7.影と鏡
なんてことはない。
夏の持ってきた情報は、さっき話した中にすっかり消えてしまうような話だ。
だけど、外からみた感想やらは、言える。
「どうやら、高校生が失踪した際に、あった‥つまりデータ収集目的の『Souls gate』と、今の大人気ゲーム『Souls gate』は、内容がだいぶ違うようだね。名前は同じままみたいなんだけどね。名前は‥、やっぱり、恭二さんか伊吹さんが付けたんだろうかね」
「‥もう一人、西遠寺の人と会ったよ。会ったというか、見かけたというか‥。夏君も知らないと思うよ。西遠寺 隆行君。表に出てこない人だったから」
「表に出てこない? 引き籠ってたの? 」
「いや、引き籠ってたというか、引き籠らされていたというか‥」
「西遠寺はそんなのばっかりだな」
「どうも、手が付けられないほど荒れてたっていう話だったけど、俺が見たときはそんな感じじゃなかった」
「きっと彼も‥なんらかの研究対象だったのかもしれないね。研究者って感じはしなかったよ」
「研究‥ 脳科学かな」
蒲鉾をつまみながら、夏が冗談っぽく言った。
だけど、その顔は笑っていない。
ただ、冗談っぽく、軽く言っただけに過ぎない。
「すごいね。脳科学」
彰彦も、軽く言った。
「ちょっと怖いけどね。脳内麻薬みたいなものかな」
と、夏。やっぱり軽く言った。
「ああ、セロトニンって奴? 」
彰彦も軽く言う。
‥どうも、真面目に話すと気が重くなるような話だ。
「‥ちょっとあんたたち、食事中に気持ち悪い話しないで。その内、シナプスとかニューロンとか言われだしたら、納豆とかモズクが食べられなくなるわ」
「‥? 」
ニューロンとモズク‥。似てるか?
ズルンって感じ‥かな?
想像して、確かにちょっと気持ち悪くなった。
今日の房子も、地味な部屋着の着物を着ている。
「彰彦、あんたお風呂にも入ってないのに、浴衣着たら寝る前に汗かくわよ」
「‥そうですね」
房子は随分、元気になったようだ。
芳美の事があって、しっかりしないと、と思ったのだろうか。
何にしても良かった。
「房子さんが元気そうで良かったです」
夏がにっこりと笑って言った。
「それと、あんまり裏西遠寺に関わらない方がいいわよ。っていうか、あんまり西遠寺に関わらない方がいいわ。‥触らぬ神に祟りなしよ。和彦も、あんたたちが西遠寺に関わるのは、嫌がると思うし」
そう素っ気ない口調でいいながら、自分の分の素麺の器を引き寄せる。
「‥そうですね」
彰彦が、苦笑いする。
‥確かに、和彦なら嫌がるだろう。
とは、彰彦も思う。
「当主は、こちらには戻られることはあるんですか? 」
夏の分は、彰彦が渡した。夏はそれを会釈して受け取る。
「あんまりないわよ。彰彦が小さい頃は家から本家に通ってたけど」
「そうなの? 」
夏が首を傾げる。初耳だった。
「らしいね。俺は覚えてない。‥小さい時のことまではね」
彰彦は、肩をすくめて言った。
「彰彦兄さんから覚えてないって言葉聞くと、なんか変な感じだね」
「まあ、彰彦さんも人間ですから」
ふふ、と古図が笑い彰彦となつ・房子の前に切った冷ややっこを置く。
「はい、冷ややっこ」
彰彦宅の今日の晩御飯は、冷ややっこと素麺だ。
この家の夏のメニューは毎日ほぼこれだ。
これに、偶に魚がついたりするぐらいだ。今日は、お客さんが来ているという事で、蒲鉾が付いている。
一週間に一度、通いのお手伝いさんが来てくれた時に、部屋をいつもより念入りに掃除してもらい、食事を作ってもらう。
その時には、彰彦宅に「おかずらしいおかず」が並ぶ。
‥いつものこのメニューは、彰彦たちでも作れる唯一のメニューなのだ。
彰彦が素麺をゆでることもあるし、今日みたいに古図が先に家に帰る日だったら、古図がゆでたりする。冷ややっこは、豆腐屋から買ってきて、切るだけだ。
昔、房子が食事の用意をしていた時は、冷ややっこではなく、網で焼いた油揚げか、厚揚げだった。
「‥毎日、冷ややっこ出すのやめてくれない? 私、あんまり好きじゃないんだけど。豆腐は湯豆腐の方が好きだわ。冷ややっこってなんか、豆くさいじゃない」
