第81話 俺はニット帽を目深に被る
11月。気温がどんどん下がり、競技場の傍にある大きな街路樹も、そろそろ葉っぱを散らし始める季節。
男爵家の村から、2台の馬車が王都へ向けて出発した。
アヒムさんの重力魔法によって荷重を半減された2台の馬車は、4頭の馬車によって高速で道を走って行く。
搭乗者は明日の武闘大会王者統一戦に参加するジークさんとヴァルターさん。
さらに父さんと、グレーのニット帽を目深に被り、大きめのローブを身に纏った小さな女の子。そして護衛の為に数人の男性も馬車に乗って行った。
馬車の上空をルトガーさんの他飛行魔法を使える村人が2人飛んでいく。
俺は馬車の出発を見送った数時間後に高速船へ乗り込んだ。
俺が乗り込むまでの間に高速船は2往復していて、子供を含めて20人以上の村人を王都へ運んでいる。
周りの様子を窺いながら高速船で川を進む。少しピリピリした雰囲気が周囲に漂っている。
川岸の草むら、すれ違う舟、空に浮かぶ雲。眼に映る全ての物が怪しく見える。
「ゲオルグ様。そんな目つきをしていると緊張しているのが周りにもろばれですよ。この船に大事な物が乗っていると言っているようなものです。普通の顔をして何も無いように振る舞うべきです」
そんな事言ったって無理だよ。父さんがあんな願いを聞きうけたから、ピリピリするのはしょうがないじゃないか。
そう、これは全部父さんのせいだ。
話は数日前、11月が始まった日に遡る。
その日の夕方、王城での仕事を終えて帰って来た父さんは頭を抱えていた。
家中の皆はそんな父さんに触れようとせず、そっと距離を取っている。それに倣って、俺も父さんには接触しないようにしていた。
何となく、嫌な予感を感じたから。
しかし夕食後、俺は父さんの執務室に呼ばれてその悩みを聞かされることになった。
「今月の武闘大会王者統一戦にアプリコーゼ様も連れて行く事になった」
言い辛そうに話す父さんの雰囲気からは、それがもう決定事項で男爵家に拒否権が無い事は理解出来た。
どうしてそういう話になったのか、聞いても?
「毎年正月、王家に連なる者が集まって新年を祝っているのは知ってるか?」
知らないです。王様が王都民に向かって毎年元日の昼頃に挨拶するのは知ってるけど。
王家に連なる者っていうと、ボーデン公爵とかその辺も集まるって事か。確かボーデン公爵は国王の父方の伯父。つまり前王の兄だったよね。
「そうだな、公爵家も参加する。でだ、今回重要なのは国王の母、王太后だ。王太后は先王が亡くなって現王が王位に就いて以来、生まれ育った土地に戻って隠居生活をしながら、先王の菩提を弔っているんだ」
王太后。あまり名前を聞かないよね。
「まあ王太后が王都に住んでいれば姿を見る機会も有っただろうが、1年に1度、新年の時にしか来ない人だからな。それで、その王太后は毎年新年の挨拶で孫の成長を見るのを楽しみにしているそうだ」
はあ、どこの祖母も孫は目に入れても痛く無い程可愛いんだな。
でも今年は、アプリちゃんに会えそうにないね。新年の挨拶で人が沢山来る王城に、アプリちゃんを放り込むなんて出来ないよね。
「まさにそれだ。アプリコーゼ様の事情は王太后の耳にも入っているそうだが、それなら別の機会にこっそり会えないかと国王に相談したらしい」
その機会が、武闘大会王者統一戦ってことか。どうしてそんな面倒な話を引き受けたのよ。
「どうせ護衛を務めているジークが参戦するんだからアプリコーゼ様を連れて一緒に王都に来る事は出来るだろと、参謀が言うから」
そんな理由で。
「王太后は引退したとはいえ、権力を振るおうと思えばいつでも出来る人だ。あの人が本気を出せば、恐らく王都以西の貴族は動くだろうさ。だから国王も参謀もあまり王太后の不興を買いたくは無いんだ。そして俺も、長い物には巻かれる人間だ」
知ってたけど、そんな事息子に向かって胸を張って堂々と言わないで欲しい。
「アプリコーゼ様が我が村に居ると言う話はまだ知られていないと思うが、問題は競技場からの帰路だ。跡をつけられる可能性は十分にある。もちろん往路にも注意が必要。それが今の俺の悩みだ」
そりゃ悩むでしょうよ。安請け合いするからそうなる。
もういっそ、アプリちゃんを王城に帰す?
「それも一つの案だが、国王の御膝元とはいえ人の多い王城でアプリコーゼ様を護る事が出来るかどうか」
そんなこと言っていたらいつまで経ってもアプリちゃんはお城に帰れないよ。
「まあそうなんだが、国王達もまだアプリコーゼ様を戻すつもりは無いようだからな。俺達の仕事は、アプリコーゼ様を安全に王都までお連れして王太后に会わせ、問題無く村に帰す事だ」
父さんの決意を聞いて、その話が覆らない事は理解出来た。
でもその悩みを解決するには俺と父さんだけじゃなダメだ。ジークさんやアヒムさん達も交えてどのように護衛するか考えよう。
その相談の結果が今日だ。
父さん達は馬車で、俺達は高速船で王都へ向かう。
父さんが言っていたように多分往路は問題無い。往路は予行演習。本番は帰路だ。
予行演習なのに緊張し過ぎだとマリーに言われたけど、予行演習でも本番と同じように緊張感を持つべきだと思う。練習で出来ない事が、試合で出来るわけがない。
俺は一度大きく深呼吸をして、村の奥様方に編んでもらった、子供達皆が真っ赤で揃えたつば付きニット帽子を深く被り直した。




