第50話 俺はアミーラに無視される
診療所のベッドで眠っているアプリちゃんを心配して残ったプフラオメ王子と別れ、俺は診療所を出た。
そのまま俺は男爵邸の方へ足を向ける。
マルティナ様が今後の予定について父さんと話し合っているはずだ。
マルティナ様達を出迎えた時、父さんは平静を装っていたけど、内心は早く帰って欲しいと思ってるんだろうな。
住民が失礼なことをしないかと心配していた父さんだけど、父さんがそれをやらないかと逆に心配だよね。
『さっきからにやにやしてるけど、自分の父親の失敗を想像するなんて、性格が悪いぞ』
道を歩く俺の上空から声が降って来た。
声の主を探して上空をぐるっと見回すと、家屋の屋根からアミーラがひょっこりと顔を出していた。
にやついてないし、失敗しろとは思ってないんだからな。
それに人の心を読むなんて、そっちの方が性格悪いんじゃないか?
『他者の心を読むなんて事は私にはまだ出来ないんだぞ。さっきからぶつぶつと自分で声を出していたじゃないか』
まだって、いつか出来るのかよ。
って、ぶつぶつと声に出てた?
出てましたよ、とマリーも俺の言葉に反応する。
出てたのなら教えてくれればいいのに。1人でぶつぶつ喋ってる変な奴だって皆に思われちゃうじゃないか。
「考え事をする時に声を出すのは昔からなので、もうゲオルグ様が変な子供だっていうのは皆知っていいますよ。まあ変だって言うのはそれだけが原因じゃないと思いますが」
ああ、そう。もう皆は俺の事をそういう風に思ってるのね。
最近村に来た人達もそう思ってるんだとしたら、ちょっとがっかりだな。
『落ち込んでないで、私に変な疑いを掛けた事に対して謝罪を要求するぞ』
はい、疑ってすみませんでした。
『そんな事よりも村が騒がしくておちおち昼寝も出来ない。もう少し静かにして欲しいぞ』
そんな事って、自分で謝れって言って来たくせに。
それに王子達の馬車が到着した前後は主に父さんのせいで騒がしかったかもしれないけど、今は静かだろ?
王子とアプリちゃんは診療所だし、マルティナ様は男爵邸だ。それ以外の場所はいつも通り静かなもんだ。子供達のお昼寝の時間だからな。外で遊ぶ子供達が居ないんだ。
『そうか、ゲオルグには解らんか。騒音で煩いという訳ではないのだ。なんというか、違和感というか、胸騒ぎというか、そういう煩さだぞ。ゲオルグに解らないのなら、これは私自身で鎮めるしかないか。この調子で夕方を迎えたら、あの娘に後れを取るかも知れんからな。おい、ゲオルグもついてこい』
そう口にしたアミーラは屋根の上から優雅に飛び降りて、違和感の正体を探る為に歩き出した。
俺も多少は用事があるんだけど、俺の意見は聞かないのかな?
そう、聞かないんだね。
はいはい、ついて行くからちょっと待ってよ。
『うむ、ここが怪しいな。何やら美味そうな匂いで私の心を揺さぶって来るぞ』
アミーラが足を止めたのは、宿の裏口だった。
確かここの扉の向こうは宿の厨房に繋がっていたはずだ。
『よし、中に入るぞ。扉を開けよ』
開けよ、じゃないんだよ。完全に食べ物の匂いに釣られてるだけじゃないか。
「はい、どうぞ。濡れていて滑るかもしれないので足元には気を付けてくださいね」
ちょっとマリー。簡単に言う事を聞くとアミーラがつけあがるから。
置いて行きますよ、って。おいっ、人の話を聞けよ。
アミーラとマリーに遅れて裏口から宿に入る。
マリーが扉を開けた時から漏れ出てはいたが、香辛料の匂い、肉が焼ける匂い、焼きたてのパンの匂いが鼻に届く。昼食は既に食べ終わっている俺もまた食事をしたくなるような、良い匂いだ。
その匂いの海の中で、ユリアーナさんとマルテが作業をしている。
もう昼食時は終わったのになんで料理をしているんだろう。
「また来たんですかアミーラ。これはお客様に出す料理ですからダメですよ。いい子にしていたら、夕食にお肉が待っていますからね」
涎を垂らさんばかりにユリアーナさんの手元を見上げているアミーラに、ユリアーナさんが優しく注意する。またって、そんなに何度も来てるのかよお前。
一番良い肉を頼む、と言い残したアミーラは厨房を通過して食堂の方へと向かった。
俺の言葉を無視されたことが少し悔しかったから、通訳はしてやらなかった。
食堂では知らない人達が食事をしながら談笑していた。
王子達と一緒に来た護衛と従者さんだ。それならマルティナ様も宿に来ているのかもしれないな。
『にゃっはっは。匂う、臭うぞ。どれ、私が少し味見をしてやろう』
ちょ、ちょっとあの人達が食べている物を横取りしようっていうのはダメだからね。
アミーラが悪さをする前に捕まえようと駆け寄ったが、伸ばした俺の手を難なく躱してアミーラはテーブルの上に飛び乗ってしまった。
ちょっと、本当にダメだから。食堂内に動物が入って来る事も不潔だし、料理を奪うのはもっとダメだから。
俺の制止の声はまたも無視される。しかし、俺の声で談笑していた人達の意識はこちらへ向いた。
アミーラはその姿を見せつけるかのようにテーブルの上をゆっくりと歩きながら、ある1人の男性を睨みつけて、語りかけた。
『そこのお前。何やら美味そうな物を持っているな。そういう物を1人で独占するのは良くない。私も少し、味わわせてもらう、ぞ』
ニヤリと口角を上げて近寄って来るアミーラに驚いた男性は、声を上げて席を立ちあがり、佩いていた剣を抜いて臨戦態勢を取った。
にゃあにゃあとしか聞こえないはずだから訳も分からず驚いたんだろうと思って通訳しながら謝罪をすると、その男性は驚愕の色をさらに強め、転がるように宿の出入り口へ向かって走り出してしまった。
『追いかけるぞ』
思ってもいない展開に固まってしまった俺の手をマリーが引っ張り、俺も男性とアミーラを追いかけた。




