第26話 俺は本人の口から話を聞く
その日、ロミルダは清々しい朝を迎えたと言う。
昨夜寝る前に焚いたお香が良かったんだろう。ぐっすり眠れて疲れが取れましたと感想を述べていた。
10時半頃に男爵邸を出て、ロミルダは両親達と一緒に冒険者ギルドへ向かった。
王都の冒険者ギルドで魔力検査を受ける為の登録証を握り締めて。
そして父親に背負われて帰って来た。
すぐにでも何が有ったのか聞きたかったが、俺はロミルダの体調が回復するまで待って、ロミルダの口から直接話を聞くことにした。
「待つのは良いのですが、その顔でカエデ様達に会うと嫌われますよ」
そうマリーに指摘された俺は仕方なく自室に閉じこもった。
冒険者ギルドに入ると、王都やその周辺に住む子供達と付添いの親でごった返していた。この日ばかりは冒険者達もギルドには近寄らない。
人混みを掻き分けながら受付に到着し、にこやかな笑顔で出迎えてくれた受付のお姉さんに登録証を見せる。
10時開始の組が終わったら声を掛けるから受付ホール内で待機していてとお姉さんに言われた私は、奇跡的に空いていた壁際の長椅子に腰掛けてホール内の様子を観察した。
私と同じように落ち着いて座っている子と、じっとして居られずうろうろしている子が半々くらい。
まだまだ入口から人が入って来る。
行動パターンは人それぞれ違うが、皆一様に顔は強張っている。
何となく現実離れした、ふわふわした感じで周りの様子を観察していた。
ふと視線を下ろした私は、血の気が引くほど握りしめている両手に気が付いた。
じっと自分の手を見つめるが、自分の手じゃないような感覚。
頭の中では手を開けと思っているが全くいう事を聞かない、おそらく自分の手。
どうしたらいいのか分からず、私は暫くそれを見続けていた。
朝起きた時。
ラジオ体操をした時。
朝食後すぐにお弁当を食べちゃった時。
まったく緊張を感じずギルドまで来た私は、少しずつ本番が近づきつつある中で場の雰囲気に呑まれ始めていた。
「ロミルダ、はいっ、冷たい水。スッキリするよ」
長椅子に腰掛けて下を向き続けていた私の目の前に、容量の半分ほどを冷水で満たした水筒の蓋がスッと現れた。
受け取らなきゃ。
そう思ったが、私の手はまったく動かない。
謝ろうと思って口を開くが声も出ない。パクパクと口を動かして、どんどん自分の意識と体が乖離していく現実に慌てていた。
「ええっ、ロミルダは甘えんぼさんだなぁ。はい、口を大きく開けて、あ~ん」
餌を待つ小鳥のように大きく開かれた私の口に、氷魔法でキンキンに冷えた水がゆっくりと流し込まれる。
気持ちいい。
冷たい冷気が口からお腹に移動し、全身を冷やしていく。
もう一杯飲みたい。
そう思った時、私の手は自然と水筒の蓋を握り締めていた。
「うんうん、ゲオルグの水筒を持って来ておいてよかったね。運動前に体を冷やし過ぎるのも良くないから、これが最後の一杯ね。もう時間だから私達は観客席に移動するけど、その笑顔を忘れないでね」
2杯目を注いでもらった私は自分がどんな表情をしているのか漸く意識する事が出来た。
11時になると、私はホールで待っていた子供達と一緒に奥の部屋へと誘導された。
そこには魔力量を測定する魔導具が1台設置されていて、名前を呼ばれた子供達が順番に魔力の測定を行った。
測定を終えた子供達は順次技能試験会場となっている競技場へと誘導されている。
私は同グループ30人の中で13番目に測定した。
声を出して数値を読み上げる検査官のお蔭で、自分の数値が前の12人よりかなり高い数値だったと解った。
私はまた少し緊張から解き放たれて、唇の両口角が上がっている事に気が付いた。
技能試験の為に競技場に移動した私は、以前下見に来た時よりも競技場内を狭く感じた。
下見の時より会場内に人が多く居たからかもしれない。
椅子や机が持ち込まれ少しだけ雑多に物が置かれていたからかもしれない。
