劔の峰、緋緋色シュウラ②
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「鬼術とはなんぞや」
宵闇の中でボロ雑巾のように横たわる僕に向かって、爺様は問う。
時刻はとっぷり夜半過ぎ。
月明かりも厚い雲に隠れ、剱の峰は音すら飲み込む静寂の闇に覆われている。
「タオ坊。お前は知識のみでしか我らの力を理解しておらん。だからそうまで不器用にしか力を扱えんのじゃ。もう一度聞く。鬼術とはなんぞや。己に問うてみぃ」
そう言って爺様は僕に背を向け、寝床に向かって歩き去った。
残された僕は虫の息。
深呼吸もままならないほど、打ちのめされて打ちひしがれている。
弱い。
僕はまだ、全然弱い。
「鬼術……とは……なんぞ……や」
弱々しく、爺様の言葉をあえて口に出した。
疲弊し鈍る思考の頭の中で、その言葉を反芻する。
鬼術とは、僕ら鬼の一族にとっての『あたりまえ』だった力。
力の源だった角を失い、存在する事すらままならぬほど弱体化した僕らの祖先達が生み出した、僕らの新たな力。
その理は『観・自・在』。
すべてをあるがまま、そして思いのまま観る事。
観の一法。
自の一存。
在の一力。
その三つの作用をもって一つの術式体系と成す。
観の一法とは五感に頼らず、観るべき物を観るための法。
森羅万象余す事無く、全てを見通す。
父様がナナカさんのお母様ーーーーーー亡くなって霊体となったムツミ様を見せる時に使った『逢魔』の術などはこの力の作用だ。
自の一存とは、己の肉体的な力を増強させる術。
肉体の限界を超えて力を公使するための、基本にして最も重要な理。
たとえば僕なんかが、この弱い身体を補う為に使う事が多い。
在の一力とは、存在の主張。
己の存在を世界に紛れ込ませ、何者にも惑わされぬようにする力。
用途は限定的で、使いこなすには相応の努力を必要とする扱いの難しい術だけれど、その効果は凄まじい。
この三つの系統の術と、持って生まれた破格の肉体を持ってして、僕ら鬼一族はこの世界において最強を名乗っている。
かつて乳白色の靄に包まれていた生まれたてのこの世界に邪鬼を擁した黒の勢力が侵略を目論んだその時、僕らのご先祖様達は不介入とした神々の命に背いて神界異層よりこの地上に降り立った。
文明を手にし始めたばかりの弱々しいこの世界の生命に同情した訳じゃない。
哀れんだわけでも、義憤に駆られた訳でもない。
ただひとえに、邪悪なる者の存在を許せなかっただけだ。
それゆえに脆弱なこの世界の生命の前に常に立ち、角を振るい邪を打ち払った。
その結果神々より罰を受けて『角』を剥奪され、地獄の獄卒の身分も剥奪され、この世界に閉じ込められた。
それでもご先祖様達は腐らず、一族としての誇りを持って世界と向き合ったのだ。
『青鬼』としての矜持を持って、弱体化した力を補填する為の技術を高めたのだ。
それが、『鬼術』。
僕らの振るう異能の力。
「でも………僕にはわからない……」
未だ年若く、未熟と自覚している僕にはさっぱり分からない。
ムラクモ戦鬼団。
刀衆・乱破衆で構成される僕ら傭兵団は、金銭でも善悪でも権威でも縛る事はできない。
すべては頭領である父様の判断により、時流も被害も関係なく、父様が認めた勢力にのみ加勢する。
「義でもなく、使命でもなく、でも僕らは鬼としてーーーーーー」
僕には分からない。
この身に宿る過ぎた力の矛先をどこに向ければ良いのか。
ただ邪鬼だけを相手にできれば楽なのだ。
邪鬼は僕ら一族の怨敵であり宿敵なのだから、奴らを討つのに理由など必要無い。
でもそれだけでは、一族は守れない。
僕らがいかに強大で、強力な種族であろうとも飢えには勝てない。
飢えない為には金が居る。
力任せに弱者から奪い取るなんて、鬼としての矜持が許さないし、ご先祖様達に申し訳が立たない。
だから僕らはキャラバンを組み、傭兵団を営み、世界に我を通しながら生き延びている。
この力は、何のためにある?
敵と味方をどう見極め、誰に振るえばいいの?
父様の様に、爺様のように強くなれば、この疑問もいつか解消するのだろうか。
わからない。
わからないし、とっても眠たい。
ああ、ナナカさん。
今貴女は、何をしていますか?
駄目だ。
混乱してきた。
考えなくても良いことまで頭の中でぐるぐると廻っている。
爺様、ごめんなさい。
僕、少し眠ります。
徐々に朦朧とする意識の中で、父様が腕を組んで僕を見下ろしている。
楽しそうに、嬉しそうに。
誇らしげに。
なんで、父様は僕を……ときおりそんな目で見るんだろう。
父様は僕をめったに褒めてくれない。
褒めてくれないのに、でも自慢げに僕を見る。
誰も教えてくれないんだ。
母様達も、里の年寄の人達も。
刀衆の人達も。
教えて欲しい。
僕は本当に、次期当主・次期頭領として相応しいのだろうか。
こんなに弱く、頼りない僕なのに。
自信が……無いんです……。
ああ……でも、あの女性はこんな僕に、感謝してくれたっけ。
ナナカさん……。
逢いたいなぁ……。
もう意識は遠く彼方。
家で帰りを待っているお嫁さんの顔だけを思い出し、僕は丸くなって眠りに落ちる。
また朝日が登ったら頑張るから、それまでは。
貴女が居る夢の中で、貴女と共に笑いたい。
そして、唐突にーーーーーー僕は意識を手放したのだ。




