3.八幡神社にて
播磨の彰彦の住む町には、一本の長い坂の上と下に高校が一つずつある。
この校区のシンボルである八幡神社の名前を取って、「播磨八幡高校」という。
驚いたことに、両校同じ名前なのである。
どちらが先に出来たか、どちらが相応しいか両校は譲らず、結果現在に至るまで議論は決着がついていない。
なので、いまでも両校、「播磨八幡神社」。
通っている生徒の方は、しかし特に気にならないらしく、便宜上坂の上にある「播磨八幡高校」は「坂の上」、坂の下にある方を「坂の下」と区別して呼んでいる。
因みに、坂の下が私立で、坂の上が公立なのだ。
坂の下が市街地になっており、坂の上には高校以外なにもない。コンビニすらない。
坂の上に通う高校生も、全員坂の下で暮らしていた。
大島は、公立である「坂の上」に通っていた。
そして、優磨も尊もそうだった。
だから、三人は坂を下って下って下校した。
坂の上からは、この町が一望できる。その景色は、坂の上に通う高校生たちの自慢だったが、坂を上って上って登校する朝は、ちょっとした「地獄絵図」だった。
なだらかな坂、では済まない角度がある。長さが、エグい。
夏は登校だけで、一仕事したかのように、汗だくになって生徒の大半は登校後すぐに着替えをする。
ここらへんが、坂の下と「天国と地獄」と言われる所以なのだ。
学力は、(体力と根性の差なのか)坂の上の方に軍配が上がっている。
同じ高校に通う、大島・優磨・尊であったが、三人が一緒に下校することはしかしながら、そうないことだった。
偶然会えば、帰る。そんなくらいのものだ。
大島は、ぼんやりと考え事をしながら一人で帰る時間が好きだった。
八幡神社の前を通りかかった時、大島の足が先客を認め止まった。
先客は、坂の下に通う、高校二年生。大羽 喜和子だった。
「大羽‥」
思わず声を掛けたが、大羽は大島に気付かなかった。
まるで何も変わるところなく、その光景は、あの時のままのようだった。
「えーーと‥。私はやるだけ頑張ったと‥思っています‥。だから、明日の試験でいい点が取れますように‥」
小さく呟く。神社の拝殿を見つめる、いつになく真剣な眼差し。
困った時の神頼み、なんてよくいうけれども、中学校に入ってから始めて今年でもう五年を超えようとしている、喜和子のこれはもう、ちょっとした恒例行事だ。
彼女に言わせれば、「おまじないみたいなもの」らしい。
ぱんぱん、と小さく胸の前で手を打ち、一仕事やり終えた安どの笑顔でひらりと境内に背を向ける。小走りで駆け出すと、二つに分けて束ねた髪が風にふわりと泳ぐ。特に信心深そうには見えない、いたって普通の女子高生だ。
「坂の下は、試験か‥」
大島は思わず声に出して呟いた。
‥え? あの日は、じゃあ‥・?
あの時‥「あの日」と何もかもが同じ状況に、大島は足を止め、思わず振り向いた。
「あの日」
「大島――」
よく通る高めの声に、大島は足を止めた。
「大和」
耳に髪の毛がかからないほど短く切った黒髪、シトリントパーズの大きな瞳。年中長袖を着用しているのは、実は「日焼けしたくない」という理由からなのだが、周りを「病弱」という理由で納得させてしまう、それほど病的なほど白い肌。整った顔立ちのせいで、校内ではかなり目立った存在であった、大和 尊だった。
「今日は郷宇と一緒じゃないのか? 」
大島が聞く。
それが、あまりにも不自然なことだったから。
それほど、優磨と尊はいつも一緒にいた。
従兄妹同士であるらしい二人は、しかし、ちっとも似ていなかった。
150cmをようやく超えた位しかない小柄で童顔な尊に対して、優磨は170cmに近い長身で、凛とした精悍な顔だちをしていた。
男顔というわけではない。凛とした顔だちの、美人タイプ。
肩を超える長い黒髪を一つに束ね、背筋を伸ばして颯爽と歩く優磨は、遠くからでも目についた。
小動物を思わせる可愛い容姿の尊(女子は「保護欲が沸く」と言っていた)
(身長のせいだろう)デコボココンビは、校内で知らない者はいないほど有名だった。
だから、尊が一人でいる、というのは違和感がある。
「オレは、優磨ちゃんとワンセットじゃないよ」
外見に「似合わない」話し方をする。
ちょっと不機嫌そうに、わざと大人ぶって、でも少年みたいな高い声。
八幡神社に入る見覚えのある少女に、尊の足が止まる。
「あの子‥。大羽さんっていったっけ、中学が一緒だった」
「大和にしてはよく覚えてたな」
大島も少女の後姿を見る。
「出席番号が近くて、良く席が近所になってたからな」
それは、大島にも当てはまった。
おおしま、おおとも、おおはの順である。
「坂の下は試験、明日位からかな」
「ん? 」
「大羽、「誓約」しに来たんだろ? 相変わらずだな、あいつ」
言って、ふふっと笑った。
誓約。
尊はお参りの事を、こう呼んでいた。
いつだったか尊が持論を話したことがあった。
あの時、たしか大羽もいた。
――つまりは、神様に自分の決意みたいなもんを聞いてもらうってことだろ? 神様に決意表明したんだから、やらないわけにはいかない。だから、「誓約」。
オレは神頼みなんて無駄なことはしないよ。
コンピュータでも、データが入ってることしか処理できないだろ?
