5.「あの子」の正体
「え? 」
彰彦が大島を見る。
「僕は以前、八幡神社で迷子になったことがあります。その時、話を聞かせてくれた人に貴方は似ている気がします。間違っていたらすみません」
大島が門越しに彰彦に言った。
僕、と一人称が変わったのは、相手が年上の人だからだ。
「それは‥間違いなく私ですよ。鎮守の杜の話をしましたか」
するり、と言葉が‥記憶が出て来た。
彰彦は縁側から立ち上がり、門の外に出る。
「やっとお礼が言えます。僕はあなたの影響で神社に興味を持ったんですよ」
大島は門の横まで来て、彰彦に向かい合わせに立ち、はにかんだような笑顔で彰彦に会釈した。
「私の? 」
彰彦が目を丸くする。
長身の彰彦だ。大島と並ぶと、頭二つ分以上違う。
「久しぶりに見た」彰彦に、大島はしかしながら、それ以上の不思議な親近感を感じた。
同じ趣味(=神社について考察すること)をもつものの親近感だろう、と大島は瞬時に判断した。
「神社もまた歴史の伝承者と言えるかもしれないって言葉です。そして、僕もそう思いました。今でもそう思っています」
「‥‥」
他人から、自分が昔思っていたことを聞かされるのは恥ずかしい。
彰彦は赤面して黙り込んだ。
「僕は、‥八幡神以前の土地の神のことを考えているんです。神から人に繋がるという考え方は‥支配者の‥大和朝廷の都合に過ぎないですよね。氏神と言われたものも、勝手に系列の神に統合されちゃったりしていることもあるわけで‥。むかしからここにいた神、そういうのを調べることこそが、歴史を知ることなんだろうなあって‥」
大島は、そんな彰彦の様子には気にせず続けた。
「そうだね。播磨の国風土記は読んだ? 」
暫く話していると、大島が「そうだ」
思い出したかのように言った。
「そうだ。‥ここで、女の子を見ませんでしたか? 」
「女の子? どんな? 」
「高校生なんですけど‥決してそんな風には見えなくって、‥セーラー服を着た少年みたいな見た目の‥ああ、そうそう。目が‥目の色が変わってるんです。黄色みたいな‥色をしているんです。それに、目が大きくって、一目見たら忘れない目立った顔をしてるんです」
「黄色い目をした女の子? 」
彰彦が首を傾げる。
「どうしたの? ‥高校生だったら、迷子ではないだろうけど‥」
「いえ‥あの、この頃この辺りに出没してるって、その知り合いから聞いて‥。帰りが遅いけど、どこで何してるかわからないって‥心配している人がいて」
ますますしどろもどろになる。
‥苦しい。でも、この家あれだ「誘拐疑惑事件の家」だ。もしかしたら‥犯人かもしれない人に‥あやまって、尊の話しちゃった。‥これって、まずいか?
「見てないと思うよ? ごめんね。‥家の者にも聞いてみようか? 」
「あ! いや、いいです! 」
大島がお礼を言ったのは、もう帰りながら、だった。
‥もしかして、誘拐犯だと思われてる??
彰彦が、大きくため息をついた。
黄色い目の少女‥?
大きな黄色い目の、一度見たら忘れない顔だち。
「‥天音ちゃん‥」
するり、と口からでた言葉にはっとなった。
天音ちゃん。‥なんで今まで忘れていたんだろう。
俺は、あの従兄妹の事を。
「折角、人として産まれてきたのに、人の世は住みにくいの。‥体力もない、あちこち制限のある体は、使いにくい。‥「親」なるものは、過保護で我を閉じ込めるのじゃ」
小さな女の子の姿をした従兄妹は、しかし、見かけでは考えられない様な口調で話し、びっくりするほど冷めた目をしていた。
我は、神じゃ。
初めて聞かされた時には、驚いたけれど。
‥あながち、嘘ではない。
と思わせるだけの、雰囲気があった。
もっとも、その雰囲気を「出す」のは彰彦と話すときだけだった。
「のう。人の子よ。主は、人でありながら‥ちと変わった力をもっておるようじゃの。いや‥主は人というか‥」
そして、門の向こうのあの小さな祠に目をやる。
「あれじゃ、あの鏡の様なものじゃな」
「鏡? 」
「主は、その身に、世の中の総てを映し得る。‥住み難かろ? 主も」
「‥‥」
そして、今までの事が、総て整理されるような心地がした。
暗記しているのではなく、映してきたのか、と。
「その力、我が借り受けよう。ほれ、ここに我を分けた。‥分霊という奴じゃ」
そこには、従兄弟と同じ年頃の「男の子」がいた。でも、顔がぼんやりとしている。
顔というか‥すべてがぼんやりとしている。
「臣霊ですか? 」
「分霊じゃ。‥臣霊とはなんじゃ? よくわからぬが、これは分霊じゃ。我の魂を分けた。これは、我の一部じゃ。‥記憶や能力までは分けんがな。だから、これは我の一部じゃが、全く別のものじゃ。それ故に、自由じゃ」
‥分霊。
神社なんかを勧請する際にする、あれか?
