第38話 俺はサクラと図書館を巡る
目の前に屹立する図書館をサクラが睨みつけている。そのサクラの雰囲気に釣られてか、カエデも真剣な目で図書館を見上げている。
「さあ、ここで立ち止まっていると他の人達の邪魔だから、中に入りましょうか」
サクラとカエデの変化を気にしていない母さんが、2人の背中を優しくポンポンと叩く。
母さんに背中を押された2人は足並みをそろえて図書館に入って行った。
「にいさま、あれとって」
俺の手を引っ張って図書館に入ったサクラが、早速近くにある本棚を指差す。今日はカエデはマリーと一緒。母さんはメーチさんに事件後の話を聞いて来ると言って居なくなった。
取ってとは言うが、児童書の棚じゃないぞ。サクラが読んで楽しめる本はここには無いと思うけど。
「だいじょうぶ、とって」
はいはい。ええっと、これかな?
「ちがう」
じゃあこっち?
「ちがう」
カエデもそうだったけど、サクラにもあれと指差しだけじゃ伝わらない事を教えないとな。せめて右か左かだけでも覚えてもらわないと。
俺はサクラの指示に従って何冊も本を手に取り、最後に1冊の本に辿り着いた。
『心の闇と戦う為に』
ん?
何か見覚えがあるタイトルなんだけど。
「それ。にいさまもってて」
おいサクラ。ちょっと顔色悪いけど大丈夫か?
「へいき。つぎいこ」
サクラが差し出して来た右掌は、手汗で少し濡れていた。
サクラの指示に従って手にした次の本は、『人族至上主義を提唱したのは誰か?』だった。
さっきの本と同じでこちらも見覚えがある。
事件の日、カエデの指示で一度手に取った本だ。あの時は本棚に戻したけど、サクラはこの本も持ってていてと言う。
持っておくのは良いんだけど。サクラは本当に大丈夫なのか?
あの時みたいに、額からもだらだらと汗が垂れてるんだけど。ほら、ハンカチで汗を拭いてあげるからちょっと目を瞑って。
「だいじょうぶ。つぎに」
汗を拭き取られたサクラは次に行こうと右手を差し出す。俺はサクラの右手の汗も拭きとってあげながら、父さんの心配が現実の物になりそうだなと不安になった。
『人族とエルフ族の確執。ドワーフ族との連携』
ふむ。これもカエデに言われて手に取った本だ。あの日は一番最初にこの本を棚から取ったんだっけか。あの時はパラパラと捲ってカエデに見せただけだったが、本の最後の方にドワーフ言語がちらっと載っていたのを覚えている。
ドワーフ言語か。ドワーフ言語と言えば魔導具だよな。もしかして、あの猫の髪飾りの魔道具と何か関係が有るのか?
「すぅ、ふ~、すぅ、ふ~」
お、おいサクラ、大丈夫か?
ペラペラと手に取った本を捲って中身を確認していると、サクラが大きく深呼吸しながら乱れた呼吸を整えようとしていた。
俺の問い掛けに答える余裕も無いくらいに。
これは駄目だ。ちょっとどこかで休ませよう。このままにしていてまたサクラが倒れるようなことになると、父さんはもう二度とサクラを家から出さないとか言い出しそうだからな。
俺は手に持っていた3冊の本を一旦纏めて本棚に押し込み、苦悶の表情を浮かべるサクラを抱えて図書館の出入り口の方へと走り出した。
図書館を出て隣接している庭の方へと向かう。天気は良いのに庭には誰もいなかった。
庭に設置されている背凭れ付きのベンチにサクラを寝かせ、再び額から噴出していた汗を拭ってやる。サクラは息を荒くし、身震いを繰り返していた。
このままサクラを抱いて帰るのは俺1人では無理だ。誰かに魔法で補助してもらわないと抱いて歩き続けることは出来ない。魔法が使えない事を歯がゆく思ったのはいつ以来だろうか。
しかし魔法が使えなくてもやれることが有る。前回の反省を踏まえ、今回はアイテムボックスのリュックサックを背負って来ている。
俺は一旦サクラを持ち上げ、リュックサックから取り出した毛布をベンチの上に敷き、再びサクラを寝かせて毛布でサクラを包み込む。
サクラ、暑いか?寒いか?
サクラは答えずに目を瞑ってじっとして居る。
身震いしながらも汗だくになっているサクラは、体温を上げてやればいいのか下げてやればいいのか判断に困る。とりあえず失った水分を補給させよう。
リュックサックから水筒を取り出し、水筒に付いているボタン3つのうち真ん中の物をぐっと押し込む。
常温の水が飲みたいという村人の声を聞いて作った水筒で、冷水と常温と白湯の三段階の温度の水を作り出せる便利な水筒だ。
サクラ、喉が乾いてないか?水を飲めるか?
俺の問い掛けに、サクラは首を少しだけ縦に動かす。
俺は水筒の蓋に適量の常温水を注ぎ、寝かせていたサクラの身体を起こして、口元に水筒の蓋を持っていてやった。
2度、3度水を口に含んだサクラは、少し気持ちが落ち着いて来たのか笑顔をこちらに向けてくれた。
しまった。サクラの笑顔を見てこちらも少し安心したところで後悔の念が湧き上がって来た。
図書館を出る時に受付のお姉さんに伝言を頼めば良かった。
こんな状態のサクラを放置して1人図書館に戻るのには不安が残る。サクラを抱えて図書館にもう一度入るのは論外だ。もう少し落ち着くまで様子を見るか。でもなるべく早くマリーか母さんを呼んで家に連れて帰りたいところだが。
「だいじょうぶ、まだかえらない」
逡巡している俺の耳に、サクラの微かな声が届く。
こんなに疲弊しても、まだ図書館に拘るのか。
解った。声を出せる程には回復したみたいだから、もう少しここで様子を見よう。
俺はサクラのエネルギーになればと、リュックサックから苺のジャムを取り出して常温の水に溶かしてみた。