ようは、自分ややんなきゃしょうがないんだけど、それが出来たら苦労しなっくって、自分にはっぱかける為に「枷」を付ける。
精神的にやんなきゃいけないっていう状態に持っていく。
少なくとも俺は、そうだから――
「神は自らたすくるものを助くとかいうわな」
大島が同調してら
「成程! 私もこれから「誓約」にする! 」
って大羽が言ったんだ。
(誓約をする大羽が相変わらずだと微笑んだ尊を見て)回想の中の大島が言葉を続けた。
「大和。お前どうしたんだ? 今日はやけにしゃべるな。普段そんなこといいもしないのに」
尊は、普段は本当に無口だ。
穏やかで機嫌のいい顔から、陰気には見えないが、本当に話さない。
だから、女子である尊の一人称が「オレ」だということを知っているのは、優磨と大島やら、そう多くはない。
尊は、大島の問いかけには答えなかった。
神社を後にする大羽の後姿を、ただぼんやりと眺めていた。
そして、その後姿が完全に視界から消えた時、尊は、ちいさくため息をついて、大島に向きかえった。‥まるで、意を決した、というような「間」だった。
「優磨ちゃんのこと‥頼むな」
ぼそり、と父親が娘を嫁に出すようなセリフを真顔で言う。
「え? 」
怪訝な顔で大島が尊を見たが、尊はそれ以上何も言わなかった。
ただ、少し微笑んだ。
今でも、あの哀し気で寂しい微笑が瞼の裏に残っている。
尊はその日以来、大島、そして優磨の前から姿を消した。
そしてそれが、他の者のように「急に転校」といわれても納得できなかった根拠であった。
多分、尊に最後に会ったのは自分だ。それなのに、どうすることも出来なかったという事に責任を感じている。
違和感を感じたのに、それを問いただしたりしなかった。
そして、「あの日の事」を今きっと一番心配しているであろう、優磨に告げられていない事‥。
「俺は‥」
立ち尽くしていた大島の前を、大羽が通り過ぎようとして、ふと振り返る。
今まで何も聞こえていなかった大島の耳に、ばっと一遍に音が戻ってくる。
「大島君? 」
「大羽‥」
大島は、気付いたら、大羽を呼び止めていた。
「‥大和に会わなかった? 」
「え? 大和くん? 」
不意に、大島から声を掛けられて、大羽は驚いて顔を赤くして立ち止まった。
だけど、驚いたのは声を掛けた本人である大島も同じだ。
大和くん
大羽は、そういえば大和のことを、「大和くん」と呼んでいたな。だけどそんなことも思い出した。
「‥今日? 」
「いや‥。ごめん急に、俺何言っているんだろ」
大島は慌てて謝るのと大羽が答えたのはほぼ同時だった。大島の動きが凍る。
大羽は少しの沈黙の後、
「喧嘩でもしたの? 大和くんもあのとき変なこと言ってたし」
怪訝な顔で言った。
大島が目をむいて大羽を見る。
「「オレがここに来たこと、誰にも言わないで」って。それで私が「何で? 」って聞いたんだけど、大和くんそれには答えなくって「とにかく、‥大島や優磨ちゃんには絶対、言わないで」って。私が、 大島君や優磨ちゃんに会うことなんてないのに、変なの‥って思ったの」
大羽は、大島の表情には気付いていない様子だった。
大島は一度大きく深呼吸をする。
「‥この頃あいつ変なんだ。それで‥、大和と話したのっていつ? 」
失踪しているとは、まさか言えないので、大島が誤魔化した。
「うん? 私が神社にこの前来た時‥。試験一週間前に、何となく気合を入れようと思って‥ちょうど、6日前だったのか‥」
大羽はちょっと考えて、スケジュール手帳を確認してから言った。
「7日前じゃなかった? 見かけた気がしたんだけど」
「7日前も‥行ったね。正確には、試験一週間前毎日行ってた。なんか落ち着かなくて」
「‥大和に会ったのは、その時だけ? 」
「うん。‥ほんとにどうしたの? 」
「いや‥」
「もしかして‥大和くん神隠しにあっちゃった‥とか? ほら、この隣の西遠寺さんの家でしょ? だいぶ前に警察が来てたのって‥」
大羽が小声で聞いてきた。ちょっと顔色が青くなっている。
「‥まさか。大丈夫だよ。郷宇が「この頃尊に避けられてる気がする」って言ってたから、尊の奴一人で放課後とかどこに行ってるのかなって‥」
大島は「我ながら苦しい言い訳だな」と思い、冷や汗が出る。
「ふうん。喧嘩でもしたのかな。早く仲直りできたらいいね。大和くんと優磨ちゃんってホントに仲良かったもんね。私も受験勉強もっと頑張って坂の上うければよかったなあ。大和くんのミラクル受験、今でも伝説なんだって」
大羽が微笑んだ。
「ははは。そうだなあ。あれは、奇跡だったよな。あいつときたらホントに勉強しないから。なんせ、本を読まない。あの年になって読んだ本は、教科書くらい。でもその教科書も読んでいるかどうか定かじゃない。坂の上を受験したのは郷宇が受験するから、だもんな」
その後何を話して別れたかは定かではないが、そのまんま何気ない振りを通して、大島は大羽と別れた。
そして、そのまま大島はその場から暫く動けなかった。
「オレがここにいたこと、誰にも言わないで? 」
‥ここ、はどこ、だ?
八幡神社? ‥それとも‥。
次話、やっと大島と彰彦が会います。