第1話 俺は神に祈りを捧げる
よろしくお願いします。
「めぇぇぇぇんっ」
試合開始早々俺の竹刀が、相手の面に届いた。
「面あり」
3人の審判員が俺を支持する旗を上げる。
当然だ。理想通りの形で決まった。相手は俺のスピードに合わせられていない。
この試合に勝てば全国大会決勝。3連覇が掛かっている試合だが、余裕すらある。
中学1年の時に上級生と対戦したことを思えば、同級生など相手にならない。
「2本目」
主審が2本目の開始を宣告する。
さあ、もう1本取って試合を終わらせるぞ。
相手との間合いを素早く詰める。
準決勝へ進んできた割には動きが鈍い。楽な試合だ。
そら、今度は小手がガラ空きだぞ。
小手を狙って相手の懐に飛び込もうと、左足で道場の床を、蹴る。
伸びきった何かを引き千切る音が、俺の全身を伝っていった。
またこの夢だ。中学最後の、全国大会の夢。
左足から不快な音が聞こえたタイミングでいつも眼が覚める。その時は決まって汗だくだ。
最初は医者に、アキレス腱が切れただけだと言われた。手術してリハビリをすれば、すぐに歩けるようになると。
でもそうはならなかった。手術は上手くいったらしい。リハビリも長い間行った。それなのに、いつまで経っても左足が言うことを聞かない。松葉杖が取れない。
リハビリに費やした秋と冬が過ぎ、怪我から半年経った頃には右足にも不具合が出た。
医者からは原因が解らないと言われた。何が難病だ、ふざけるな。
より大きな病院で診てもらった。大学病院にも行った。色々なところをたらい回しにされた。見世物じゃない、インターンの人は向こうに行ってくれ。
西洋医学だけじゃない、東洋医学も試した。漢方も、針も、お灸も。足のツボを指圧されて何も感じなかった時に、もうダメだろうなと思った。
右足も思うように動かなくなり、車椅子を使うようになった。
座っているとよく見える。細くなった両足が。きっと夏になっても膝掛けを外さない。
最近は、このまま上半身も動かなくなって死ぬんだ、とか、あとどれくらい生きられるのか、とかそんなことばかり考えている。
「おにいちゃんただいま」
買い物袋を持った母と一緒に幼稚園から帰って来た妹が、膝の上によじ登ってくる。まだ細くなった足でも支えられる小さな身体。抱きしめて頭を撫でてやる。
「おかえり。手を洗って来たらおやつにしよう。今日は大好きなプリンだよ」
やったーっと声を上げて膝の上で燥ぐ妹は、俺を元気にしてくれる。
中学はなんとか卒業した。高校には行かなかった。
両親には治療費で迷惑をかけた。入学費なんて気にするなと言われたけど、それは妹の今後に使って欲しい。
学校に行かずダラダラしているのも気が滅入るので、料理を始めた。
座って料理できるように、台所をリフォームしてくれた両親には感謝している。ありがとう。
共働きの両親に代わって朝御飯を作り、お弁当を持たせ、おやつを用意し、晩御飯の準備をする。
1人で買い物に行くのは大変だから、仕事帰りに買って来てもらう。
休みの日にはバリアフリーが整っている店に家族4人で出掛ける。
たまに来る友達に急遽手料理を作って持て成し、妹も混じって一緒にゲームをする。
1人の時は読書したり料理のメニューを考えたり、俺より年上の老猫や最近飼い始めた子犬を抱いて撫で回す。
リハビリに通っていた時、新しい病院や治療法を探している時と比べたら、とても充実して楽しい毎日を送っている。
この世に神はいるんだろうか。
いるんだったら、俺の願いを聞いて下さい。
大会で怪我をする前、俺は自分の才能に酔っていました。傲慢な人間だったと思います。
リハビリ中は、すぐに治るだろうと高を括っていました。怠惰な人間だったと思います。
治らないことを人のせいにして八つ当たりしていました。憤怒の人間だったと思います。
それらの罰で下半身が動かなくなってしまったのでしょうか。
俺は今、幸せです。下半身を失って大事なことに気付いた気がします。ありがとうございます。
もう治ることが無いのなら、出来るだけ長くこの状況が続くよう願います。もうこれ以上両親に迷惑を掛けたくない。
そして、もし生まれ変わることが出来るなら、怪我にも病気にも負けない丈夫な体を与えて下さい。
よろしくお願いします。
毎日の祈りが終わって今日も天使が帰って来た。さあ、一緒にプリンを食べよう。
春が過ぎ、夏を迎え、最後の大会から1年過ぎた。
最近は、怪我の夢を見ていない。
読んでいただいた方、ありがとうございます。
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