第4話 俺はレナーテさんを師と仰ぐ
ニコルさんの診察が終わったと言うマリーの言葉を受けて、廊下で待っていた俺達は応接室へ戻った。
応接室内は出て行く前と特に変わった様子は無く、レナーテさんは相変わらずニコニコと笑顔を保っている。
「妹の足は治るのか?」
俺の後に応接室へ入って来た侯爵が、早く結果を教えろとニコルさんに詰め寄った。
ぐいぐいと前に出る侯爵の高圧的な態度をニコルさんは気にせず、診察結果を皆に伝える。
「落下の衝撃による背骨の変形が両足機能不全の原因だ。受傷当時ならやり方は有ったが、今は魔法で骨と神経を再生させない限り治せない。だが、それだけですぐに歩けるようにはならない」
「なぜだ。回復魔法が有れば怪我も病気も治るはずだろ。だから弟は」
声を荒げる男爵に対して、ニコルさんは冷静さを保って答える。
「レナーテの両足は長年使って来なかった事で不使用性委縮を起こしている。長年使わない状態が続くと、筋肉が衰え、骨が弱くなるんだ。例え神経が再生したとしても両足が体の重みに耐えられない。長い間リハビリに努め、筋肉と骨を育てないといけない」
「その筋肉や骨も、魔法で治るんじゃないのか」
「私は回復魔法を使えないからどこまで回復するのか解らないが、この子の筋肉や骨は受傷する直前が一番発達した健康な時だ。回復するというのなら恐らくその頃の筋肉や骨になるんだろう。そうなったとしても、子供の両足が大人の上半身を支えられるとは思えない。どちらにせよ、長期間のリハビリは免れないだろう」
回復魔法が体を一番良い状態に持って行くとしたら、大人の両足を経験していないレナーテさんの足は子供のままだという事か。回復魔法で人の成長を操作出来るなら、不老不死になれそうだな。
「まあどちらにしろ、魔法で背骨と神経を治さないと話にならない。もちろん修復した背骨がまたすぐに変形し、神経を圧迫する可能性もある。そうならないためには、少しずつ負荷を増やしていくようにしないといけない。王都の私の診療所まで来てくれたら、リハビリの指導はする。後は男爵と話をしてくれ」
実は診察中にこっそり回復魔法を掛けてました、って流れになるのかと思ってたけど、そうじゃないのか。本当に普通に診察しただけなんだな。
「リハビリは長くて辛いものになる。家族にも大きな負担を掛ける。リハビリをやるか、やらずに他の事へ時間を割くかは家族で話し合って決めるといい。回復魔法で背骨を治すかどうかはその後だね」
リハビリは確かにきつい。満足に動かない体にイライラするし、情けなくなる。俺も前世では随分母さんに迷惑を掛けたと思う。リハビリに通う俺を毎日送り迎えしてくれた母さんに、感謝も口にせずに当り散らした事もあった。今更謝っても遅いけど、前世の母さんにはずっと迷惑を掛けていたな。
「お父様、お兄様。私はローラント兄様の願いを叶える為に、リハビリを頑張りたいと思います。リハビリを頑張って、妹にどれだけ辛い事をさせたのかローラント兄様に見せつけたいんです。足が治ると言う希望が無ければ辛いリハビリをすることも無かった。贖罪の気持ちを晴らしたいという兄様の自分勝手な考えが、妹にもう一度負担を掛けることになったんだと知らしめたいんです」
過激な言葉を発しながらもレナーテさんは笑顔を崩さない。笑顔を維持するタイプのポーカーフェイスはある種の恐怖を感じる。こんな辛い思いをさせる為に兄は死んだのかとレナーテさんが怒りを覚えているのは、話し方から何となく察することは出来るが。
「私はレナーテの考えに賛同するよ。隠居してやることが無い身だから手伝わせてくれ」
「引退したからと言って親父が暇になるわけないだろ。罰金を払う為にも親父には領地経営に力を入れてもらう必要があるからな。俺も親父の仕事の引き継ぎや王城内での役目がある。リハビリに通うなら家人と一緒にという事になるが、それでも大丈夫か?」
「はい、構いません。それでは男爵家に回復魔法を掛けてもらい、こちらからはローラント兄様が残したものを御礼として手渡す、それで納得して頂けますね」
レナーテさんが無理矢理押し通し、この話し合いは幕を閉じた。
ギードさんも侯爵もレナーテさんには敵わないようだ。覚悟を決めたレナーテさんってちょっと怖いよね。
侯爵家は一晩村に泊まることになり、その日の夜にレナーテさんはエステルさんの回復魔法を受けた。
ギードさんと侯爵には念の為に席を外してもらい、レナーテさんとエステルさん、そしてニコルさんの3人だけで処置は行われた。ニコルさんが同席したのはどこを治療するのかエステルさんに指示する為だ。
回復魔法での治療後、先程まで全く動かなかった足の指が、レナーテさんの意志で僅かに動かせるようになった。
背骨の変形を治し、神経を修復出来た結果だ。試しに両足の骨や筋肉も治療してみたが、ニコルさんの考え通りに目立った改善は無く、即座に自力で歩行することは出来なかった。
これから辛いリハビリの日々が始まる。1か月か、1年か、それとももっと長く掛かるかは解らないが、レナーテさんは興奮と共に今後の意気込みを語っていた。
「リハビリと共に毎日この栄養剤を飲むように。骨と筋肉を強く健やかに育ててくれるよ」
治療後ニコルさんから渡された液体の何かを、レナーテさんは笑顔で飲み干した。
後で味見させてもらったが、悶絶する程に酷い味だった。
一切表情を崩すことなくこれを飲みほしたレナーテさんを思い出し、俺はレナーテさんを、ポーカーフェイスの師、と勝手に認定した。




