金の玉外伝2 師匠と弟子たち ー相撲小説「金の玉」シリーズ 5ー
相撲小説 金の玉シリーズ
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金の玉→四神会する場所→四神会する場所第二部→金の玉外伝1 伝説の終焉
の続きです。
栄光と伝説に彩られた男の父だったはずが、一日にして犯罪者の父になってしまった。
ひとり息子は、法の上からも許されないことをしていた。
何故、そんなことをしたのか。という当然の問いも、征士郎に意味があるとは思えない。征士郎は相撲に憑かれた男。それ以外のことに、関心はなかった。
世間的な俗事も。
そして、言わざるを得ない。道徳的観念も。
夏場所、金の玉征士郎が、ただひと場所、幕内力士だった場所。
もともと日常的なことには興味を示さず、奇妙なほどに現実感に乏しい人間だったが、中盤戦以降、関脇、大関、横綱と連日、次々と強豪力士と対戦していく中、その現実感はますます乏しくなっていった。
それにしても、あの世間的俗事には何の関心も無かった征士郎が、どういう経緯で、ああいうものの存在を知り、使うに至ったのか。
そこに到る心の過程は。何の躊躇いもなかったのか。
武庫川は考えた。
だが、すぐにおのれを嘲笑った。
何を一人前に、世間の親と同じように考えているんだ。
征士郎は、相撲に憑かれてしまってからの征士郎に、もう善悪の観念など無かったろう。
道徳を超えてしまった存在。
あそこまで、ひとつのことに打ち込んだということ。それができ、あの相撲を取ったということ。それは、天才だけがなせる所業なのであろう。
だが、言うまでもなく狂気の天才。そして怪物。それがわが子だったのだ。
征士郎は、真面目に、堅実に、日々を過ごしていく人々によって成り立つこの社会において、決して許すことの出来ないことをしたのだ。
そして息子のそばにいた、ただひとりの家族であった私は、そうなっていく息子をとめることが出来なかった。
征士郎がああなってしまったのは、私の責任。
そしてさらに遡れば、征士郎にとっては、私以上にかけがえのない存在であったはずの人物が不在となったこと。
原因は、そこに行きつく。
征士郎の薬物のことを知ったとき、弘子は、黙ってしまった。
沈黙の時間が続いたあと、弘子が口を開いた。
「四股名」
「ん…」
「征士郎がそんなことしていたのなら、もうあの四股名、誰も、面白がってくれないね。ふざけるな、って怒られちゃう」
「おい」
「こうなったらもう開き直るしかないわね。よし、あの子達の四股名、みんな変えちゃおう。薬山、薬川、薬海、薬錦」
「いい加減にしろ、ふざけるな。そんな四股名、許される訳がないだろう」
「分かっているわよ。そんなこと」
弘子が叫んだ。
「征士郎、征士郎、征士郎」
泣き崩れた。
「私のせいね。私が、まだ五歳だった征士郎を捨てていなくなっちゃったからなんだね。征士郎がそんなことをする子になったのは」
ああ、とうとう口にしてしまったか。
そうだ。その通りだ。原因はそこにたどり着くだろう。
「私は、取り返しのつかないことをしたんだね。」
そうだ。どんなに悔やんでも、悔やみきれない。お前は取り返しのつかないことをした。でもそれを今さら言ってどうなる。失ってしまった時間は、決して取り戻すことは出来ないのだ。
弘子がずっと一緒にいてくれたら。
里井又造は、夢想する。
私は、あと三年、五年。あるいは、七年くらい幕内力士を務められたかもしれない。
三役にもなれたかもしれない。
そして、征士郎は。
元々は、明るくて、素直な子だった。
やはり相撲を始めたら、伸びやかに育って、私同様幕内力士に。怪我をする前の私が言われていたように、大関、横綱にもなれたかもしれない。
ごく普通の力士が、普通に、だが懸命な努力をした成果として。
だが、それはもう決して叶うことの無い夢。
泣き崩れる弘子を、又造は、言葉に出して責めることはしなかった。が、慰めることもなく、黙ってその姿を見守った。
いずれ、征士郎が、この家に戻ってくる。栄光と伝説に彩られた男であろうが、犯罪者であろうが、健常な認識力を喪失した征士郎にはもう関係のないことだ。
私にとっても、征士郎がどう呼ばれようが、私があの子の父親であることに変わりはない。
健常な認識力を喪失した我が子と始まる暮らし。それがどんなものになるのか。今の又造には想像することはできない。その暮らしの中に、何か親としての喜びはあるのだろうか。私は、ちゃんと征士郎と暮らしていけるのだろうか。
出来る。
又造は思った。
征士郎が五歳になるまで。弘子と三人、家族として暮らした日々。
弘子がいなくなってから、相撲に取り憑かれてしまうまで、「父さん、父さん」
と征士郎が、私にまとわりついていた日々。
あの日々は、私の人生の中で、最も大切な宝物。
あの日々を取り戻すことはもうできない。でも、そういう日々があったということも、消えることはない。
征士郎は、たったひとりの私の子ども。私はこの世でたったひとりのあの子の父親。その子が栄光と伝説に彩られた子であろうが、犯罪者であろうが、そのことに変わりはないのだ。
征士郎。
又造は我が子を思った。
お前の命の火が消えるその日まで、私はお前の父親だ。お前が生きている限り、父さんは死なない。
又造は、弘子を見た。
お前も、もう二度と征士郎を捨てないでくれ。
との願いをこめて。
