第14話 俺は鷹揚亭で一休みする
図書館で何冊か本を借りた俺達は、帰路の途中で鷹揚亭に顔を出した。マリーは早く屋敷に帰りたがっていたけどな。
「やあ、いらっしゃいゲオルグ君。残念ながらエマはまだ学校よ」
いつも通り元気良く来客を出迎えてくれたエマさんのお母さんだが、いつも通り俺をからかってくる困った人だ。何度も言ってますが、俺がここに来る理由はエマさんじゃ無いですからね。
「じゃあ私かしら。旦那の居ない間にナンパされるなんて。明日の午前中、一緒に仕入れに行く?」
ナンパしてませんし、仕入れにも行きませんよ。仕入れをデートに使うってどういうことなんですか。お父さんの代わりに厨房に立っているお兄さんも見てるんですから、やめてくださいよ、もう。
「父が居なくなって母も寂しいんだよ。母に絡まれるのが嫌だったら、ゲオルグ君の方から偶には帰って来いと父に言って欲しいな。向こうに行ってから1回も帰って来てないんだよ」
それは、すみません。お父さんに来てもらって、村に住む皆は喜んでいます。お父さんの方にはお兄さんの要望を伝えておきますが、お母さんも村の方に引っ越して来ては如何ですか?
「もうちょっと息子が頼りになると全部任せられるんだけど、まだまだね」
母親から厳しい指摘を受けたお兄さんに頭を下げる。すみません、とばっちりを喰らってしまいましたね。
「まあ、僕もまだまだ経験不足だから、母に残ってもらって良かったと思ってるんだ。母が居るから、妊娠中の妻も安心して仕事を休めているんだよ」
あ、妊娠されたんですか。おめでとうございます。
「ありがとう。産まれた子が大きくなったら男爵家の魔法教室に通わせようと思ってるから口利きしてね」
そうですね。もしかしたらお父さんの血を引いて、エマさんみたいに水魔法が得意なお子さんが産まれるかもしれません。魔法教室でしっかり判断した方が良いでしょうね。
「安定期にもなってないんだから、出産なんてまだまだ先の話よ。さて、無駄話は置いといて商売の話をしようかね。今日のオススメは嫁が考案した変わり種のドーナツだよ。ルトガーさんは流石にこの時間からはお酒は飲まないよね」
まだお日様が元気に働いている時間帯だ。護衛も兼ねているルトガーさんはお母さんの問いに、残念ながらと肩を落として答えていた。本当に残念そうだ。
1杯くらいなら飲んでもいいんじゃない?
「この穴の無いドーナツ、内部にジャムの層が有りますね。揚げる前に生地でジャムを包むんでしょうか」
オススメと言われた変わり種ドーナツを各々1皿ずつ注文してみた。皿の上には3種のドーナツが乗せられている。
穴の無い潰れた球状のドーナツをパカっと2つに割ってみたマリーが、黄色い生地に挟まれた赤い層に注目する。パクリと一口齧った結果、苺のジャムと判断したようだ。
俺は自分の皿のドーナツを確認する。ドーナツに1カ所小さな穴が開いているところを見ると、揚げた後に何らかの道具を使ってジャムを注入したんだろうな。
俺はマリーが手にした物と違って、中央に穴が開いている、一般的にドーナツと呼ばれる形状をした物を手に取って、その8分の1程を口に含んだ。
林檎の風味と甘味をしっかりと感じられる。
ドーナツの齧り跡を見ても生地が層になっている様子は無い。果肉も見当たらなかったから、こちらはジャムを裏漉しして生地に練り込んであるんだろう。野菜を練り込んだドーナツは前から有ったから、こっちは変わり種と言えるほどでは無いな。
「こちらのドーナツにはピリッと辛いベーコンを刻んで練り込んでますね。振り掛けられたチーズの風味とベーコンの塩加減がお酒によく合います」
コップ1杯のお酒を大事そうにちびちびと飲みながら、ルトガーさんが感想を述べる。
甘くないドーナツ、惣菜系のドーナツだな。まあ悪くないと思うけど、ドーナツでやる必要は無いような。それと、このチーズちょっと匂い強くない?
「変わり種と銘打ってるんですから悪くないでしょう。甘い物と塩辛い物を交互に食べたい人も居ますしね」
ベーコンのドーナツに続いて穴の無いドーナツを口に運びながらルトガーさんがこの組み合わせの利点を考察する。
俺は甘い物3つで良いけどな。
「はい、ゲオルグ様の為に借りて来た本です」
俺の皿のベーコンドーナツと、ルトガーさんのジャム練り込みドーナツを交換したが、ちょっと3つは多かったな。美味しいからって一気に3個も食べるんじゃ無かった。
「これは子供用に作られた歴史書で、細かい部分は結構省略されているんですけど、この国の建国前から先先代の国王の代までを大雑把に把握するなら問題無いでしょう」
間に塩辛いドーナツを挟んでいたらこんな事にはならなかったんだろうか。自動治癒のおかげで胸焼けはしない筈だが、なんとなく気持ち悪い気がしないでも無い。
「文学書の方は幅が広過ぎてどうしようかと迷ったんですけど、今回は詩集にしてみました。古くからある詩を纏めた物なんですけど、掲載されている最古の詩はこっちの歴史書に書かれている時代より前の物なんですよ」
すみません、暖かい紅茶をください。砂糖もミルクも抜きで。
「聞いてますか?」
うん、聞いてる聞いてる。超古代文明の時代に壁画に描かれていた詩だって?
「そこまで古い物は無いですよ。適当な事を言って逃げようとしても、今回は逃がしませんからね。しっかり勉強してもらいます」
ごめん、勉強するしないの話は置いといて、ちょっと腹ごなしさせて。
俺は入れてもらった紅茶をゆっくりと口に含みながら、マリーの小言を聞き流していた。