「性別が違いますね」
「我には、この体の方が違和感がある。おなごに生まれて来るとは、ちょっと失敗したかの」
ちょっと不愉快になったのか、眉を片方だけ僅かに寄せた神が、なんだか人間味があっておもしろくて彰彦は笑った。
「これに体をつけてやってくれ。‥出来るであろう? 西遠寺の鏡の秘術。‥それを使えるのは、今の世では、主だけだと聞いておる」
‥誰に聞いた。
思ったが、神の事だ。何でもありなんだろう。
「‥出来るだろう、と言われたことはありますが、したことはありません」
確か、親戚の恭二おじさんに言われたことがある。
だけど、したことはないし、出来るような気もしない。
「やってみろ」
「はあ‥」
とにかく俺は、そのぼんやりとした「男の子」と向き合った。その横には、従兄弟の顔した神様。
気が付けば、まったく同じ顔をした子供がそこにいた。
「ほう、我が二人じゃな。‥この顔は、気に入っておる。この体じゃあ、大人になるまでもたんかもしれんから、この、分霊した方だけでも大きくしてやりたいな! 」
そう言って、神は無邪気に笑った。
‥本体の体(=器)が死んでも、分霊には問題ないかもしれないが、そしたら、映し続ける(鏡の秘術)ことは出来なくなるから、それは無理じゃないか?
呆れた顔をした彰彦に、神も気づいたようだ。
「ふむ。‥まあ、この鏡に‥そうさな、100年ほどのこの顔の記録を入れて置こうか。何、母親と父親を見ておれば、想像がつく」
「‥‥」
「では、ここまでじゃ。「我」も、主もこのことを忘れよう。この記憶は、人の子としてこの子が生きていく上では、少々しんどいからの。主もあの力を失えば、少しは楽に暮らせるであろうよ。‥しばし、この子どもの命が尽きるまでの期間限定じゃがな」
この子ども‥天音という名の、俺の従兄妹の命‥。
「なぜ、この子を創ったのですか? 」
「‥面白くないからじゃ。さっきも言ったであろう? せっかく人として産まれて来たのに、この体では何も出来ない。‥体がついてこない。‥では、身体をなくせば‥とおもっての。だが、我が身体を放棄することは出来ぬ。そうしたら‥わかるであろ? 」
「でも、この子には記憶は分けられないと‥」
「別に問題はない。あの子供は、あの鏡を依り代にしておるから、我の鏡にこの子どもが映るようにしようぞ。その像を結ぶのが主じゃ」
神が手鏡を彰彦に見せた。
「何の変哲もない鏡に見えますね」
「何の変哲もない鏡じゃからな。そして、あれも、何の変哲もない鏡じゃった。だが、今は、この子の依り代となった。だけど、それじゃ、あの場所から動けない。‥そのための、主じゃ。映して、実像化する‥鏡の秘術とはなかなかすごいものじゃな」
ふふ、と神がさも「面白そう」に笑った。
(その笑いが、少女のそれ、ではなかったのはもうお分かりであろう)
「天音ちゃん‥」
ぎゅっと胸が痛んだ。
予感している「最悪な事態」はしかしながら、間違っていないだろう。
ふと、初めて会ったとき無邪気に笑った天音を思い出した。
初めて会った時、
「彰彦、天音ちゃんよ。貴方の従兄妹。体が弱いから学校にも行けないの。でも、それでは退屈しょ? だから、貴方の学校の休みの間だけ、我が家に預かったの。お兄ちゃんに遊んでもらうのが夢なんだって。可愛いじゃない。だから、遊んであげて? 」
あの頃はまだ元気だった母さんが言った。
あの時の天音ちゃんは、シトリントパーズの目で見上げるみたいに俺を見て
「よろしくね、お兄ちゃん」
と、無邪気に微笑んだ。
「お外では遊べないけど、天音にご本読んでくれる? ボールで遊んでくれる? 天音、お兄ちゃんが欲しかったんだ」
なんて言ったんだ。
無邪気に微笑む従兄弟を見て、なぜかぞくっとした俺に、にやり、と天音ちゃんが笑ったように見えた。いや、‥感じた。
「やっぱり、勘がいいのだな」
二人になって直ぐに、天音ちゃんは「本性」を表して来た。
そして‥
「主には、手伝って欲しいことがあるのじゃ」
って言ったんだ。