第27話 俺は姉さんに後事を託す
その時、競技場内には弛緩した空気が漂っていた。
5匹のウサギを魔導具で捕らえた時点で余興は終わったと、俺を含め競技場内の多くの人間が考えていた。
しかし、観客席に座る1人の少女が上空で起こっている異変に気付く。
「ゲオルグっ、うえ!」
警告を告げる少女の声は、競技場の上空に発生していた雷雲が産んだ轟音によって掻き消されてしまった。
なんだ?
何が起きた?
頬と両手に、踏み固められた土の感触が伝わってくる。
俺は、倒れているのか?
更に地面と接していない皮膚の触覚が、ヒリヒリと皮膚を攻撃する熱風が発生していると警告していた。
熱を運んで来る風は触覚の他に嗅覚も刺激する。何かが燃えている臭い。その焦げ臭さは鼻を介して脳に危険を伝える警報だった。
視覚と聴覚は、俺の脳に情報を渡してくれない。
手足を動かしてみる。感覚的には問題無いが少し背中に違和感が走る。まあ何かあったとしても自動治癒ですぐに治るだろう。
地面に倒れる前、確かウサギを捕まえた5個目の魔導具を運ぼうとしていた筈だ。そこから地面に倒れるまでの記憶が飛んでいる。流石に失った記憶は自動治癒でも取り戻せない。
そんな事を考えていると少しずつ聴覚が回復して来た。
甲高い音や重低音が俺の鼓膜を揺さぶって来る。音だけでは俺の周りで何が起こっているのか判断出来ないが、それに混ざって俺を呼ぶ声が微かに聞こえた気がした。
この世界に転生してから、多分一番聞いた声だ。母親よりも父親よりも、ずっと長く一緒に居た人の声。聴き間違える訳が無い。
その人の声に引っ張られるように身体を起こして座位になった俺は、漸く機能を取り戻した諸目に映った光景に唖然としてしまった。
『サンダーバニーの雄は雌と違って立派な角を1本、額から生やしているぞ。体格も雌と比べて2倍から3倍大きく、動きやすくする為か雌と違って毛が短い。その姿形の違いは別種と言われても納得する程だぞ』
ああ、あれがその雄か。視界内に居る生物と魔物博士アミーラの言葉を適合させて納得する。確かに周りに従えている4匹の雌ウサギとは全然違うな。
『そいつが放つ雷撃魔法は雌のそれとは比べ物にならない。まあ私の魔法と比べたら大した事は無いんだが、ゲオルグはさっさと逃げた方がいいぞ』
既にそいつはバリバリと電撃を放ち、周囲を取り囲んでいる大人達を無差別に攻撃している。熱波と嫌な臭いの発生源はあいつか。その威力と攻撃速度に、大人達は防御に徹するしかないようだ。傷付けないように敢えて攻撃していないのかもしれないが。
その人達の中に、何度も雷撃によって破壊されながらもせっせと土壁を作っている父さんの姿を確認した。
『自分が率いている群れの雌に危害を加えられた時、雄は自身が魔力不足で倒れるまで全力で動き、雌を守ろうとする。しかも雌と一緒に居る時は、雌の電撃をその身に受けて更に電力を蓄えるからタチが悪いぞ。ああ羨ましい。か弱い私の事を護ってくれる雄猫はいつ現れるんだろう』
アミーラがか弱かったらこの世界の殆どの生き物がアミーラの婿にはなれないよ、と軽口をたたいてビリっと電撃を喰らったところまで思い出してしまった。
しかし、どうしてこうなった?
なぜ雄ウサギが暴れ回っているんだ?
回収前だった1匹の雌ウサギはまだ魔導具に閉じ込められたままだが、他の4匹はどうやって脱出したんだ?
「よ、かっ、た。気が、つい」
背後から聞こえた掠れた声に違和感を覚えて振り返る。先程俺の名前を呼んだ声だ。
「喋るな、ゆっくりと深呼吸する事だけを意識してっ。ゲオルグは大丈夫だけど、マリーはまだ大丈夫じゃないのよっ」
振り向いた先には、地面に仰向けに横たわっているマリーが居た。足を高くしたマリーの腹部に、珍しく必死な形相をした姉さんが手を当てている。自分のリュックから倉庫に貯蔵している薬や魔導具を取り出しているクロエさんも居た。
みんな、そこで一体何を。
「すみま、せ、ん」
そんな返答は望んでいない。その穴だらけになった服はなんだ。地面が真っ赤に染まっているのはなんだ。
「ゲオルグを爆発から庇って、ウサギの角で腹部を貫かれた。魔法を使えば簡単に防げたのに」
「すみ、ま」
「だから、喋るな。魔法で表面の傷を修復して出血は止めたけど、深部の損傷はまだ治ってないんだから。アンナがエステルを連れて来るか、ニコル先生が来るまで喋るな」
爆発?ウサギの角?
「どこからかサンダーバニーの雄が現れて雷を落とし、冒険者ギルドが用意した檻を破壊しました。ゲオルグ様は丁度檻に背を向けていた為見ていないと思います。その爆風によって飛んで来る檻の破片をマリーさんが身体で受けて。そして爆風によって転がるゲオルグ様を仕留めようと襲い掛かった雄ウサギの角までも」
身体で防いだってのか?
取り出した魔導具を姉さんに渡しながら解説してくれたクロエさんに嫌な感情をぶつけそうになる。クロエさんは関係無い。姉さんの補助をしながら経過を説明してくれただけだ。落ち着け。
なんで魔法を使わなかった?そもそも、俺を手助けしないのなら、庇う必要も無かっただろ。
「ゲオルグ、話し掛けないで。声を出そうとすると腹筋に力が掛かって腹圧が上がる。痛みを伴うし、腹腔内の出血量が増えるかもしれない。安静にさせて」
受け取った魔導具を使ってマリーを治癒しながら、姉さんが俺の口を封じて来る。
しかし、あの魔導具ではダメだ。あれは試しに作って姉さんが回復魔法を込めた宝石の魔導具。姉さん以上の働きは出来ない。エステルさんが強力な回復魔法を込めようとしたら宝石が負荷に耐えられず割れてしまった。俺の力不足もあって回復魔法のドワーフ言語も未だ未完成。なんでもっと勉強しなかった。
「私だってもっと回復魔法を練習しておくべきだったって思ってるけど、今はそんな後悔をしてる場合じゃ無い。まったく、武闘大会中なんだから冒険者ギルドがもっと優秀な医者を用意しておくべきよ。みんな匙を投げるんだから」
俺も、マリーの為に何か出来る事を。
「それならゲオルグはさっさとあのウサギ達を捕まえて来て。バチバチ煩くて魔法に集中出来ない。本当はマリーを虐めた罰として私が鉄槌を下してやりたいんだけど、今はここを離れられないから」
いや、流石に俺1人では。
「ゲオルグがアミーラを使って色々用意していたのは知ってる。ゲオルグなら出来るよ。マリーの代わりにクロエを連れてっていいから、さっさと行って、捕らえて来なさい」
姉さんの強引な言葉に戸惑っている俺に、マリーが無理矢理作った笑顔を向けて来る。
分かった。行って来るよ。すぐに捕まえて来るから、姉さんもマリーの事を頼んだよ。
俺は姉さんに後事を託し、倉庫に保存していた魔導具を幾つか取り出した。




