第82話 俺は逃げ出す事を諦める
磁石かと気付いたその時、巨大な竜巻が発生した。ドーラさんを風の刃で攻撃していた魔導師が、土壁に激突しながらも攻撃に転じたんだろう。でもあの位置なら竜巻に巻き込まれる。相打ち覚悟の奥の手と言った感じか。
「逃げるよ」
シビルさんの言葉に、クロエさんが待ったをかける。竜巻はどんどん膨れ上がっていく。既に土壁近くの家屋は薙ぎ倒されている。轟々と唸る風の音はもうこちらまで届いているのにクロエさんは大丈夫だと言う。動かないと竜巻の影響がここまで来るかもしれないのに。
痺れを切らしたシビルさんが無理矢理俺達を抱えて移動しようとした時。
パンッと小さな破裂音を伴い、巨大な竜巻が消失した。
「は?」
竜巻が来ると身構えていた俺は変な声を出してしまった。ドーラさんが何かやったの?
「漸く帰ってきましたね。心強い援軍を連れて」
クロエさんが指さす方向に目を向けると、俺の家族が騒いでいた。
「リリー、久しぶり」
シビルさんが母さんに挨拶をした。
その母さんの腕の中に俺は包まれている。屋根の上に降りて来た母さんに心配かけてごめんと謝ろうとしたら、有無を言わさず抱擁されてしまった。逃げるのも違うかなと思って大人しく抱かれている。
姉さんはクロエさんに先程の母さんの活躍を自慢し始めた。小さな竜巻を巨大な竜巻にぶつけて相殺したらしい。姉さんの傍にはアンナさんが控えている。最速で飛べる3人で助けに来てくれたようだ。
「お久しぶりシビル。また新しい植物を作ったみたいね」
村の外で聳え立っている竹を眺めて、どちらかというと呆れた口調で返答する。
「マチューには黙っててね。色々聞いてきて面倒だから」
「はいはい。下でバスコに会ったけど、ドーラはどこ?」
「あそこ。私が縛るまで倒した敵を監視してる」
ドーラさんの居る方向をシビルさんが指し示す。
その方向に体を向けた母さんから小さな笑い声が聞こえた。
え?
ふっと持ち上げた母さんの右手から、風の刃がドーラさんに向かって射出された。
おおおおい。なんで攻撃してんだよ。ドーラさんは今は仲間だから。
シビルさんアンナさん止めて。姉さんもワクワクしないで。
俺の驚きを余所に、風の刃はドーラさんが瞬く間に用意した金属壁へ突撃した。
「目が合っただけで魔法放ってくんなあああ」
ドーラさんが息を切らせて母さんに詰め寄り文句を言う。
「あれは子供達を危険に晒した罰よ。本気じゃなかったんだから、あれくらい受け止めなさいよ」
母さんは悪びれることなく反論する。どうも母さんとドーラさん達は知り合いの様だが、喧嘩するなら俺を離してからにして欲しいんだが。2人に挟まれる形の俺はどうしたらいいんだ。
「お前はバカか。私が作った金剛壁を3枚も貫通したんだ。3枚だぞ。並の人間が食らったら即死するわ」
「あら、あの程度の魔法で3枚も貫通したんですか?腕が落ちたようですね、平和ボケですか?」
母さんが怖い。
あえて丁寧な言葉を使い、殊更ゆっくりと喋り、ドーラさんを挑発している。後ろから抱擁されている状況だから表情は確認できないが、きっと満面の笑みで煽っているんだろう。
「だったら本気で相手をしてもらおうじゃないか。いつでもかかって来いや」
「嫌です。私は大事な息子を愛でる事で忙しいんです。いい歳なのにふらふらしている独身おばさんの相手をする暇はないんです」
母さんもう煽らないで。ドーラさんがむぎーって言って怒ってるよ。こんな風に怒る人は初めて見たよ。もう爆発寸前だよ、誰か助けて、神様助けて。
「口でリリーに勝ったことは無いんだから諦めて。それよりも捕縛した人を運ぶか、怪我人を治療するか、火の手を消すか、何かしら手伝って」
シビル様ありがとう。仲裁に入ってくれたシビルさんに手を合わせて感謝を伝えよう。
「あ、私が火を消してくる」
姉さんが逃げ出すように飛んで行った。火災現場の上空から、シャワーのように水を撒き始める。上手い事逃げたなと羨ましく思う。
「全員運んでくるから、ちょっと待ってろ」
渋々と言った様子でドーラさんが移動し、散らばって倒れている人達を回収する。風魔法を使って器用に運んでいた。
クロエさんとアンナさんは、シビルさんから薬を受け取った。シビルさんが育てた薬草で作った傷薬らしい。ドーラさんが運んで来た人達を治療するために2人は屋根を下りて行く。
「母さん、俺達も何かしないと」
俺も逃げ出したい。暴れて抵抗するのも怖いから、何とか穏便に解放されたい。
「人手は足りてるから大丈夫。ゆっくりしてて」
母さんに変わってシビルさんが答える。
シビルさんの目が、諦めろと言っているようだ。仕方ない、心配を掛けた負い目もある。俺が母さんの精神安定剤になっているのなら暫くこのままで居よう。
俺は逃げ出すことを諦め、久しぶりに母親の温もりを感じる事にした。