秋場所が始まるまで二週間を切った。協会の理事会により処分が決まった。
金の玉征士郎。入門以来、三場所。
力士として在籍した期間に残したすべての記録の抹消。
初場所の幕下優勝も、春場所の十両優勝も、その記録は抹消。夏場所、幕内力士として獲得した殊勲賞、敢闘賞、技能賞も抹消。
いったん発行された番付表は取り消すことはできないが、今後、印刷物として、当該初場所、春場所、夏場所の番付が収載される場合、金の玉が印刷されていた箇所は空白とされる。
さらには、通算三十五勝。そのすべての勝利の記録の抹消。
それだけではない。対戦相手の、通算三十五の敗北の記録も抹消。過去の星取表からも削除される。
つまり、金の玉征士郎は、その存在自体が無かったこととされるということだ。
その存在は、
例えば、夏場所に、金の玉と対戦した相手は、幕内力士として一度も休場がなく、全て皆勤
して今後の土俵人生を終えたとしても、その幕内力士としての通算成績が、十五の倍数になることはない。なぜなら、十四番しか相撲を取らなかった場所が存在するから、
そんな形で痕跡が残るだけだ。
武庫川親方に対する処分は、一定期間の減給。委員から平年寄への二階級降格。
それは、よい。除籍。協会からの永久追放となっても仕方がないと思っていたのだから、むしろ寛大な処分と思う。
だが、もうひとつの処分は。
部屋持ち親方としての資格の停止。
武庫川部屋に在籍する四人の弟子は、瀬戸内部屋に移籍。
私が部屋の師匠だったのは、征士郎がただひとりの弟子だった三場所と、四人の弟子を持った名古屋場所ひと場所だけだったのか。
だが、四人の弟子にとっては、そのことはむしろ幸せなことだろう。四人の弟子が、私の部屋に入門した動機はみな同じ。
金の玉征士郎の相撲に大変な感銘を受けたから。
金の玉征士郎は、四人にとっては、憧れの偶像だったのだ。その偶像が犯罪者だったと知って、あの四人はそもそも相撲を続けるのだろうか。
すまない、と武庫川は思う。私は、あの子の父だ。責任は引き受けなければならない。
だが、あの四人は、家族でもない男のために人生を狂わせてしまったのかもしれない。
もし、相撲を続けるとしても、瀬戸内部屋に移籍となれば、秋場所の番付は、もう発表済みだからどうしようもないが、以降は、四人は、あの恥ずかしかったであろう四股名を名乗らずに済む。
処分を言い渡されたとき、理事であり、金の玉又造であった武庫川の師匠でもあった瀬戸内親方は、
「いつとは言えないが、部屋持ち親方の資格停止処分は、いずれ解く。それまで、お前の弟子たちは、大切に預からせてもらう」
そう言ってくれた。
だが、武庫川は、もう部屋をもつ気にはなれなかった。処分通り、自分にはもう部屋持ち親方となる資格はないのだ。
部屋に戻って、武庫川は、四人の弟子にその処分を告げた。
秋場所が始まるまでのその間に四人は、武庫川部屋を引き払い。瀬戸内部屋に移らなければならない。
武庫川は驚いた。四人は揃って言ったのだ。
嫌です、と。
このままこの部屋にいさせてください、と。
武庫川は答えた。それは許されない、と。
「私は、部屋持ち親方の資格を停止されたのだ」
「武庫川部屋は、もうこのまま無くなってしまうのでしょうか」
四人の弟子の中で、二番目の年長者。大学を中退して、入門してきた、お金持成造が訊いてくる。
武庫川は黙った。瀬戸内親方の言葉は、言わない方がよいだろう、と判断した。
だが、弟子たちはさらにくいさがってきた。
武庫川は、やむなく、瀬戸内親方の言葉を伝えた。
四人の顔に喜色が浮かんだ。
「それなら、武庫川部屋が復活したら、戻ります。その日を待っています。それまで瀬戸内部屋で頑張ってきます。なあ、みんな」
成造が言う。
最年長者は、大学を卒業して社会人も数ヶ月経験した、玉の輿乗造なのだが、性格がおとなしい。こういうときは、どうも成造がリーダー役になるようだ。
だが、成造の言葉にあとの三人も力強く頷いた。
「でも、何故なんだ。この部屋が、そんなに居心地がいいとも思えんが」
「親方」
珍しく、玉の輿乗造が口を開いた。
「私は、親方を尊敬しています。いい師匠に恵まれたと思ってます。みんなそう思っていますよ」
武庫川は何も言えなかった。その言葉を聞いた途端、涙が溢れて止まらなくなったのだ。
武庫川は、この場にはいない、弘子のことを口にした。
「だけど、おかみさんが、あの弘子だぞ。おかげで、お前ら、そんな変な四股名を付けさせられて」
「四股名のことはいいんです」
高校二年で中退して入門してきた、金大事耕助が口をはさんできた。
「最初は、たしかに嫌でしたけど。でも、名古屋場所の間、おかみさんが楽しそうに、耕ちゃん、耕ちゃんと呼んでくれて。それが、なんか嬉しくて。おかみさんが喜んでくれるのなら、この四股名でいいかもな、そう思ったんです」
俺も、僕も。あとの弟子も、同じように頷いた。
「のっくん」
「なっくん」
「耕ちゃん」
「まったぞうちゃん」
これが、弘子の四人の弟子に対する呼び方だ。
「お前たち、弘子のこと、好きなのか」
四人が、うんうん、と今までの会話のとき以上に大きく頷いた。
そうか。
武庫川親方は、思った。
自分勝手に我が子を捨てた女のくせに、男の心を虜にする手練手管は一流なんだな。
そして、その女は。
紛れもなく、この俺の女房なのだ。
秋場所初日を二日後に控えた金曜日。武庫川親方の四人の弟子は、瀬戸内部屋に移って行った。