下見に来た時は空席だった観客席に多くの観客が集まっていたからかもしれない。
私は自分の番が来るまでゆっくりと観客席を見回し、ある1カ所に視線が移った時、はっきりと自分の顔が笑顔になっている事を理解した。
そこには、朝用意されていたハンカチやハンドタオルを振り回しながら、私を応援する人達が居た。
私は技能試験を受ける順番になった時、検査官の1人に確認を取った。
試験の為に植物の種を使っても良いか、と。
「去年も魔導具を使おうとした子が居たが、試験に物を持ちこむのは許可されていない。よって小さな植物の種であろうとダメだ」
その検査官は大きな声で、私の質問を封殺した。恐らく観客席にまで達したはずだ。その証拠に観客達は少しざわつき始めた。
「他の方法で試験に挑みなさい。無理なら失格とする。後も閊えているから早く決断しなさい」
検査官にそう言われた私は、仕方なく種をポケットに仕舞い込んで試験の場に立った。
これまでずっと頑張って来たんだから、簡単に失格となるつもりは無かった。
私が試験開始位置まで移動したところで、4人の試験官が土塊で作った的を動かし始めた。
ゆったりと挑発するように動く的を見つめながら、私は考えを巡らせた。
もしかして種が使えないかもとは思っていた。魔導具の使用を拒否された話も知っていた。でも私は草木魔法に拘った。
対策も用意してある。が、それが上手く行くかは分からない。練習はしたけど、この競技場で上手く行くかは分からない魔法だから。
遠くから微かに聞こえる声援と、更に遠くで検査の成功を祈ってくれている人の為に、私は一度大きく息を吸い込んで、体を屈めて両手を地面に振り下ろした。
どんっ。
地面に叩き付けた私の両手を中心に、私の魔力が同心円状に広がっていく。
アリー様に教わった魔法で、私は利用出来る植物を探し始めた。
あれは石、こっちは何かの金属片。種は無い、根っこも無い。想定通り会場の地面には植物は無い。
しかし、植物が有る所は知っている。そこまでもっと広く、もっと遠くへ魔力を飛ばせ。障害物を通過する為に、持てる力を余すことなく使い切れ。
最初に異変に気付いたのは、アリー様達だと思う。
次に気付いたのは会場の最上段、観客席の最も外側の端っこに座っていた観客だった。
空は晴れているのに徐々に自分の足元に影が差してくることを訝しんだ観客が後ろを振り返ると、みるみると大きく背を伸ばしている青々とした街路樹の姿が有った。
屋根の無い競技場を覆うように成長して来た1本の街路樹に観客が驚いて声を上げた事で周囲も騒ぎ始め、会場内に居た検査官達も漸く街路樹に注目した。
街路樹は広葉の落葉樹。秋には葉っぱを落とし、春にまた葉を付けて成長する樹木。本来3月初旬のこの時期は裸同然の時期で葉っぱを付けるのはまだまだこれから。
しかし、その1本の街路樹は既に多くの葉をつけ、元気に育っていることをアピールしていた。
地面に手を付いたまま動けない私は、顔だけ持ち上げてその街路樹を見た。そして精一杯の優しい笑顔で言葉を紡いだ。
「私の魔法に反応してくれてありがとう。でもあと少しだけ手を貸してほしい。あそこでふわふわと浮いている土塊を貴方の立派な葉っぱで撃ち落として」
恐らく誰の耳にも届いていない微かな声で願いを言い終わると、私の意識はそこで途絶えてしまった。
再び意識を取り戻したのは父親の背中の上だった。
久しぶりの父の背中は、私の記憶より随分小さくなっていたが、暖かい温もりは変わっていなかった。
泊まっている屋敷に戻り、今にも泣きそうな表情でこちらを見て来る大好きな男の子と目が合った私は、何とか笑おうと表情を作って謝罪した。そしてそのまま、もう一度眠りについた。
検査の翌朝、目が覚めたロミルダと一緒に朝食を食べながら詳しく話を聞いた俺は、今度こそ、よくやったとロミルダを褒める事が出来た。




