第36話 俺は喧嘩に巻き込まれる事を嫌がる
退院したマリーと共に自宅に戻ると、門のところまで姉さんの大声が漏れ聞こえていた。
「うるさいっ、うるさいっ、うるさい!」
うるさいのは姉さんだ。玄関で何をそんなに怒鳴る事があるのかと不思議になる。
門の近くにて停車中の馬車を護衛している兵士さんも、何となく戸惑っているように見える。多分姉さんが怒鳴り付けている相手がこの馬車の持ち主だろうな。
一体誰が来ているのか。荒れている玄関に向かう前に兵士さんに確認しようかと迷っていると、声の主が門外に飛び出して来た。
門を出たすぐ先で立ち止まっていた俺とぶつかりそうになるのをクルっと回って避けたその人が、溜まった鬱憤をぶつけようとこちらを睨み付けてその口を開く。しかし相手が俺達だと認識したようで、出掛かった言葉を飲み込んで声色を変える。
「あ、マリー退院おめでとう。ゲオルグもおかえり。私はこれから忙しいからダメだけど、夜中にでも退院のお祝いしようね」
少しだけ足を止めて早口に祝いの言葉を述べた姉さんだったが、言い終わると再び足を動かして走り去っていった。
その姉さんに続いて門から出て来たクロエさんが、姉さんの背中を追いかけていく。
2人から遅れて更にもう1人、恐らく先程まで姉さんに怒鳴られていた人物も門外に出て来た。
「もう、折角総魔研に無理を言って借りて来たのに。話くらいは聞けよな」
その人物は角を曲がろうとしている2人の姿を見つめながら、誰に聞かせるでもなく愚痴を溢す。
誰かと思えば第一王子じゃないか。
何をしに来たのか知らないけど、姉さんは随分と機嫌が悪かったようだ。姉さんが王子に対してあんなに厳しい態度を取るのは初めて見たからな。まあ、優しくしている方もほとんど見た事はないんだけど、交友関係は良好だったはずだ。
姉さんが走り去って行った方向をじっと見つめて動かない王子に、俺はこんにちはと挨拶をする。
王子は俺達の存在に全く気付いていなかったようで、背後から掛けた俺の声に飛び上がるようにして驚いていた。
「なんだ、ゲオルグ君か。驚かさないでくれよ」
はぁ、すみません。普通に挨拶しただけなんですけどね。
「ふうぅ。ごめんごめん。ちょっと気が立っていたのかも。あっ、マリーちゃん退院おめでとう」
大きく息を吐き、気持ちと共に表情を柔和な雰囲気に切り替えた王子の言葉に、ありがとうございますとマリーが応える。
「さて、いつまでも馬車を停めておくのも迷惑だから帰る事にするよ。アリーが帰って来たら、また明日学校で話そうと伝えておいて欲しい」
伝言するのはいいんですけど、姉さんと喧嘩ですか?
喧嘩なら1日置かずに早く謝った方がいいですよ。
「喧嘩。いや、アリーが逃げ回るから喧嘩にもなってないかなぁ。まあアリーが嫌がる事を無理矢理させようとしているこっちが悪なんだろうけど」
何をやろうとしているのか聞いてもいいですか?
教えてもらえたら何か手伝える事があるかも。
「うーん。ごめん。あんまり周りから固めようとするとアリーがもっと反発しそうだから止めとくよ。ありがとう」
そうですか。まあ意固地にはなりそうですね。じゃあ、伝言はしておきますので、頑張ってください。
「うん、ありがとう。ゆっくりやっていくよ。マリーちゃんもあんまり無理はしないように。じゃ、またね」
王子は爽やかな笑顔を見せて帰って行った。
何をやろうとしているのかは気になるけど、面倒事に巻き込まれずに済んで良かったと思っておこう。
「え〜。もう面倒くさいなぁ。ゲオルグがビシッと断ってくれたら良かったのに。明日の学校休もうかなぁ」
夕食の時間になって帰って来た姉さんが、全力で不満げな顔を見せて来る。
俺は伝言を頼まれただけだからね。それに応えるかどうかは姉さん次第。好きにしたらいいんじゃない?
「ちょっと冷たいね。姉が困ってるって言うのに。ゲオルグは王子の肩を持つんだね」
俺はどっちかっていうと姉さんの味方だよ。味方だけど、偶には敵に塩を送る時もあるんだよ。
「王子から話の内容は聞いてる?」
いや、聞いてない。多分王子は外部から邪魔が入るのを嫌がったんじゃないかな。2人でしっかりと話したいんだよ。
「私は話したくない」
そういって頬を膨らませた姉さんは、それ以降口を閉ざしてしまった。
どんな話なのか知らないけど、痴話喧嘩に俺を巻き込まないで欲しいね。
なんとなく、静かに暮らしたいというニコルさんの気持ちが分かったような気がした。




