貴女の涙を拭うため①
嗚咽をあげて泣きじゃくるナナカさんを連れて、母様は村の宿屋へと向かった。
僕はといえばなぜか二人の後を追ってはいけない気がして、大飛竜から荷を降ろしていた里の者の手伝いをしている。
母様も自分に任せて欲しいみたいな顔してたし、気がかりだけど僕に出来ることは何もない。
頭の片隅では、ナナカさんの泣き顔とその声が繰り返し何度も何度も再生されている。
知りたい。
あの女性が何を思って、顔も知らない僕との結婚という苦痛を飲み込み、何を思って一緒に居たのか。
一体、何が彼女を苦しめているのか。
僕は何故だか、無性に知りたい。
…………ん?
なんか、胸がちょっと……痛い……ような。
なんだこれ。
風邪?
「タオ兄!」
「タオにいさま、みっけみっけ!」
突然。
僕の頭上、ラーシャの背中の上から声がした。
この声はっ!
「テンジロウ! キララ!」
僕含めて五人居る兄妹のうち、下の弟と妹が顔を出して手を振っていた。
三男テンジロウと、次女キララ。
我が家の悪ガキ・お転婆コンビが、満面の笑みで僕を見下ろしている。
「まっててねまっててね! いまおりるから!」
大きな二つのぼんぼり頭は、トモエ様に結って貰ったのだろうか。
父様譲りの赤い髪を可愛らしく揺らし、お転婆キララは藤色牡丹柄の着物のまま、ラーシャの背中でぴょんぴょんと跳ねる。
「そーれっ!」
「おっ、おバカ!」
飛び降りるやつがあるか!?
慌ててキララの落下地点を予測し、僕は走り出した。
何考えてんだ一体!
「っとぉ!」
間に合った!
「わぷっ」
僕の胸めがけて落ちてきたキララをなんとか抱きしめ、落下の威力を消すために背後に倒れる。
「にいさますっごい! ねっ! もういっかいやっていい!? やっていい!?」
「ダメに決まってるだろうっ!?」
なんでそんな楽しそうなんだこの怖いもの知らず!
怪我したらどうすんだ!!
「なにやってんだキララっ! お前が危ないことしたらテンが母様に怒られるんだぞ!」
ラーシャの背中から降ろされた縄梯子を器用にスルスルと降りてきたのはテンジロウだ。
僕や他の兄妹と同じ真っ赤な髪を、全部後頭部でまとめて短い尻尾にしている。
大事な時しか髪を切らない僕らなのに、テンジロウだけ短い髪型なのには理由がある。
お仕置きなのだ。
三ヶ月ほど前。
テンジロウは父様が大事に呑んでいた大吟醸に南方名産の臨死唐辛子の粉末を入れ、あの筋肉オバケのデタラメ親父に悲鳴を上げさせたのだ。
その結果が、丸坊主。
流石のイタズラ小僧も五分刈りはショックだったらしく、わんわん泣いていた。
テンの髪は今でこそ少し長い程度だけれど、ウチの男子は皆父様と同じ髪型をしている。
特にそういう決まりがあるわけではないが、やっぱり父様みたいな強い人には憧れるのだ。
それ以上に、母様方があの髪型が好きって理由の方が強いかも知れない。
「タオにいさま、タオにいさま」
「ん?」
僕の頬を両手でぺちぺちと叩きながら、キララはニヤニヤしている。
なんだろう。
「あのね。あのね」
「あっ、キララズルいぞ! 一緒に言うって決めたじゃんか!」
テンジロウがパタパタと急ぎ足で僕らに近づいてきた。
「テンにいさまっテンにいさまっ、せーのだよっ? せーのでいうんだからねっ?」
「なんだよ一体」
末の弟と妹が、どうやら何かを企んでいるようだ。
この二人はいつも落ち着きなく、里中を駆け回ってはイタズラばっかりしている。
だから僕が少し警戒するのも、普段の行いからだ。
「わかったわかった。よいしょ」
「うぁー」
テンジロウがキララの両脇に手を差し込み、無理やり僕から引き剥がした。
イタズラ小僧と持て囃されているが、なんだかんだでテンジロウは面倒見がいい。
いつも仕事や稽古で忙しい僕たちや母様たちの代わりに、キララのことを見てくれている。
充分に遊んでやれないのが、実は心苦しかったりして。
長男として不甲斐ない。
キララが離れたことで身軽になったので、土埃を払いながら立ち上がった。
僕の腰ぐらいの身長しかないキララの頭を撫でてテンジロウの顔を見る。
何かを言いたくてうずうずしている。
まだまだウチの三男坊は可愛いもんだな。
「えへへ」
僕に撫でられながら、キララはテンジロウと顔を見合わせた。
「準備はいいか?」
「うんっ」
大きく一回頷いて、キララは僕から一歩離れてテンジロウと手を繋いだ。
「せーのっ」
テンジロウの掛け声と同時に二人して勢いよく頭を下げた。
『タオジロウにいさま! ご結婚おめでとうございます!』
おおっ。
息ぴったり。
さては練習してたな?
「タオにいさまっタオにいさまっ。はいコレっ」
キララが何かを差し出してきた。
着物の帯に括り付けていた巾着のようだ。
「テンからも、はいっ!」
テンジロウも色違いの巾着を差し出す。
「なんだい?」
僕は再びキララの頭を撫でながら、二人から巾着袋を受け取る。
「はやくはやくあけてあけて!」
「テンたちのお小遣いで買ったんだぜ?」
二人の小遣い?
