー、でもご近所さんは皆さん良いよって言ってくれたよ。夕方ゲオルグと一緒に謝罪とお願いをして回ったの。ねっ、ゲオルグ」
冷たくあしらう父さんに負けずに姉さんが食い下がる。しかし、俺をその戦いに引き込まないで欲しい。
「ご近所さんが良い人達なのは知ってる。でもな、ご近所さんが何と言おうが駄目なものはダメ。アリーは乱暴な事を止めて、少しお淑やかになりなさい」
「おしとやかってよく分からない。私は母様みたいに強くカッコよくなりたいの」
「まあ確かにリリーを見ていたらお淑やかには、おっと口が滑った。今のは聞かなかった事にしてくれ」
対面に座っている母さんの顔色を伺って、父さんが発言を撤回する。家庭内のヒエラルキーはいつだって母さんが1番上なんだ。
「母様がダメなら、父様は私にどんな女性になって欲しいの?」
「いや、別にリリーがダメだとは言ってないが。そうだな、取り敢えず誰彼構わず暴力を振るうのは止めてくれ」
「誰彼構わずなんてやってないけど?」
ふぅ、と父さんが大きく溜息をついた。
「王家から苦情が入った。第二王子に手を上げたらしいな。何か理由があったんだろうとは思うが、暴力は良くない。もっと別の解決方法が有った筈だ。そうだろ?」
「あれは、止めてと言ったのに、バカ王子が何度も何度も喧嘩を売って来たから」
「バカ王子じゃないだろ、第二王子。もしくは名前で呼びなさい。リリーならそんな悪口言わないぞ」
「そうね。私ならクソバカアホ王子か、好きな女の子を虐める事しか出来ない能無し、くらいは言うわね」
更に酷い悪口を被せて来る母さんに、父さんが頭を抱えた。
姉さんは苦虫を噛み潰したような表情をしている。好きな女の子と言うところに引っ掛かったのかな。
「アリーが止めろと言っても揶揄う事を止めない第二王子の方が良くないわ。でもアリーも暴力を振るう前に、もっと口喧嘩で戦った方が良かったわね。そういう時は先に手を出した方が負けなのよ」
優しく嗜める母さんに、ごめんなさいと姉さんが素直に頭を下げた。
姉さんも家庭内ヒエラルキーには従っている。口喧嘩で戦えってアドバイスもどうかとは思うけどね。
「話を戻すけど。アリー、明朝ゲオルグと戦ったらそれで最後に出来る?」
「ちょっと、リリー」「出来る!」
「明日はクロエじゃなくて、私が審判をする。クロエよりも厳しい判断を下すけど、それでもいい?」
「だから、リリー」「大丈夫!」
2人で父さんの事を無視して話を進めている。
「ダメだダメだ。俺は認めないぞ。どうしてもやりたいと言うのなら次の休みの日に村に行ってやればいいだろ。絶対にダメだ」
「日にちを置くと、今朝の感覚を忘れちゃうよ。忘れる前に、なるべく早くやりたいんだよ」
「ダメ」
「お願い、今なら完璧に対応出来るの。もうゲオルグには負けられないの。お願い、お願い、お願い!」
「ダメだったらダメだ!」
父さんに抱き着いて懇願する姉さんだったが、心を鬼にして拒絶する父さんには効果が無いようだ。
「もう。それじゃあ貴方が若い頃に嫌っていたデニスお義父様と同じでしょ。貴方は自分のやりたい事をお義父様に止められて、窮屈なヴルツェルが嫌で家出したのよね。あんまりダメダメ言ってると、アリーも家出しちゃうわよ」
「それは、困るけど。いや、でもダメだ。リリーに何と言われようと俺は許可しないぞ」
「もう、仕方ないわね。ゲオルグ、笑って見てないでなんとかして」
急に母さんから話題を振られ、ビクッと体を震わせる。
「ははは、ゲオルグの顔、おもしろー」
「考える時間はいっぱい有ったでしょ。さあ、父さんを黙らせる良い解決策を提示して頂戴」
なんでそんな期待値を上げるような言い方をするんだ。お前も裏切るのかと言う目線で睨んで来る父さんがちょっと怖い。
ええっと、父さんは庭で煩く戦わなかったら良いんだよね?
「だからといって家を出た先の道でやるとかもダメだぞ」
もし煩くしても良いところを借りられたら、そこで戦うのは良いんだよね?
「まあ、安全に配慮するなら」
それなら明日の早朝、冒険者ギルドの競技場を借りられないかな?
王都から出なければ、姉さんの登校時間にも間に合うと思うんだけど。
「うーん。まあ、それなら」
腕を組んで暫く考えた父さんが、急に立ち上がった。
「わかった。ちょっとギルドに行って来る。夜間対応の職員が許可を出してくれるかは分からんが、一応聞いてみる。アリー、俺は譲歩したぞ。これでダメだったら、本当にダメだからな」
「うん!父様大好き!私もギルドにお供します」
機嫌を良くした姉さんが父さんにくっ付いて食堂を出て行った。父さんは夕食の途中だったが、やはり最終的には姉さんに甘いんだ。
はぁ、なんか疲れた。
ていうか今から家族で村に飛んで行ったら良かったんじゃないのか?
日が沈んで危ないかもしれないが、父さんと母さんが一緒なら大丈夫じゃないのか?
「ふふふ、それでも良かったわね。競技場を使う許可が下りなかったら、父さんに提案して見てね」
なんでそんなに俺を頼るのか。
スパルタな母さんにちょっとだけ嫌悪な視線を送ってみたら、和かな笑顔で跳ね返されてしまった。
母さんはこの笑顔を巧みに使って、家庭内ヒエラルキーのトップに君臨しているんだ。