「豆くさいって初めて聞く表現ですね」
夏が、吹き出すのを堪えながら言った。
「あ、和彦さんもそんなこと言ってました」
古図がちょっと驚いた顔をする。
「そうよ。私と和彦は食の好みが似てるの。だから、結婚したのよ」
しかし、房子はあっさりとそう言い、冷ややっこにこれでもかという程、ミョウガとネギ、鰹節をかけて醤油をたらした。
しかし、醤油は少なめだ。薄味なのは昔からだ。
「! 」
「「! 」」
初めて知った‥! この年になっても、初めて知ることって多いなあ。
「でも、正太郎が和彦の弟になろうと思った理由だって、すごく些細なことよ? 」
若干嫌そうに冷ややっこを切りながら、房子が言う。
「ささい? 」
夏が首を傾げる。
「ええ。正太郎と和彦が遊んでた時、二人の影が伸びてるのをみて、和彦が影を鏡だって言ったんだって。太陽は、どこにでも鏡を作る。まさに「天知る地知る我知るだね」怖いね。って。それを聞いて正太郎は「この人について行こうって思った」んだって」
「‥‥? 」
‥きっと、母さんは伝え方か、覚え方がおかしい。きっともっと感動できる話しに違いない。
ちらっと、彰彦が古図を見る。古図は苦笑いした。
古図は、あの時のことを忘れない。今でも、この先もずっと。
まばらに木が生えた小さな公園。あの日はとても天気が良かった。
「正太郎。ほら鏡だ」
和彦が地面を指さしながら言った。まだ小学生の頃のことだ。
古図が和彦の指さした先を見る。
水たまりか何か、かと思ったが、そこは、ただの地面で公園の木々と和彦たちの影が映っているだけだった。
和彦が手で「狐」を作る。
片手で出来るポピュラーな影絵だ。
和彦の影の手が狐に変わる。
「即席スクリーンだ」
和彦が機嫌のいい顔をする。
「太陽はさしずめ映写機だね。太陽って不思議だねぇ。何でも鏡にしちゃうんだねぇ」
和彦の言葉に、古図は影を見ながら頷く。古図の影も頷く。
「そうだ。本当に不思議だ。だって、地面だよ? 水みたいに表面が光っているわけでも平らなわけでもないのに。普通だったら、映らないのに! 見ようと思わなければ見えないのは、鏡と同じ。見ようと思えば、条件さえ揃えば、どこだって自分は見える。そう思ったら、凄いし、怖いねぇ。まさに、天知る見知る我知るだな」
和彦がひとことひとこと自分の言葉を確認する様に言った。
「嘘のつけない、誤魔化しのきかない自分の分身が、晴れることによって表に出て来る‥」
古図がボソリ、呟く。
「そう! それ。怖いね。‥本当に」
和彦が、うまいね! と褒めながら頷いたが、最後は「本気」だった。
「自分」と「自分の姿(=影)」。後ろめたいことをするのは「自分」。「自分の姿」はそれに従う。鏡に映った「自分の姿」に後ろめたさを感じるのは、「自分」だけ。「自分の姿」はただ鏡に映っているだけ。
同じに見えて全く違う。
「だけど、影の場合、顔は映らないから、自分が「自分じゃない」って言えば‥思えば。それは「他人」になる」
古図が言った。
「正太郎には、そう思える? 自分じゃないって思える? 」
総てを見透かすような和彦の視線に、古図はたまらず視線を逸らした。
出来ないんだよ、そんなこと。
その目は、そう言っていた。
「この時、‥私は和彦さんについて行きたいと思ったんです」
古図が、にっこりと穏やかに笑った。
「‥小学生が考えることではないですね」
夏は苦笑いした。
「つまり、お互い他に友達がいなかった、って話だと思うわよねえ。‥変人同士いいコンビって奴なのよ」
房子がバッサリと切り捨てる。
「‥‥」
全く同じ影で全く違うもの‥。
「本当に怖いね‥」
にぎやかな雰囲気の中、彰彦は、一人ごとのようにつぶやいていた。
本体と影。
意志のある姿、と意志のない影。
ある、とない。
‥自分の分身が、晴れることによって表に出て来る‥
「影‥」
そうか。彰彦の鏡の秘術は、「太陽(=日の神と言っていた、天音)」によって表に出て来た天音の影が、彰彦という「鏡」に映ったものなのか‥。




