第29話 俺は舞い落ちた何かを注視する
ベンノさんが本を開いた事で、図書館内は再び騒然とした状況になった。
泣き叫ぶ母親を看護師さんともう1人の女性が食い止め、母さんが風魔法を使って男の子の心肺蘇生を再開する。ニコルさんが回復魔法を男の子に使っているかどうかは解らない。
「な、なぜベンノではなく、南方伯の子息の方へ行くんだ?本を開いた本人が被害を受けるんじゃないのか?」
床に組み伏せられている俺の頭上から、ダミアンさんの狼狽した声が聞こえる。
なぜだじゃないんだよ。どうなるか解らないのに開く判断をしたダミアンさんが悪い。引き金を引かされたベンノさんが可哀想だ。それから、いい加減組み伏せている俺を解放してくれ。怪我はすぐ治るけど、痛みは感じるんだからな。
それに俺は、ベンノさんが持っている本からひらりと舞い落ちた1枚の紙切れが気になるんだ。あれがなんのか確かめたい。
紙切れがどこかへ行かないようじっとそれを睨みつけていると、カエデがとことこと歩いて俺の視界に入って来て、床に落ちていた紙切れを右手で掴みとった。
紙切れを右手で包み込んでぎゅっと握りしめたカエデは、今日図書館に来て一番の笑顔を俺に向けて来た。
「にいさま。むし、つかまえたっ」
右手を高々と天に突き上げて自慢げに話すカエデに向かって、俺を含めて多くの視線が集まっていた。
男の子の治療を母さんとニコルさんに任せて、漸く解放された俺とダミアンさん、そしてメーチさんはカエデを囲んでいた。
カエデ、その捕まえた虫を見せてくれない?
「だめ。あけるとまただめなことする。ぜったいだめ」
カエデは右手を胸に付けてその上に黒猫のぬいぐるみを覆いかぶせ、絶対に手を開かないと言い張っている。
そうか。手を開くとまた何か起こるのか。その紙切れが諸悪の根源なんだな。
「しかし、その手の中の物が原因なのなら、事件の早期解決を希望する南方伯家の為にそれを調べる方を優先しなければ。さあ、その手を開いて中を見せてくれるね?」
ダミアンさんがまたしてもカエデの言葉を無視して話を進めようとする。さっきと同じことをまた繰り返す事になるかも知れないのに、なんでこの人はこんなに短絡的なんだ。
よくそれで王都警備隊市街地区の副隊長にまでなれたな。
「ふっふっふ。私は腕っぷしだけで副隊長にまで上り詰めたんだ。私の力は先程見せてあげただろ。あまり生意気な事を言っていると、公務執行妨害でまた組み伏せる事になるからね」
壮年の髭面男性がにんまりとした笑顔を向けて来る。腕っぷしだけって自慢になるのかな?
はいすみません。素晴らしい腕力と技術の持ち主ですね。さぞ部下からの信頼も厚い事でしょう。
「まあ冗談はそれくらいにして、もし本当にその手を開くことであの子に3度目の危害が加わると言うのなら別の方法を考えないとダメだね。とりあえず、誰か王城の総魔研に行って魔法もしくは魔導具の研究者を呼んで来てくれ」
先程までの笑顔を真面目な表情に作り替えたダミアンさんの指示に従って、女性の隊員が出入り口に向かって走って行く。
「しかし、その手に握られている物がどうやってあの子を攻撃するんじゃ。ゲオルグが見たと言う話しだと小さな紙切れなんじゃろ?」
ええ、本から薄い何かがひらりと舞いながら落ちて行ったんで、そう思ったんですが。
「儂はもう何十年も本と関わって生きて来ているが、あの子が握り締められるほど小さな紙切れを使って何かをするなんて本当に出来るのかと思ってしまうな。他に何か必要な要素が有るんじゃないか?」
小さな紙切れじゃ無くてもう少し大きな紙なら、紙を何冊も束ねた本だったら、何か出来るんですか?
「その辺りは禁書の領域に入るから、内緒じゃ」
その言い方は出来るって言ってるようなもんですけど。
「館長の言う通りですな。部下が総魔研から戻って来る前に、その何かを見つける必要があるでしょうね」
メーチさんの意見にダミアンさんが首肯する。俺もその意見には賛成だ。そしてどこを探せばいいかはだいたい見当がついている。
「そうだね。では早速調べさせてもらおう」
ダミアンさんはそう言うと、数人の部下を従えて未だ治療が続けられている男の子の方へと近付いて行った。