って言っても、お前ら小遣いなんかほんのちょっとしか貰ってないだろ?
里じゃお金なんか使わないし、テンジロウとキララは母様たちが一緒じゃないと里の外に出れない。
だから二人が小遣いをもらえるのは、ほんとたまにしかない。
だいたい、出店の食べ物二つ分。
それ以外は母様か父様におねだりしないと買ってもらえない。
これは僕も小さい頃そうだったから、亜王院家の決まりごとだ。
「どれどれ?」
まずは先に渡してきたキララの巾着袋から。
「––––––花?」
袋を開けると、赤・白・黄色と三色の、小ぶりな花が三輪入っていた。
白い糸で綺麗に纏められた花束だ。
「いわいばな! とちゅうのむらでかってきたの!」
なるほど。
たしかここら辺の地域では、結婚祝いに花束を送る習慣があったな。
どっちかの母様からそれを聞いて、わざわざ買ってきてくれたのか。
なんていい子なんだ!
僕の妹は!
「ああ、綺麗だな。ありがとうキララ」
「えへへー」
もう一度頭を撫でると、キララはくすぐったそうに身悶えした。
んで、次はテンジロウの分か。
「––––––色石?」
大小十個ほどの、色が塗られた平べったい石だ。
これも赤・白・黄色と三色。
小さな子が良く遊んでいる––––––おもちゃだ。
「ほんとはテンも花にしようと思ってたんだけど、キララが花にするって言うから」
だからって、子供用のおもちゃを買ってこなくても。
ていうかこれ、実はお前が欲しかった物じゃないのか?
「ありがとな。テンジロウ」
「へへっ」
とはいえこれは、弟の真心こもった贈り物だ。
それがたとえどんな物だろうと、僕は死ぬほど嬉しい。
テンジロウは鼻の下を右手の人差し指でかき、照れ臭そうに笑った。
「タオ坊。久しぶりだね」
声をかけられて振り向くと、僕のもう一人の母様––––––トモエ様が立っていた。
「ご無沙汰してます」
「ん。元気でなにより。アスラオ様は?」
「宿で呑んでると思います」
「ったく。あの人ったら」
白い着物の前で腕を組み、トモエ様は口をへの字に曲げた。
「あとで怒ってやってください」
「もちろん。今回の件、姉様とアタシはなんの相談もされてないからね」
父様を怒れる人は限られてる。
タツノ先生と年寄組の人達。それと母様二人だけだ。
トモエ様は父様の二人目のお嫁さんで、テンジロウとキララ––––––それとここには居ないけど、長女のサエの生みの母だ。
「それにしても、あの小さかったタオ坊がもう結婚かぁ。アタシも歳をとったねぇ」
老いなど微塵も感じさせないトモエ様は、テンジロウそっくりに笑う。
その真っ白な髪は日光の光に透けてキラキラと輝き、背中で一括りにされている。
トモエ様は白が好きだ。
小さい頃は自分の白い髪が嫌で嫌で仕方がなかったらしいけど、父様に褒められてからは好んで白を纏うようになったらしい。
だから着物も白。
持ち物もほとんど白。
ちなみに母様は黒が好き。
二人はとっても仲良しだ。
「トウジロウやサエは?」
「二人はちょうど買い付けに着いて行っててね。明日またラーシャに飛んでもらって朝には来ると思うよ」
そっか。
トウジロウに約束してた物、渡したかったんだけど。
残念だ。
次男のトウジロウは少し病弱で、剣を握れない代わりにとても頭がいい。
だからたまに買い付けや交渉なんかについて行って、色々勉強をしている。
長女サエとトウジロウは同じ日同じ時に生まれたから、二人はいつも一緒だ。
双子と言っても良いかもしれない。
「姉様はもう向かったのかい?」
「はい。ナナカさ––––––お嫁さんを連れて」
紹介してないナナカさんを知るはずないなと言い換えてみたんだけど、お嫁さんって言葉がかなり気恥ずかしい。
「かかさまかかさま! タオにいさまのおよめさん、キララあってみたい!」
「あっ、テンも!」
ちびっこ二人がトモエ様の着物の裾をぐいぐい引っ張る。
「なーに言ってんだあんたら。ほら、荷下ろし手伝うんだよ。あんたらもテンショウムラクモの里の一員なんだから」
「えー」
「めんどくさーい」
二人して口を突き出し、文句を言う。
うむ。これはいけない。
ここは兄として、率先して荷下ろしを手伝って見本とならねば。
「よし、テンジロウ。兄様と競争しよう」
テンジロウの頭を撫でて、ラーシャの背中から降ろされたばかりの荷を指差す。
「競争?」
「おう。僕よりはやくあの小さい荷を台車まで運べるかな?」
テンジロウが持てそうな程度の大きさ。
数にして十個ぐらいだ。
僕が運ぶのはそれより大きな、その向こう側に置かれている奴。
「タオにいさま! キララもキララも!」
「よーし、じゃあキララとテンジロウ対兄様の対決だ。ヨーイ、ドン!」
「あっ、にいさまにいさまずるいずるい!」
「行くぞキララ!」
チビたちを置いていかない速度でゆっくり走る。
本気出しちゃうと勝っちゃうから、加減しないとな。
「明日の主役が自分の披露宴の荷物運んでどーすんのさー」
後ろでトモエ様が笑いながら大きな声を上げた。
ああ、そっかこれ。
僕らの披露宴の荷物なのか。